BOTH SIDES NOW
母のメンクリに父が家族相談で行った。
それがお医者さんの答えだった。
だとすれば、薬を飲めば、母のキレッキレの暴言と思考は収まるのか?
夜で疲れたせいなのか、父は元気がなかった。
気を使ったつもりで私は父にこういった。
これって、依存性が高い人たちにとっては、ある意味「酷な」表現だったかなと。他人への依存度が高い人って「自分だけの味方でいてほしい」そう思うからね、かつての私も切望していたように。勝ち負けしか考え方にないから。
そこから抜け出た今、向こう側の心理もわかるといえばわかるけれど。
騒動のさなか、「長女は俺に相談してくれない」とぼやいていたそうだが、好きで相談しないわけではなく、相談にならないからしないのだ。
受け止めてほしいから相談するのに、拒絶で跳ね返され、傷が深くなることを避けるため、いつしか「報告もどき」しかしなくなった、いや、ほとんどの会話をしなくなった。会話はしていたけど、中身のある会話はしなくなった。
とはいえ、父に助けてもらったこともあると思うし、今、父だけでもなんとか自分のことを自分でやってくれて、ありがたいとはおもうが、
なわけで。プラスマイナス ゼロ。いや、マイナス。
母がおかしくなる中で、父と私はお互いをいたわるような電話をしたが、その中で
と、母の世話を放棄した張本人が、どの口が言うんだ?の発言をしたことがある。その時私が返した言葉はこれ
これって 父には ものすげぇパンチだったのかもしれないな。。。
今日はこの曲がSpotifyから流れてきました。
I've looked at love from both sides now,
from give and take, and still somehow
it's love's illusions that I recall.
I really don't know love at all.
今なら愛を両側から見ることができる
与え奪うことも そしてどうしてだか
わたしは愛の幻想を抱いてばかり
もう愛が何だかわからないわ
物事の両側を知ってしまった
という歌でしょうかね。
アカデミー受賞した「CODA あいのうた」のラストの曲ですね。
はい、私も 映画館で観ました。泣きました。
でもね、ごめんなさい、激しさに慣れてしまって、エグみが足りませんでした。
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