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国語が苦手だったのに、毎日noteを書いてる不思議

noterさんの記事を読んでると、「国語が得意だった」とチラホラお見かけします。その度にわたしはドキドキ。だってわたしは苦手だったのです。英数国理社と並んだとき、国語の成績だけべコーンて凹んでました。

凹みにもムラがあって。どんな現代文だったかが分かれ目です。漢文や古典は安定しても、現代文は出題された問題で左右されてました。

塾の先生に言われた言葉を今でも覚えてます。
「そうは見えないけど、『わたしはこう思う』が強いタイプなのか?」
わたしはコクコク頷きました。何で分かったの?現代文ができないとどう関係あるの?と、頭の上には「?」だらけ。

「自分の意見があると、『わたしはそうは思わない』と反発して正解できないんだ」
なるほど。確かにそうかも。思い当たるところがありました。

作者の言わんとするところは絶対おかしい。わたしはそうは思わない。問題を解いてる最中から、問題からそれた自分の思いへ先走ってたもんな。

現代文の読解は、わたしの意見を問うてるんじゃない。作者の意図を理解できたかが問われてる。この理解に至ったのは、大人になってからです。国語は苦手のまま、学生時代は終わってしまいました。

そんな「国語ダメっす」のわたしが、毎日note記事を書いています。国語が苦手とて「下手を晒しても大丈夫」の覚悟があれば、毎日書けます。わたしがその一例です。

毎日書いてれば、誰もが上手くなります。わたしは国語が苦手な分、多くのnoterさんよりも伸びる幅があるってこと。伸びる幅が多くあるなんて、自分で言っときながら悲しくもあるけど。でも、そういうことなんです。

好きなら苦手も超えてけます。わたしは今で200記事を超えてました。300手前かな。300、500となったとき、どんな文章を書けるようになってるんだろう。自分の未来へワクワクします。どうぞ上手くなってますよーに。

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