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世界はわたしが思うより、やさしいのかもしれない

あれ? 絶望してないぞ。
自分の心の変化に気づいたんです。

わたしがnoteへ最初に投稿した記事は、「ザ・絶望」。年末年始なんでか仕事にあたりがちで。それが何年も続いてます(現在進行形)。

「わたしが独身だからかー」と、逆恨みから始まる恨み節を書きつづったのが、初回記事(ゆえに、あえてリンクを貼らない)。

そして今年もたっぷり働きます。12/30と31だけ休みで、ほかは当直か日直。1/4から仕事始め。わたしの休みはどこへ行ったのか。とほほ。

そりゃー、イヤですよ。それも5年連続って、なんでやねん。激しくツッコミです。

でも、そこまでしか思わない。過去のように「自分がこんなんだから、こんな目に遭うんだー」じゃない。「ツイテないなー」でおしまいでした。

わたし、すっごい成長してる。絶望しない自分に気づいたとき、とても嬉しくて、泣きそうでさえあって。親バカならぬ、自分バカ。手放しで褒め称えです。精神的にこんなに成長してた。わたし、変われてたんだ。噛みしめるように喜びが溢れました。

外的な変化はここ数年ないです。成長どころか、何も無い。淡々と通り過ぎる日々でした。

でも違ってたんですね。わたしが気づいてなかった。キャッチ出来てなかったんだ。この鈍感なわたしが気づくに至れたのは、日々書いてきたからこそ。とても思います。

1番最初と今との差に気づけたのも、書いて残してたから。ありありとあの時の感情を記憶に留められるほど、初回も懸命に書いたからです。

人生において、楽しいこと、つらいことは半々だ。よく聞くけど「そうかな?」てわたしは疑ってて。つらいこと、しんどいことが多いよー。なんでなんだーと思ってた。

それが、毎日note記事を書いて、ようやく認めました。たしかに半々。

楽しいこと、嬉しかったことは、わたしがスッカリ忘れてただけ。つらいこと、しんどいことだけをしっかり覚えてるから、強い記憶になってた。

わたしは自分の見たいように、世界を見てたんです。「世の中なんか捨てたもんだ」とわたしが思うから、その証拠となるような印象を自分の中に残してた。事実は違う。そうじゃない。日々書いてきたnote記事が教えてくれました。

「人はいつからだって成長できる」
そんなわけあるかい。だってこんなに変わりたいのに、変われない。自分の世界は何も変わらない。わたしは叫ぶように思ってきました。

変わってたんです。ちょっとずつ変わってた。変化に気づくセンサーが、どうも他人より大雑把だったみたい。

自分の素直な思いを言葉にし、記録として残しててよかった。鈍ちんのわたしでは、昨日、今日との違いは分からない。でも半年、一年前との違いは分かる。確実に変わってる。

世界はわたしが思うより、やさしいのかもしれない。しみじみ思い始めたのでした。

では また

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