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◆遠吠えコラム・「『尊い犠牲』の季節~権力者たちの追悼の言葉への違和感」

 6月23日、沖縄県糸満市で太平洋戦争の沖縄戦の戦没者追悼式が行われました。その様子を見ていて違和感を覚えたことについて、遠吠えしてみたいと思います。

 「私たちが享受している平和と繁栄は、命を落とされた方々の尊い犠牲と、沖縄の歩んだ苦難の歴史の上にあります」

 太平洋戦争の沖縄戦で組織的な戦闘が終了した日とされる6月23日、沖縄県糸満市摩文仁の平和記念公園で沖縄戦没者追悼式が開かれた。上述した言葉は、追悼式で岸田文雄内閣総理大臣が読み上げた挨拶文の一節だ。岸田首相がどこかたどたどしいリズムでこの一節を読み上げる様子をテレビで見ていて、「またこの季節がやってきましたか」という気分になる。
 
 「この季節」とは、沖縄終戦の日を皮切りに2つの原爆の日や8月15日の終戦記念日ごろまで続く戦没者に悼む一連の恒例行事が立て続く季節のことではない。8月15日が近づくにつれて戦争犠牲者を悼む式典が各地で開かれ、各自治体の首長や政府の閣僚といった行政関係者が相次いで式辞を読み上げる姿を目にするが、彼ら彼女らの追悼文の多くには必ずと言っていいほどあるフレーズが登場する。それが、冒頭に記したフレーズだ。一言一句同じというわけではないが、「今日私たちが享受している平和と繁栄」というものが、太平洋戦争で亡くなった人々の「尊い犠牲」の上に成り立っているという趣旨で概ね一致する。

 具体例を挙げる。2021年8月15日に日本武道館で開催された全国戦没者追悼式での菅義偉首相(当時)の式辞の一節がこちら。

 今日私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊(たっと)い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時も忘れません‹1›。

 この追悼文が読まれた前年の2020年の全国戦没者追悼式で安倍晋三首相(当時)が読み上げた追悼文も見てみよう。

 今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年を迎えた今も、私たちは決して忘れません‹2›。

 菅首相(当時)の追悼文は、安倍首相時代のものを踏襲したものだから類似するのはありうる話ではあるとも考えられる。実際、菅首相が2021年の沖縄戦没者追悼式で読み上げた追悼文は、前年の安倍首相時代の追悼文をコピペしたのではないか‹3›との疑惑も付きまとうからだ。

 ただ、驚くのは、このフレーズを使っているのが、歴代の総理大臣だけではないということだ。全国各地の戦没者追悼式の式辞を見てみる。まずは私の故郷神奈川県の2022年戦没者追悼式での黒岩佑治知事の式辞を見てみる。

 今日私たちが享受している平和と繁栄は、多くの戦没者の方々の尊い犠牲の上に築き上げられてきたことを、私たちは決して忘れてはなりません(5分48秒から約20秒間)。

 神奈川県と海を隔てて向かい合う千葉県の2021年の戦没者追悼式を見てみる。

 今日私たちが当然のように享受している平和と豊かさが、戦争で亡くなられた方々の尊い犠牲と、ご遺族の皆様のご苦労の上に築かれたものであることを、決して忘れません‹4›。

 どうせこういうフレーズがある奴だけをピックアップしたんだろ?と思うかもしれないが、「○〇(自治体名) 戦没者追悼式 式辞」とググってみるといい。式辞が文章や動画でアーカイブとして残されているものだけでも、上述した「今日私たちが享受している平和と繁栄は―」がどこの式辞にも必ずと言っていいほど登場する。

 行政手続きは国の法律に則って進められ、自治体も他自治体の状況を見ながらあまり突出しないようにする傾向がある。だから式辞の文章が国の戦没者追悼式の追悼文に類似していることは当然あり得る。実際、何らかの記録として残っている全国各地の式辞をいくつか読んだが、件のフレーズに限らず、文章の内容や展開も驚くほど似ている。

 だが、私が今回問題にしたいのは、式辞の文章の類似性ではない。これまでさんざん文中で登場させてきた「尊い犠牲」というフレーズを政治権力の立場で使うことに対する違和感だ。

 そもそも、先の大戦は誰がはじめたのかを考えると、当時の権力者、つまり日本政府だ。そして「尊い犠牲」となった戦没者は戦場へ行くことを強いられた人たち、つまり、当時の権力者たちが戦争なんて始めなければ本来死なずに済んだかもしれない人たちだ。そんな人々に対し、戦争をはじめ、犠牲を強いた張本人が、「今日の平和は尊い犠牲の上に成り立っているね」なんてぬけぬけと言うのは、盗人猛々しいにも程があるだろう。

 「今日の平和と繁栄」を尊い犠牲の中に見出していない追悼文もある。偶然にも、6月23日の戦没者追悼式に出席した玉城デニー沖縄県知事の追悼文がそれだ。

 本文中で幾度も触れたような「今日の平和は戦争で亡くなった尊い犠牲の上に成り立っている」という趣旨のフレーズは使われていない。

 他にも「尊い犠牲」というフレーズを使っていないのが、原爆を投下された広島市と長崎市の両市長の平和宣言だ。


 この2つも確認できる限りの過去の式辞をさかのぼってみたが、「尊い犠牲の上に今日の平和と繁栄が成り立っている」という趣旨の一節は見当たらなかった。


 そしてもう一人、「今日の平和と繁栄は―」のフレーズを使っていない人物を見つけた。その人物こそ、天皇陛下である。2022年8月15日の全国戦没者追悼式での陛下の「お言葉」を下に引用する。全国戦没者追悼式での陛下の式辞も出来得る限りさかのぼってみたが、やはり「尊い犠牲」を使われていなかった。

 この違いは何なのだろうか。推測ではあるが、沖縄、広島、長崎は、権力者が始めた戦争によって特に割りを食った歴史がある土地で、「尊い犠牲」なんてものは存在しない―ということを、歴代首長をはじめ人々が考えているからではないか。そしてその犠牲を強いてきた張本人である天皇家もまた、戦争責任は免れたものの、「尊い犠牲」なんてものが欺瞞であるということを、実はよくよく痛感しているのではないだろうか。

 サイパン島で壊滅寸前の日本軍は万歳をしながら米軍に突撃し、玉砕をしたが、米軍はその後、日本本土への侵攻し、東京をはじめとする日本の主要都市への度重なる空襲のほか、沖縄本島への上陸に踏み出した。1945年8月6日には、広島に原爆を落とし、約14万人もの命を奪った。それでも米軍は攻撃の手を緩めず、広島へを原爆投下した3日後、長崎に原爆を投下、約7万人が犠牲になった。それでも戦争は終わらなかった。最終的に戦争を終結させたのは何かと言えば、昭和天皇の「ご聖断」で受諾されたポツダム宣言による無条件降伏だ。戦争を始めた権力者自らがタオルを投げたことで「敗戦」を告げるゴングがやっと打ち鳴らされたわけだ。

 以上に挙げた歴史的経過を見れば、「尊い犠牲」の上に「平和と繁栄」があるなんてことが嘘であることは明らかだ。度重なる「尊い犠牲」にもかかわらず、「平和と繁栄」など訪れなかったのだから。

 先の大戦が終結して78年がたった今も尚、各地の地方自治体の首長から内閣総理大臣に至るまで多くの権力者が、今日の平和は戦没者の「尊い犠牲」の上に成り立っている―と、堂々と発信している状況に身の毛がよだつ。つまるところ、「尊い犠牲」という言葉を使うことで、犠牲になった人たちを戦場に駆り立てていった権力者たちの責任を隠蔽しようというのだろう。

 これから、8月にかけて戦没者を弔う行事が各地で開かれる。式辞の際、「尊い犠牲」という言葉を誰が使っているのか、注意深く見ていこうと思う。そしてその言葉を使った人のことをよくよく覚えておくことにする。何故ならばそいつは、「その時」が来たら、「尊い犠牲」を強いるかもしれない人間だから。
(了)

【参考文献・資料・リンク】
1.令和3年8月15日 令和3年度全国戦没者追悼式総理大臣式辞 | 令和3年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ (kantei.go.jp)
2.令和2年8月15日 令和2年度全国戦没者追悼式総理大臣式辞 | 令和2年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ (kantei.go.jp)
3.菅首相、安倍氏の式辞をほぼコピペ 加害責任や反省盛り込まず 初の戦没者追悼式:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
4.千葉県知事の式辞(千葉県戦没者追悼式)/千葉県 (chiba.lg.jp)

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