🇰🇭13° N, 103° E 眼差し
カンボジアシェムリアップ州で障がい児・障がい者支援をしているNPO法人スロラニュプロジェクトさんの活動に同行させてもらった時の数枚。
少し場所が変われば価値観も仕組みも文化も全く違うけど、どこにでも似たような悲しいこと嬉しいことはある。
悲しかったことは、
子どもに障がいがあるとわかって逃げた父親がいたこと(シングルになったお母さんを支える旦那さんができたそう)
障がいのある子を産んだら地域の人から陰口を言われたこと
地域の人は差別してないけど親が障がいのある子をずっと室内で過ごさせている家庭があること(カンボジアには仏教のカルマの考えからかる障害者差別観があるとされている)
どの家庭も村長さんも貧しいから障害のある子の家庭への支援は特にないこと
嬉しかったことは、
「障がいがあっても私の大事な子どもです」という言葉を多くの家庭で聞けたこと
障がいのある子が生まれても、日本みたいに医療福祉制度が整っていなくても頑張って育てているお母さんお父さんがいること
意外と地域の人は障害者差別をしていないこと(悪口言ったり、いじめたりということはない)
近所の子たちが寝たきりの障がいのある子のそばに寄ってきて気にしていること
とかとか
はっきりと悲しいこと嬉しいことには分けられないし
医療福祉制度視点でみれば悲しいことなんて日本と比べれば山ほどあるんだけど
過酷な環境下でも今を生きようとしている生命があって、それを愛おしく思って働き育てる親がいて、何ができるわけでもないけど見守る地域の人たちがいて。
そういう、場所を選ばない人間の普遍的な善さがあることを知れた。
そのことが私は嬉しいです。
同じ人間、分かち合えることから始めたい
感情、自然、時間、空間
子を愛おしく思う、動画を見る、ご飯を食べる、友だちを心配する、ねこを可愛がる、雨が止むのを待つ、笑顔でツーショットを撮る
カンボジアはいろんな人がいろんなモノコトを分け合ってくれる場所。
愛の国だって、カンボジア好きな人はよく言う。
私もたくさん分け合える人になる
#世界は分けてもわからない 。しかし、世界は分けないとわからない。だからといって世界を分けたところで世界はわからない。
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