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誰かの笑顔の理由になりたい

人生のテーマについて考えてみた

この記事を読んでくださっている方、ありがとうございます。
今回は人生のテーマとも言える「座右の銘」について考えてみます。

1.早速ですがあなたの「座右の銘」はなんですか?

座右の銘
いつも自分の身近に書き記して、自分の戒めとする言葉のこと。
簡単に言うと、自分が生きていく上で大切にしている言葉のことである。
出典 weblio辞書

座右の銘は四字熟語や慣用句、
偉人の名言などを用いていることが多いと思います。
私も中学や高校で部活をやっていた時は
「不撓不屈」や「必笑(必勝と笑顔の造語)」を支えとしていて
受験勉強の時は「継続は力なり」と自分に言い聞かせて
なかなか結果の出ない時期を乗り越えてきました。

そして今の状況における座右の銘は何か。
これを考えたきっかけは仕事中の些細な一コマで
上司がふと「俺って”人に厳しく自分にも厳しく”をテーマにしててさ…」と
発言したことです。
その通りに振る舞えているかどうかは別として
変わりない日常を過ごし時間を浪費していく中で
自分は何をテーマにして生きているんだろうと考えました。

2.高校時代の生活から考えてみる

私の高校時代は文武両道がテーマになっていました。
部活は野球部でしたが「野球部=馬鹿」のイメージを
どうしても覆したくて頑張っていた思い出があります(笑)
進学校でしたが部活選考型の試験で合格していたこともあり、
他の人に勉強でも負けたくないと思っていました。
授業が終わり20時頃まで練習、すでにヘトヘトでしたが
そこから1時間半ほどかけて自転車で帰宅。
ご飯を食べ道具の手入れをし、自主練をして風呂に入る。
ここで既に0時近くになってしまうし翌日は5時半起き...
でも少しでも勉強しないといけないと思い
暗記作業だけやって寝ることにしていました。

いま思えばとんでもない生活だなと思いますが
当時はそれでも全く苦にならなかったんでしょうね…
高校生の体力ってすごい(笑)
でもそんな生活のおかげもあってか
高校3年間の定期テストでは5番以下を取ることはなく
評定もオール5を取ることが出来ていました。
同じ部活にライバルがいたことも大きかったと思います。

部活でも周りには上手い人ばかりだったけど
「不撓不屈」の精神で食らい付いて練習して
最後の夏の大会まで背番号を貰い続けることが出来ていたし
大会の時は帽子のツバに「必笑」と書いて
ピンチの時はその言葉と仲間の顔を見て心を落ち着かせました。
言葉の力(言魂)を強く感じた3年間だったと思います。

私自身は高校生活を振り返って
文武両道は継続できていたと思うし
それを達成するための努力も出来ていた。
高校時代の自分はとにかく自分のために全力でした。

3.被災の経験から考えてみる

大学進学を考え始めていた高校2年生の冬、
2011年3月11日に私は東日本大震災で被災をしました

私は住んでいた家はもちろん慣れ親しんだ地元さえも失くしました。
それまでは漠然と「どこかの大学に行き、やりたいことを見つけようかな
という考えがあったし、とある大学から野球でお誘いも頂いていたので
そのまま野球を続ける選択肢もありました。
しかし震災が良くも悪くも私の人生を大きく変えたのです。

被災してから地域の中学校の体育館で3ヶ月ほど過ごしました。
(当時の生活についてはまた別にnoteを書けたらいいかな…)
その中で体育館での生活を管理するために
毎日足を運んでくれた方がいました。
後から知ったことですがその方はNGOの方でお年寄りの多い避難所で
私たちの話し相手になってくれていました。
息の詰まる生活の中でその時間がどれだけ心を楽にしてくれたことか。
また学生ボランティアも避難所運営のために力を添えてくれました。
聞けば県外の大学に通う地元の方で「何か力になりたい」と
ボランティアとして活動することを決めて来てくれたそうです。

当時の私には彼らの姿がとても眩しくキラキラして見えました。
自分もきっと大変な状況であろう中で「誰かのために行動する」という
そんな選択が出来る姿に憧れを抱いたことを鮮明に覚えています。

高校を卒業したらあの人たちみたいになりたい
その時から私の進路は既に決まっていたのだと思います。
私は県内の大学に進学しボランティア活動をすることを決めました。
そして震災について情報を集めるうちに当時は仮設住宅での生活を
余儀なくされている方が多くいることを知り、
この方達のために自分はボランティアをしたいと心に強く思い
大学へと進学をしました。

4.大学時代の生活から考える

ある種の期待と希望を胸に大学へと進学した私ですが
この4年間は挫折からスタートすることになります。

入学してすぐ震災ボランティアを行なっている学生団体に入り
1人のボランティアとしての活動を始めました。
一言に震災関連と言ってもその活動は多岐に渡ります。
傾聴活動・学習支援・イベント企画と補助・被災地での瓦礫撤去など
私は色んな活動に参加し、その先々で掛けられる
「ありがとう」という感謝の言葉を力に頑張りました。

しかし数回の活動に参加した後にふと思ってしまいました。
ありがとうと言われるために活動していないか?
自分に対する自分からの問いかけに一瞬、時が止まった感覚でした。
誰かのために行動するという姿に憧れていたのに
いつの間にか行動する目的がすり替わっていることに気付きました。
自分の行動を振り返ってみると確かに心のどこかで
感謝の気持ちを待っている自分に気付いてしまいました。
こんな気持ちで関わってはいけない、活動に参加してはいけない、
私が「ボランティア」に対して考えを変えたのはまさにこの時です。
見返りを求めてはいけない、目の前の人の笑顔のために行動するんだ。

考えを改めてからの活動は本当の意味で楽しかった。
自分が参加した活動で住民の方が笑顔になっている、
自分が企画した活動で住民の方と学生が談笑している、
自分と話している相手が笑顔で語りかけてくれている。
震災のことから世間話まで本当に色々と話した。
辛い経験をしたけどあなたに会えてよかったよ、ありがとう。
涙を浮かべながら伝えてくれた
このありがとうは人生の中で一番嬉しかった。
ただの自己満足かもしれない、
でもその場で泣いてしまうほど心の底から嬉しかった。

震災ボランティアをしているのに
”楽しい”とか”嬉しい”とか思うのってどうなの?
って思う人もきっといると思う。
でも被災・避難生活を経験している私から言わせてもらえば
辛い生活の中にそんな時間が少しあってもいいんじゃないでしょうか?
その時間を一緒に過ごして一緒に笑い合いたい。
笑顔になるためのお手伝いをしたい。
もちろん辛い話を共有することもある。
でも最後には笑って終わりたい。
たくさん辛いことがあったけど楽しい日常もまだある。
そう感じてもらいたいし自分もそういたい。

5.社会人となった今、改めて考える

私は社会人となった今でも活動に参加させてもらっている。
会社の人は「凄いね」とか「偉いなー」とか言ってくれるけど、
謙遜ではなく本当にそんなことではない。
自分がやりたいからやる
最近はコロナの影響があり制限のある中での活動だが
学生の頃に出会った方々とは今でも繋がっているし
プライベートでも遊びに行かせていただくこともある。
学生ではなくなった今でも私の原点に触れる機会があることは
本当にありがたいことだと思う。
日々代わり映えのしない生活の中で精神を削っているのだから
この時間がないと大変な事になってしまうのではないかと思うくらい(笑)

震災があって良かった、なんていう考えにはなれない。
本当に沢山のものを奪われた。悲しかったし辛かった。
でも震災がなかったら今までの出会いもないし
今の自分もきっと存在していない。
震災があって良かったとは思わない、でも、
その中での出会いや経験には感謝をしている。

色んな方の支えがあって今こうやって生きている自分がいる。

私はそんな人たちの笑顔のために生きたい
私と関わってくれた誰かがどこかで笑って生きててくれたら嬉しい。
でもその笑顔の理由の大部分になりたいなんては思っていない。
矛盾しているかもしれないけどそこまで烏滸がましくはなりたくない(笑)
本当に一部分、君と話していた時間も楽しかったよ、くらいで全然良い。

6.終わりに

このテーマで書こうと思い、書き始めてから3日が経過しました。
もう、どんなふうに書いたら良いのか分からなかった(笑)
きっと所々で脱線しているし文章に一貫性が無い...
でも自分の考えを改めるという意味では
時間をかけてじっくりと考えることが出来た。

笑顔、本当に素敵なことだと思います。
ここまで読んでくださっている方はいるかな?笑
あなたの明日に笑顔の場面が1つでも多く訪れますように。

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※加工ではなく偶然撮影できた雲です 笑


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