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7年お世話になったdas.を退職しました

こんにちは、藤井さとみです。1月をもって新卒で入社して約7年ほどお世話になった制作会社das.(デジタル・アド・サービス)を退職しました。今回は退職にあたって、自分がどのような経験をしたのか・どう変化したのかについてお話したいと思います!

入社の経緯と現在

1.入社したばかり、何者でもないわたし

私がdas.に入社したのは2017年の4月でした。周りがよく知られた大企業に就職するなか、比較してそうでもない(ごめんなさい)中小企業に入ったので、とてもドキドキしていていました。
入社してすぐに、自分の名刺が配られました。同期は「デザイナー」と肩書きつきにも関わらず、私は肩書きなしの「」藤井さとみだったことをよく覚えています。社員は美大やデザイン関連の専門学校出身者が多く、私のような総合大学を出た社員はとても少数でした。そのため、私は当時のdas.にとって「チャレンジな採用枠」、肩書きはまだ決められてなかったのです。

2.7年後、現在のわたし

当時肩書きはありませんでしたが、退職直前の名刺には「①チームリーダー・②デザインリサーチャー・③人間中心設計専門家」とちょっと盛りすぎなくらい肩書きができました。(実際は肩書きを削った名刺を使っていましたが…)

名刺Before
「 」藤井さとみ

名刺After
「①組織上の役職、②職種、③有資格」藤井さとみ

②職種と③有資格を得るにあたっての経緯は過去に記事を書いたことがあるので、もしご興味があればどうぞ。(だいぶ前に書いたので、若さを感じる〜…笑 優しい気持ちで読んでいただけると嬉しいです)


das.でどんなことをしたか

1.サービス・ブランドデザイン領域でのクライアントワーク

新潟の老舗和菓子屋さんのブランディング(株式会社百花園様)
70年の歴史を持つ医療機器メーカーのブランディング
アスレチックサービスのコンセプトデザイン・ブランディング

2.採用活動のデザイン

3.マネジメント活動


社員からよく言われた「わたしらしさ」

さて、私といえば!どのような特徴があるか、よく社員の皆さんに言っていただいたこともあります。(主に今回はクライアントワークを除く、内的なお話です)

①「経営や組織に対して、関心があるよね」
②「社外に関心があって、交流しているよね」
③「クライアントワーク以外にも、よく活動してるよね」

このような変化の背景には、どのような要因(経験)があったのかを自分なりに考えていきたいと思います。


「経営や組織に対して、関心があるよね」

例)
・全社員が参加する部署の活動報告会で、よく質問する
・採用活動の担当者として、経営方針を用いて採用方針を立てたりする
・組織改善的な活動を自主的によくやっていた

要因1:自社に対する危機意識を持っていた

もちろん経営的には全く問題ないのですが、das.はこのままでいいんだろうか?という問いを常に持っていました。この意識はどうやって醸成されたのか振り返ってみると「クライアントおよび自社への提案活動」が大きなポイントになっていると思います。
過去、Xデザイン学校という外部スクールに通わせてもらったとき「das.をゲームチェンジさせる提案」をしたことがあります。社内でもクライアントの目に見えて伝えてくださる要望(web作りたいとか)ではなく、その背景を考えて提案しましょうという勉強会も参加しました。
これらの活動を通して「相手に求められたことに対して成果を出す」のが一番ではなく「相手の組織目標に対してインパクトを出す」ことが一番の目標だという考えを得ました。じわじわと。
そのため、組織目標は一体なんだろうか?今の活動は本当に目標に近づいているのだろうか?と問いかける意識ができていったのでは…と思います。

要因2:das.の文化が好き!

何者でもなく、新規事業に携わったり、採用活動やマネージャーもやっていたりしたわたしを支えてくれていたのは、ある役員さんの言葉でした。

「das.は素人万歳だから、素人だからできることがあるんだよ」

そうか、素人なら素人なりに、一生懸命やってみよう!プロにも気付けないことがあるはずだ、多分。と思いながら走っていたらいつの間にか資格(HCD専門家)を取れていました。笑

また、何者でもない私に対しても、チームの皆さんや上長、なんならチーム以外の方も期待を伝え続けてくれたことが私の糧になっていました。

Tリーダー「やってみなよ」(何でもこう言ってくれた)
S課長「(藤井は)スーパーマルチプレイヤーでしょ」
T先輩「(藤井は)das.の宝物だね!」
Kリーダー「チーム違うけど相談乗るよ、この本読んでみたら?」
K課長「信頼してるよ」

〜思い出の言葉たち〜

実績がなくてもあまり気にしないでその人に任せる一見無駄なこともやらせてくれる、そんな文化がdas.にはあり、そこがとっても好きでした。文化は一朝一夕では変わらないので、そんな「好きだ」と思えるポイントがあるからこそ「こうしたい」という気持ちが私に生まれていたのかなと思います。


「社外に関心があって、交流しているよね」

例)
・こうしてnoteを書いている
・HCS共創機構(外部団体)のお手伝いをしている
・自社事例の記事をたくさん書いた
・外部の講座やワークショップによく行く

要因1:自社にロールモデルを期待しなかった

入社してすぐは「数年後までに〇〇さんみたいになろう」と思っていた時期もありました。でも、辛かったんですよ。正直そのポストはその人がいるから埋まっているし、周りにはその人の下位互換(経験の浅い子)と思われる……。
4年目くらいでようやくdas.の誰かみたいになろうと思うのをやめました。そうして外部のデザイナーさんたちの活動に関心を向けるようになりました。

要因2:自社にフィードバックを期待しなかった

誤解ないように言うと、チームメンバーや上長からフィードバックはたくさんもらっていました!!!!それでも社内だけだと視点に限界があると思っていたんです。先輩だけに「教わる」のではなく、もっとたくさんの人(本書いてる人や講座を開いている人やetc)から「ヒント」をもらおうと思っていました。


「組織改善的な活動を自主的によくやっていた」

例)
・新入社員向けマニュアルドキュメントの作成、運用(2018年)
・モーニング3分スピーチの企画、実施(2020年)
・電話番の廃止、代理応答サービスの導入(2020年)
・社内ポートフォリオサイトの企画、デザイン(2021年)
・ブランディングについて社内対話会の実施(2022年)
・社内アワードの企画、実施(2023年)

要因:自己・他者の認識のすり合わせが必要だったから

私は入社の経緯もあり、特に会社から期待される「〇〇先輩みたいな仕事・若手社員が例年やる活動」と「自分がやりたい(得意と思っている)こと」のマッチが難しかったのです。
そのため、私がやりたい中で会社や案件で期待されるポイントはここだ!という部分を「自主的な活動」をすることで、他者へ伝えていたんだと思います。


das.のいいところまとめ

これらの「わたしらしさ」を醸成したdas.での経験を通して、いいところだなと思うところを最後にお伝えできればと思います。

経営に長期的な育成・投資意識がある

育成や投資に対してはかなり寛容で、支援もたくさんしてくださる組織でした。なので、一度das.を辞めて戻ってきた社員も結構います。
会社の育成方針やこうなってほしいという期待と自分がどうありたいかがマッチしていることが重要かもしれません。(そのあたりの舵取りは、現状個人に任されているかも)

未経験なことや、無駄にも寛容な文化

やったことがないことでも、やってみたいと言えば、担当させてもらえました。短期的に考えると無駄なこともたくさんさせてもらいました。(休憩室でお菓子を社内販売してその儲けで備品を買うとか…グラフィックレコーディングを売ってみたりとか…)これによって、自分の専門性に幅ができたと思います。


退職理由とこれから

2023年10月の勤務ルールの変更(ほぼフルリモート→週4出社に)がきっかけです。ちょうど全く同じ時期に夫もフルリモートから完全出社・飲み会解禁になってしまい、家が荒れる荒れる…外食も増える増える…出費も増える増える…ということで、働き方を選べる企業に入社をすることに。
少し長めにお休みをいただいて、4月からはサービスデザイン領域に強みを持つ企業へ就業予定です!

おまけ

いただいた退職金で指輪を買いました

ここまで読んでくださり、ありがとうございました♡

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