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「考える」ためのノート ロルバーンランドスケープ

先日、デルフォニックスさんのノートであるロルバーンシリーズから新商品「ロルバーンランドスケープ」がリリースされた。
ステーショナリー ディレクターとして活躍されている土橋正さんが監修されています。土橋さんの運営するサイトの長年のファンでもある私は、大阪で開催された発売記念イベントにも出向き、土橋さん自らノートの使用方法をお伺いする機会を得ることができました。こちらで少しでも共有できればと思い投稿しました。

商品の分割ガイド等の主要な昨日はデルフォニックスさんの特設ページでもしっかり紹介されていますので、こちらではそこでは載っていないようなイベントでのお話を中心に紹介したいと思います。

「考える」ことを集中できるかどうかは準備から決まっている

土橋さんの「考える」ことへの姿勢は「考えることを邪魔する要素を丁寧に取り除く」ことに重きを置いているように感じられました。そもそも、この「ロルバーン ランドスケープ」というノート。最大の特長となっているのは横長な形。横型である理由は目の焦点を合わせる煩わしさが縦型より横型の方が少ないのが理由だそうです。
確かに目は左右についており、テレビやノートPCなども横にワイドな形状になっています。ノートといえば縦型がほとんどですが、そこで目の焦点を合わせることが気になる・・・ということをストレスだ!と明確に感じている人はあまりいないかもしれません。でもそんな小さなストレス要因を取り除いていく工程が、しっかりと「ロルバーン ランドスケープ」では行われています。
イベントではノート以外にも「考える」ために必要な3つの要素が紹介されていました。それは、「時間」「場所」「道具」の3つです。


「考えるための時間」
日頃、何かを考える・・・とはいってもそのためにスケジュール管理までできているでしょうか?・・・と問われれば私はもちろんできていません。土橋さんの場合はご自身のライフサイクルの中で調子が良いと感じられる午前の10時から10時30分の間の時間を「考えるための時間」として準備されているそうです。企画するにしても、仕事の工夫をするにしても、「しっかり考えなさい」とは言われるものの、忙しくてなにかのついでに考えてしまうことが多い私にとっては、この時間設定は衝撃的でした。

「考えるための場所」
土橋さんの著作として「モノが少ないと快適に働ける―書類の山から解放されるミニマリズム的整理術」という本がありますが、土橋さんは「考えるための場所」もきちんと準備する必要があると考えておられました。人は何かを考えたり、思い出そうとする際に天井等を見上げる仕草をすることがありますが、その理由として「余計なものを視界にいれたくない」というものがあげられるそうです。意識をしていなくても、邪魔なものが目に入ると脳が反応してしまう。白い机の上で余計なものを置かずに「考える」ことで、考えることに集中することができる。これはなにもない会議室の大きな机で仕事をすると捗ったという土橋さんの体験から見つけた要素だそうです。なんならペンについているロゴマークすら自分に向かないように調整されているそうで、徹底されているそうです。ちなみに「理想は茶室」だともおっしゃられていました。

「考えるための道具」
もちろん、今回発売された「ロルバーン ランドスケープ」もそのひとつなのですが、「考えるための道具」選びも考えることの質を高めてくれるそうです。その中でこのノートと組み合わせて使うおすすめな道具として挙げられていたのは「黒鉛芯の筆記具」でした。黒鉛心の筆記具というのは要するに鉛筆のような筆記具を意味しています。小学生の頃はよく使っていたのに、社会に出るとほとんど使わなくなってしまった人も多いのではないでしょうか? 私もそのうちの一人で、ボールペンばかり使っていました。ですが、この「黒鉛芯の筆記具」にはボールペンには表現できないニュアンスを紙面に残すことができると土橋さんは語られていました。確かにボールペンは便利で、情報をはっきり伝えられるような均質な線を書くことは得意です。しかし自信のある考えは強くくっきり、自信がない考え薄く書く・・・といった表現力はありません。多色ボールペンを使えば・・・とも考えることはできますが、3〜4段階しか色分けできず、切り替えのノック音すら「考えることを邪魔する」と土橋さんは感じるとのこと。「黒鉛心の筆記具で書いた字は『立体』で、粘土でものをつくることに匹敵する!」とまで考えているそうです。

「今日の未完成を明日の他人に完成にしてもらう」

イベントでは数多くの土橋さんのノート使いの手法が語られていました。
その中でも印象的だったのは「自分というものは時間とともにたちまち『他人』になってしまう」という梅棹忠夫さんの言葉を「考える」ことへ活用されている姿勢そのものでした。
梅棹忠夫さんのお名前をご存知の方は少ないかもしれません。スマホやパソコンが当たり前な現代より遡ること50年以上前、1960年代には「情報の文明学」「知的生産の技術」という本を出して「誰もが情報を発信する時代がやってくる」とおっしゃられていたすごい方で、ほぼ日手帳でも有名な「ほぼ日刊イトイ新聞」さんでも「ほぼ日の父」として扱われている方です。
「明日の自分は他人と思え」は梅棹さんの信条で、人間の記憶の不確かさから、メモをとる重要さを再三おっしゃられて、その手法を追求されていました。
私はその言葉を「今、しっかり色々と書き残しておかないとだめだぞ! 思い出せなくなるぞ!」という意味としてしか考えず、日々のメモに励んでは挫折したりしてきました。しかし、土橋さんはむしろ「今日の未完成を明日の他人に完成にしてもらう」方法として「かんがえる」ことに取り入れていらっしゃいました。

今日考えていた内容を明日まで覚えていることは確かに難しいことです。そういった意味合いでは明日の自分は今の自分より頼りにならないように思えます。
でも、その場の勢いで仕上げた仕事は、主観が強すぎてあとから振り返ると粗が多い・・・なんてこともよくあります。深夜に書いたラブレターが翌朝読んだらとても出せたものじゃないというやつですね。この深夜にラブレターを書いている最中、文章が客観的にならない一つの理由は、「自分というものを否定したくない」というのが大きな要素になっているように私は思っています。
3Dアニメの制作会社として有名なピクサーでは、作品についてのブレインストーミングをする際に「作った相手を批判せずに、作品そのものについて批評すること」をわざわざルールとしているそうですが、それに近いものを感じます。
誰もが自分の作品や文章を否定されると傷ついてしまう。それは「自分が自分の文章を批評する場合」にも同様なのではないでしょうか。
土橋さんの明日の自分に任せるやり方というのは、「自分を引き剥がす」という言葉でも表現されていました。自分の考えは書くと「自分から引き剥がせる」。これは書き出すことによって自分の頭の中身が文字通り「物体」になる。更に1日置くことによって他人になった自分ならば、昨日は気づけなかったミスにも気づくことができるようになるかもしれない。
未完成で1日でノートを完成させられないことを悩まず、ポジティブに捉えて未完成を許す。そして、数日に分けて仕事をすすめていくことで、「考え」や「仕事」の質があがっていく・・・というのが最も印象的な土橋さんのノート術でした。

ちなみにこちらのノートはdocket storeでも販売しておりますので、ご興味ある方はぜひぜひ。店頭でもしっかり展示させていただいておりますし、ここではご紹介しきれなかった内容もお伝えさせていただきます。ぜひお気軽にお立ち寄りくださいませ。




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