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【映画感想】シェルブールの雨傘/Les Parapluies de Cherbourg
「フランス人は恋愛に積極的だ。」
完璧に偏見だと思うのだが、そんなイメージの根元にあるのはフランスを舞台にした小説や映画がロマンチックな恋物語であることに由来するとぼくは思う。
そんなロマンチックな恋物語の1つに「シェルブールの雨傘/Les parapluies de Cherbourg」という映画がある。
LA LA LANDのオマージュ元として最近また評価されていて、ぼくも例に漏れず手に取ったわけだ。
今日はそんなフランス映画の名作について語ろうと思う。
この映画の公開は1964年。50年以上も前の作品である。
主演女優であるパッケージの人はCatherine Deneuve(カトリーヌ・ドヌーヴ)。フランスを代表する大女優らしい。シェルブールの雨傘はそんな彼女の出世作でもある。
それにしても、もはやフランス人形と言っても差し支えないぐらいの美人だ。
彼女は2017年現在、73歳。
Wikipediaに最近の画像があるのだが、老けてはいるものの美しさと品を感じる女性である。
・・・
本作の特徴として、ミュージカル形式であることが挙げられる。
ただ、このミュージカル形式が普通じゃない。
セリフが全て歌になっているのだ。
そもそも、この時代においてミュージカル形式の映画はそんなに珍しいものでもない。
詳しくは知らないけど、この映画が公開される10年以上も前に「雨に歌えば」があるのだし。
だけど、流石に全セリフが歌なものは当時珍しいかったんじゃないかな。
その点がこの映画の特徴的なところである。
そういうわけで、この映画のサントラはフランス語がわかる人にとってオーディオブックと化す。
まさか、ラストシーンのセリフまで完璧に入っているとはね...。
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物語の方はというと前述の通りラブロマンス。しかもコッテコテな奴。
自動車整備士のギィと「シェルブール雨傘店」の娘ジュヌヴィエーヌとの恋物語を三部に分けて丁寧に描いている。
第1部がギィが軍隊に行く前、第2部が軍隊にいる間、第3部が軍隊から帰ってきた後、そして明確な区切りは無いがエピローグといった感じだ。
この4つの部の中で彼と彼女を取り巻く状況が移り変わって行く。
ところで本作の舞台は1957年〜である。この時期、フランスはアルジェリア戦争の真っ只中で、シェルブールは軍港のある港町だったりする。まあ、知ったのは映画を観終わった後なのだけど。
そんな50年代末のフランス、しかもパリほど華やかでない港町シェルブールの雰囲気は独特な魅力を放っている。そんなバックグラウンドも見所だと思う。
ではネタバレ無しはここまで、以降はネタバレ有りになる。
どの映画もネタバレ抜きには語れないが、恋愛映画ほど難しいものはないと思う。ネタバレ抜きで映画の記事を書ける人って凄い。
余談だけど、昔の映画ってどこまでネタバレしていいかわからない。
有名な映画の場合、内容を観てなくてもどこかで重要なシーンを知っていることが時たま存在する。
例えばダースベイダーの正体とか。
「周知されているもの」としてそれを語っても良いか。
ただ、ぼくはなるべく「結末に関しては匂わせても断定しない」というスタンスを取ることにしている。
さて、この映画の場合「悲恋である」という前提で語っても良いかということが問題になる。
そう、ギィとジュヌヴィエーヴは結ばれない。
第1部ラスト、汽車に乗ってシェルブールを旅立つギィ。それを見送るジュヌヴィエーヴ。
それが彼と彼女の最期だった。
そして、彼と彼女は5年後の雪の日に再会する。
上記画像のシーンである。
ぼく、このシーンにめちゃくちゃ心をやられた。
一応、何と無くわかってはいたし心構えはしていた。
ギィの幼馴染のマドレーヌや「シェルブール雨傘店」の経営難に現れた宝石商ロンサールの存在。
そして何よりTSUTAYAのパッケージ裏かどこかにも「悲恋」ってバッチリ書かれていたこと。
LA LA LANDは完全に不意打ちだったけど、本作に関しては完全にわかっていたのに...やられた(流石に泣きはしなかったが)。
このX年後の再会、それ自体が心を揺さぶられる出来事なんだろう。
いわゆる「エモい」出来事。
そんな経験がぼくにもある。
数年前、ぼくは中学から高校にかけて好きだった女子と隣町のスタバで再会した。
その再会は特に何事も無くその後の関係性にも繋がらなかった(繋げなかった)のだけど、ぼくの人生史から見たら結構な大事件で。
そういう思い出は大小問わずみんな持ってるんだろうか。
心のバッグの「たいせつなもの」から時々取り出しては眺めているのだろうか。
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ほんと、この5年後の雪の日のシーンが何とも言えなくてサントラのラストで心が痛くなる。
多分、このシーンを撮りたくて映画を撮ったんじゃないかな。ジャック・ドゥミ監督は。
マドレーヌと結婚し、自分のガソリンスタンドを立て子供のフランソワと幸せに暮らすギィ。
ロンサールと結婚し、ギィとの子供であるフランソワーズ(ここ本当にロンサールがめっっっちゃ紳士で憎めないところ)とパリで暮らすジュヌヴィエーヴ。
マドレーヌがクリスマスの買い物に出かけたそのタイミングで停まる一台の黒い車。ギィと知らずに声をかけるジュヌヴィエーヴ。
顔を合わせ、「ll fait froid(寒いわね)」とポツリと話しかけるジュヌヴィエーヴとその時のギィの表情が...もう。何とも言えないのだ。
カトリーヌ・ドヌーヴとギィを演じるニーノ・カステルヌオーヴォの演技力に脱帽である。
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ところでこのラストシーン、そこまでセリフの量が無かったりする。
サントラの該当するトラック「Finale」の長さは4:55。尺的にそこまで長くないはずだ。
しかし、この5分弱にこの映画の全てがかかっていると言っても過言ではないとぼくは思う。
先ほどの「寒いわね」と話しかけるシーンもいいのだけど、本編最後のセリフも印象的。この記事のタイトルにもなってるこのセリフだ。
ジュヌヴィエーヴ:「toi tu vas bien?」
ギィ:「oui très bien」
これが色々と考えさせられる(参照)。この言葉については未だに考えてが纏まらない。
ただ、切なくてロマンチックで...大人な言葉だと思う。
第1部で幸せな2人を描き、第2部と第3部で2人の選択と別離を描くからこそこの言葉が活きてくる。
2人がそれぞれ別のパートナーと幸せになって、その事を完全に受け入れた上で「toi tu vas bien?」と話しかけるのは22歳(推定)にしては随分と成熟した考え方だと思うのだけど。少なくとも22歳のぼくには無理だ。
この「受け入れる」という言葉。これが今作のポイントな気がする。
ロンサールはコブ付きのジュヌヴィエーヴを受け入れるし、マドレーヌも自分がいない間に去った彼女を忘れられず酒と女に溺れるギィを受け入れる。
そこには状況的な問題と様々な葛藤があるのだけど、それらを登場人物たちは1つずつ取捨選択して最終的には幸せな日々を送るようになる。
ジュヌヴィエーヴの母のセリフに「時間が解決してくれる」というものがあるのだけど、その言葉は本作を象徴しているのかもしれない。
現にラストの「très bien」はそういうことだと今は思っている。
ただ、その解決結果がどんな色合いを帯びてくるかは人それぞれなんだろう。
その点、ギィとジュヌヴィエーヴの2人の結末は非常に美しい色合いを見せてくれた。
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色々と書いたけど、とにかく本作は予想以上に心が揺さぶられる映画だった。
結末もわかっていたし、ラブロマンスというジャンルをナメてたというのも無くはない。
しかし、そんな先入観を吹き飛ばすほどの音楽と演技。それらが1950年代後半のフランスの風景と相まって独特かつ素敵な雰囲気を持つ作品になっていた。
それにしても、最近のぼくはフランスという国に憧憬を持ってしまった気がする。
最期の「très bien」は和訳が「幸せ」だったら「le bonheur」じゃないのかと調べていたらいつの間にかフランスという国が気になってしまっていた。
もちろんルグランや先日名古屋ブルーノートで見たフランス海外県「グァドループ」のミュージシャンの影響もある。
そういうわけで、今度はジャック・ドゥミ監督の次の作品である「ロシュフォールの恋人たち」をレンタルしようと思う。
今日はここまで。
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