記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

いんこ、あんたどんな気持ちでそんなこと言ってたの

『七色いんこ』は2度目がおもしろいんですよ。
 
今回も、最後に明らかになる主人公の正体の話をするので、
手塚治虫『七色いんこ』を読み終えていない方はバックでお願いします。
 
 
↓↓ほとんどネタバレしていない記事はこちら↓↓

↓↓↓以下はネタバレですよ!↓↓↓
※文庫版(全5巻、秋田書店・H9年)を元にお話しします
 

ネタバレ前に、ニャンクッション

男谷マモル―彼女を他の男にとられない完璧な方法

まずですね、男谷マモルですよ。
いんこにしかできない方法で、ああーあああ!!(ゴロンゴロン)
 
……よし落ち着け。
いんこは作中でどんな人物にも(老女にも!)変装するが、本来の彼自身に最も近い変装が男谷マモルである。
目からコンタクトレンズのようなものを外す(カラコン的な?)と、そこにいるのは陽介。(いかにもマンガ的でよい)
 
男谷は千里刑事の父が見繕ったお見合い相手として登場する。
もちろんあらかじめ布石が打ってあり、いんこが朝霞モモ子を探して千里刑事の父にたどり着いた際にした変装が男谷マモル。そのキャラをそのまま利用し、いんこは千里刑事の旦那候補に名乗り出てきたのだ。
 
……改めて考えるとすごくないですか?
愛するモモ子=千里刑事も二十代半ば、いつ結婚させられてもおかしくない。(時代は昭和なので)
絶対に誰にも渡したくない。他の男は一人も寄せつけたくない……
……そうだ、自分が旦那候補になればいいんだ!!
 
……こゆことやろ?  
……
……
 
……いんこお前ってやつは!!!!!
好き!!!!

再読すると気になるセリフ

……で、改めて読むと、
「なにもぼくと結婚するとはいってやしないよ」(4巻 p.12)
とかほざいてやがる。
 
ここは少なくとも2つ読み方がありそう。
1.とか言ってお前自分が結婚するつもり満々やんけ
これは説明不要。
 
2.自分が彼女と結婚する未来は実際考えにくいので
こっちだと切なさが限界突破してしまう。
 

↑の記事でけっこう長々書いたが、
二人の単純なハッピーエンドは実現が難しそうなんですよ。
いんこは自分が復讐のために死ぬ未来をかなり現実のものとしてとらえている。
だとすると、「ピグマリオン」でヒギンズ博士の役を演じて、「じゃじゃ馬ならし」をすることで、
せめて彼女の人生に足跡を残そうという……あああ。
もちろん、単純に千里刑事の珍しい姿を楽しんでた面もあるだろうけど。
 
さて問題になるのが、
いんこ―陽介
千里万里子―モモ子
 
この組み合わせ。
 
いんこが好きなのはモモ子か? 千里刑事か?
そのいんこは、いんこなのか? 陽介なのか?
記憶を取り戻した千里万里子は、千里刑事なのか? 朝霞モモ子なのか?
彼女が好きなのはいんこなのか? 陽介なのか?
 
この複雑極まりない4者にして2人、
どうあがいても切ない……!!
 
 

どんな気持ちでそのセリフ言ってたの?①

やれやれ おたくはよっぽどそういう世界とは縁がなく育ったんだなあ…

七色いんこ ②p.10

捜査の一環でピーター・パンの劇に出演することになった千里刑事。学校で劇に出たこともない、ピーター・パンも見たことがない……と言う彼女にいんこがつぶやいたセリフ。
初めて読むときは、大半の読者がサラッと流してしまうだろうくだり。
 
もともと、彼に芝居のすばらしさを教えてくれたのは、朝霞モモ子だった。
変装して別人になりきることに慰めを見出していた陽介と、演劇が好きなモモ子。
二人は意気投合し……という甘酸っぱい青春時代があったことを踏まえると、
お芝居のことも自分のことも、すべて忘れてしまった千里刑事を見なければならないいんこの気持ちやいかに。
 
もちろんこの時点で、読者もモモ子のことは知らないが、
読み返すとああ……ってなるポイントだ。
 
モモ子ちゃん。君じゃないか。
おれに芝居への愛を吹きこんでくれたのは、君だったじゃないか。

どんな気持ちでそのセリフ言ってたの?②

芝居ってのはね刑事さん…
相手に生きる元気をあたえるためにあるんだぜ… 

②p.140

いんこ・千里刑事お泊り回で、馬が死んだ父馬の演技をしていたことが発覚したくだり。 
 
『七色いんこ』では芝居について、演じるということについて、何度も語られる。
いんこにとって芝居が最終的になんだったのかというと、命をかけた復讐であり、武器としての演劇、ということになってしまいそうだ。
でも、それだけではないはず。
 
いんこは芝居に魅せられている。優れた役者に教えを乞い、芝居を学び直そうと決意するシーンさえある。
演じることで、生きがいを感じる……別の人間、別の人生、別世界……
(彼にとって、芝居は同時に抑圧でもある。24時間他人を演じている彼は心身症を患ってしまう)
 
引用箇所は、客との関係を語っているように取れる。
演技とは、つまるところウソだ。
でも、相手に生きる元気を与えるためのウソなのだ。
 
いんこの演技も究極的にはモモ子のため。
千里刑事の内に眠る朝霞モモ子のためなのだ。
 
作中の9割以上においていんこは千里刑事の前で演技をしつづけるが、
最後に愛は報われたんだから、それでよかったんじゃないか、
と泣けてしまう。

一方で、最後に素顔を見せた「彼」は何者なのか、という問題が残る。

七色いんこは何者か

インコという鳥には「人まねがうまい」という性質がある。
 
七色いんこはどんな役柄でも演じられる、誰にでも化けられる。
一方で、自分自身がないために、「人まね」でしかない、役者としては不完全だと本人は自嘲する。
並外れた人まねの才能はむしろ、盗み(変装・逃走)において最大限に生かされる。
千里刑事に泥棒稼業から足を洗って芝居に専念するよう諭され、役者はそんな甘いもんじゃないんだ、とはねつけるシーンがあるが、実はいんこの本領は泥棒なのではないか。
天才役者泥棒、の「天才」は、むしろ「泥棒」にかかっている。
そのことへの忸怩たる思いが(無意識にせよ)あって、ああいうつんけんした態度になったのかも、と思うとなんとまあ愛しいことだろう。
 
さてインコという鳥は「鳥籠におしこめられている」鳥でもある。
 
七色いんこも、千里刑事の夢の中ではあるが、鳥籠に入れられている(かわいい)。
そして、いんこの中には陽介が閉じ込められている。
 
彼は四六時中「七色いんこ」(と彼が演じる芝居の人物)を演じて、陽介を最後の最後まで外に出さない。
 
いや……陽介は、外に出られたのだろうか?
約十年、四六時中「七色いんこ」として生きてきた彼、「鍬潟陽介」を閉じ込めてきた彼は、もう「七色いんこ」以外の何者でもないのではないか?
 
こんな理屈をこねくり回してまでも……いんこに消えてほしくない。

私だけじゃないと思う。
かっこつけても決めきれない、キザっぽいのに憎めない可愛いいんこを、読者はめでてきたんじゃないか。
たとえ陽介にとっての檻であったとしても、いんこにはそのまま存在していてほしい。
陽介とモモ子が再会したとしても、
いんこと千里刑事のドタバタラブコメも続いてほしい。

 
これは叶わない夢なんだよなあ。
 

七色いんこ一世一代の大バクチ!

①p.104

これね、私好きなんです。私の「一世一代」は七色いんこから。
このセリフを千里刑事にニヤっと投げかけてから、最後の舞台に出て行ってほしかったんだよなあ。
 
でもそうじゃないところにこの作品のリアルがあるし、あのエンディングの凄みがあるので……
 
 

↓↓進行中の「聖闘士星矢」妄想はこちら↓↓

 

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?