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「星の民のクリスマス」古谷田奈月

古谷田奈月の本は全て読んできた、はずだ。
今年は『フィールダー』を読み、首ねっこつかまれて引きずり込まれるような読書体験をした。
一作一作、違った角度から驚かせてくれる。
 https://amzn.asia/d/7jdBBuj

その古谷田さんのデビュー作『星の民のクリスマス』について話したい。
これほどの傑作なのにnoteに記事がほとんどないのはなぜ?
  
※後半はネタバレです。注意書きを出します。
 
日本ファンタジーノベル大賞受賞。
これだけで「なら読むわ」ってなる人もいるだろう。
ぜひそのまま読んでほしい。
本屋になくても、図書館にはあるはずだ。
 


物語の始まりと登場人物

歴史小説家が4歳の娘のために物語を書いてクリスマスにプレゼントする。
サンタクロースやトナカイが登場する、かわいらしい小品だ。娘はその物語を覚えこむほど愛読する。
それから6年後のクリスマス・イブの晩。娘は星を見に家を出たきり行方不明になる。彼女は父が創造した物語の世界に迷い込んでしまったのだ。
父が書いた単純な物語からは想像もつかないような、長い歴史を持った社会がそこには広がっていた。
娘はその世界でトナカイの役割を果たす銀色配達員に保護され、彼の娘となって暮らしはじめる。
一方、父も娘の後を追い、自らが創作した世界に入り込むが、実体のない影になってしまい……
 
☆歴史小説家
カマリの父。「町」では実体のない影となる。
 
☆ズベン・エス・カマリ
小説家の娘。↑は愛称。「町」に入り込んだときは10歳。
手紙を書くのが大好き。
 
☆銀色配達員
町に2人しかいない高等配達員を務める30歳すぎの男性。
カマリを発見し、彼女の父となる。
非常に優秀だが苦労人。小さい頃に両親をなくしている。
ギイとはかつて兄弟のように仲がよかったが、あるとき決裂。
 
☆ギイ
「キツツキの子」。12歳。
天才児で、学者として既に実績がある。町の人々に一目置かれている一方、人づきあいが極端に苦手で友達がいない。極めて生意気で傲岸不遜。
銀色配達員に反発し、目の敵にしている。
 
☆金色配達員
銀色配達員のバディ・上司。銀色に「おやじさん」と呼ばれている。厳しくもあたたかい心の持ち主。

雪の町――物語「ことしのおくりもの」の世界

歴史小説家が4歳の娘のために書いた短くやさしい物語が元となっている。
年中雪が降り積もっていて、夜空に星は見えない。
住民たちは本名を持たず、通称で互いを呼び合っている。
年に一度の「配達日」にスノーモービルに乗って高等配達員(金色・銀色)とキツツキの子が「外」へ「贈り物」を届けにいく。しかし「外」との交流は絶無であり、物も持ち帰ることはできない。ましてや「外」から来た人間などもってのほかである。つまり、カマリは「町」にいてはならない存在なのだ。

ネタバレの警告

ここから ネタバレです
個人の解釈を書きなぐっています
私なりの読み方ですが、興をそがれる人もいると思うので注意です

なんて素敵な表紙なのだろうか この表紙が好きな人はぜひ読むべき


物語の世界に入り込む、といえばミヒャエル・エンデの『はてしない物語』がまず浮かぶ。
バスチアンはファンタージエン世界を冒険し、最後には父のもとへ、現実世界へ戻る。
 
ところが、『星の民のクリスマス』では、カマリは現実世界に戻らない。
「配達日」に贈り物を届ける金色・銀色・ギイとともに夜空をゆくエンディングだが、
彼女は現実世界に戻らないだろう。
3人とともに、雪の町へ戻るだろう。
そこが、彼女の居場所だからだ。
 
筆者がエンデの愛読者であることを考えると、やはりこれは『はてしない物語』のオマージュ作品だろう。
「ゆきて帰りし物語」に対し、
「ゆきて帰らぬ物語」を提示した。

最後の1行をどう受け取るか①

「私」。
この世界の創設者。小説家の父。
あなたは、いつから、この話を書いていた?
 
猟奇的な殺人事件で両親をなくした銀色配達員はカマリに語る。
おばの話した物語を、信じている、と。
彼はそれが「作り話」と知りながら信じるのだ。
「君の信じるものだけが、君を守る」(p.212)
 
幽閉されたカマリに、父の影が現れて言う。
「めいっぱい、都合のいいことを書いてしまえ」(p.231)
カマリ自身が書いた物語が、彼女を脱獄させる。
カマリは奇跡の復活を遂げる。
 
初めて読んだとき、ラスト1行に衝撃を受けた。

彼女が探しているのは星ではない。彼女は、きっと、私の姿を探したのだ。 

星の民のクリスマス (p.248)

なぜ、父は影としてしかこの町に存在できないのか。
本体は、現実世界にいて、その投影だからだ。
本体は、「外」でこの物語を書いているのだ。
 
娘を突然失った父親が書く物語。
もう戻ってこない娘。
なぜ? どこへ行ってしまったのか?
 
あの大好きな物語の中に、彼女は帰ったのだ……
あの町こそが、カマリの本当の故郷なのだ……
そこで、よき人々に囲まれて幸せに暮らしているのだ……
 
自分が信じたい物語をつくり、現実を変える。
 
年に一度の「配達日」、カマリ、ギイ、金・銀配達員は再会を果たし、
一度は失われた家族の絆が修復されていく期待感・高揚感の中で物語は終わりを迎える。
 
物語はその役割を終えたのだ。
最後に地の文に初めて姿を現した「私」、書き手の心が十分慰められ、十分信じるに足るものが書けたと満足したから。
 
クリスマスの日だけ、「外」へ出て、また雪の町へ帰っていく娘。
クリスマスの贈りものに父が望むのが、幸福な娘の姿でなくてなんだというのか。
そして、一瞬だけ、幸せを運んできてほしいと。
ひとときの間でも、戻ってきてほしいと、自分を思い出してほしいと、願わないはずがないのだ。
 

「配達」と「救出・解放」

「配達」が物語のテーマ。珍しい気がする。
英語で「配達する」はdeliver。
ジーニアス英和大辞典によると、deliverの原義は「手もとから自由にする」。
liberate「自由にする、解放する」の意味を内包する。
「配達する」のほかに、
「手放す」
「救い出す」などと訳される。
 
(「主の祈り」の英語版は「悪より救いいだしたまえ」が
deliver us from evil. となっている)
 
「配達日」にカマリは牢獄から「救出」される。
 
そして、書き手の父もまた、彼女を「解放」したのだ。
彼女が消えて1年たつ、この日に。
 
こういったことを筆者が意識したかはわからないが、興味深い符号に思われる。

最後の1行をどう受け取るか②

さて。得々と自分の「解釈」を披露してしまったが。
本作、一つの解釈に収束するような物語のはずがない。
 
ということで、せめてもう一つ、別の可能性を探りたい。
カマリが最後に探した「私」は何者なのか。
 
「町」から「外」へ飛ぶスノーモービルの中で。
カマリが感じ取ったのは、物語の「外」の枠をさらに超えた書き手、ではないだろうか。
 
物語としてスタートしたはずの「町」がこれほどの歴史と内実を備えうるとすれば。
カマリが元いた「外」も、誰かが書いた物語かもしれないのだ。
 
「外」も含めた全世界が「テキスト」である可能性。
ラスト2ページはギイがメタフィクショナルな発言をして、金色は全くわからないし、銀色も相手にしない。
物語が終わったら、どうなるのか?
その答えは、誰が持ちえるのか?
そのような問いに、カマリは覚えずして、父親の歴史小説家をも超える高次の「書き手」の存在を見上げようとしたのではないか。

 テキストの存在を知る彼女は唯一、少年の質問の真意を理解していたが、それに答える代わりに天を仰ぎ、見回した。見えない何かを見出すように。それを恐れ、求め、知るために。

p.248

この部分を読むと、彼女が探していたのは歴史小説家の父親、という読みはだいぶ怪しくなる。
いまだ知らぬ大いなる存在を、彼女は「町」と「外」の狭間で察知したのではないか。
 
超越者たる書き手。それを作者=古谷田奈月と考えるのは安易にすぎるだろう。
ここには、物語が無限に開かれ、現実世界を吸い込んでいく瞬間が現れているからだ。
本の中のキャラクターが書き手=世界の創造主を探している。
読者もつられて、闇の夜空を見上げる。
 

求む、文庫化

なんだかぐちゃぐちゃ書きつらねてしまったが、解釈だのなんだのは一切置いておいて、本当にすばらしい、豊かな物語。

再読して、ギイが記憶の3倍生意気というか手に負えないクソガキ(笑)だったが、
なんて不器用なんだ、とほとんど感動すら覚えた。
幼さと異常に発達した知能が同居すると、こんな厄介なことになるんだな……
「ギフテッド」という言葉が近年よく聞かれるようになったけど、ギイもそれなんだよね。
そうか、gift「贈りもの」を与えられた者、か……
 
彼は自分の力で自分の過ちの償いができたからよかった。
ここで思い出されるのが『プラネタリウムのふたご』(いしいしんじ)の栓ぬきで、……とこれはまた別作品のネタバレになってしまうので控えたい。
 
ギイの「ジジ孝行だろ!」(p.246)も好きなセリフ。
銀色が父親のように慕う金色を指して言っているが、
もう一度家族になろう、という仲直りの言葉なんだね。
直接、銀色に謝ったりはできないんだけど、こういう形で言うんだ。かわいいな。
この二人のねじくれた関係もたまらない。
 
 
とにかく、『星の民のクリスマス』、ぜひとも読んでいただきたい大傑作ファンタジーなのである。
2013年刊行だが、なんとまだ文庫になっていない。
あのかわいさとダークさが両立した素敵な表紙をそのまま使って、すぐにも文庫化してほしい。
そしてより多くの人の目にふれてもらいたいものである。


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