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【詩】手紙 /ぬいぐるみの日々

宇宙の私に手紙を書いた。
私が何の機械で私をコントロールしているのか、
教えてほしかった。
 
私は書く。果てしなく書く。
世界を埋めつくし、積み上げ、押し広げ、
それでも書く。
宇宙の私よ、住所を教えてほしい。
そうでなければ、どうして手紙が君に届くだろう。
だが私が手紙を書いて君にそう聞かなくては
君は何を私が知りたいのかさえ
わからないだろう。
 
だから、
私は書く。果てしなく書く。
この地を埋めつくし、
くずれないように積み上げ、
字をつみきのように。
青空も暁の光も鉛筆のしんに消える。
空気も水も巨大な封筒の中へ。
 
そして、さらに私は書く。
この星は私の書く手紙でふくれあがる。
そして、隣の星にぶつかる。
私の星は軌道を変え、
すりばち状の宇宙を滑り降りていくのだ。
 
その時君も気づくだろう。
手紙は宇宙の風に朽ちても
私が、君を知っていたのだ、と。

Z会の雑誌・AZEST 第9回 誌上文化祭の詩部門で銀賞を取った作品。
改行をいじっただけで、ほぼそのままあげてみる。
高校生の自分が書いたものだから、ここにあげてもまあ怒る人はいないはずだ。
(私が本当にコレの作者かは、信じてもらうよりほかにない)
 
高校生の頃は、ミヒャエル・エンデの『鏡のなかの鏡』の影響下にあったこともあり、私は「現実ってなんだろう」という答えのない問題をかんがえるともなしに考える、という途方もなく無駄な日々の過ごし方をしていた。ある意味高校生らしいのか。
 
「私」の主体はどこか全く別の場所にいる、という想念・妄想は、私を不安定にさせていた。
際限のない自己拡大は、希薄な自己の裏返しだった。
 
このころ私はまだ小説もどきや詩もどきをノートに書きなぐっていた。
いつ、それをしなくなったのか。
現実が忙しくなってからだ。私が、実質的に現実生活を営みはじめてからだ。
 
そんなことを考える暇がなくなった。空想で遊ぶ暇が、なくなった。
 
私はとりあえず、目の前のことに取り組み、それだけで日々は過ぎていくようになった。

 
初めての「将来の夢」は作家だった。5歳。
紙に書いた(いったい何を書いたというのか?)お話しを、母がホチキスでとめて「製本」してくれたのだった。
「○○ちゃんは自分の世界を持っているのよね」
友だちは少なかった。3人しか思い出せない。
しかし家にはぬいぐるみの大家族がいた。
特におきにいりの2体を主人公に、いくらでもお話しが書けたし、しゃべれた。
 
私が、中学生のころに書いた小説を探していたら、母はむしろ、幼稚園~小学校時代のホチキス本を見つけたいようだった。
「絶対捨てるはずない、どこかにある」
私の中高時代のノートや原稿は見つかったが、(それとともに今回の詩が見つかったのだが、)
ホチキス本は大捜索をしたにもかかわらず、いまだ見当たらない。
 
市販の原稿用紙やノートといった文明の利器を用いた中学時代の小説もどきでさえ、いわゆる「黒歴史」状態なのだが、
それ以前となるともはやなんと言っていいのか。
むしろ「微笑ましい」ということになるのだろうか……
 
一緒に見つかったぬいぐるみノートは1ページめからふるっていて、
「けっこんしたじゅん」リストがある。
「夫」「つま」「子」……なんだろう、この「当時マイナス2才」とあるのは(汗)
親の結婚から逆算してるのか。謎が深い。
ほかにも、「IQ」リストや、ぬいぐるみたちの学校の概要が記されている。
「しゅーがくりょこうは、5年生以上が行く。」とあり、
5年 地球日本東京ディズニーランド5泊6日の旅
11年 地球屋台めぐり12泊13日の旅
などが計画されている。「16年生」では「宇宙一周旅行50泊51日」。なんてこった。
「地球」が漢字で書ける年齢でこれだという衝撃があるが、
まあなんと自由で楽しい時代だったことだろうか。
 
昔から妄想たくましかったことが改めて確認された。
三つ子の魂なんとやら、妄想の習慣は私の心の水面下に潜んでいたようで、
「大氷原の小さな家」もその系譜に連なってるんだなあと思うとため息が出てしまうのであった。

(写真は20年我が家に滞在なさった猫・ミーヤ様)

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