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「教育困難校」とか言ってねえでとっとと廃校にしちまえ

「教育困難校」という言葉をご存じだろうか。
明確な定義は無いが,Wikipediaには次のように記載されている。

生徒の授業態度や学力の低さ,非行や校内暴力などの問題行動が原因で教育活動が困難な状態にある学校

かつては「底辺校」という呼ばれ方をされた時代もあったが,言葉がまずいと思ったのか,自治体によっては「自己啓発指導重点校」などというフワッとした誤魔化しの名称になっていることもある。
私が勤務した経験のある学校にも,指定こそされていなかったものの,内情はまさしくこれそのものだった場所がある。
毎日何かしら指導しなければならない案件が発生し,授業をしに来ているのか事情聴取をしに来ているのか分からなくなった時期すらあった。
そこで強く感じたのは,「教育が困難になった時点で学校としての存在価値など無いのだから,とっとと無くせばいいのに」ということだ。
今回は実際に勤務した経験から,この過激なタイトルを付けた理由を綴ることにする。

何のために存在するのか

教育基本法第3条教育の機会均等は,下記のように定めている。

すべて国民は,ひとしく,その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって,人種,信条,性別,社会的身分,経済的地位又は門地によって,教育上差別されない。国及び地方公共団体は,能力があるにもかかわらず,経済的理由によって修学困難な者に対して,奨学の方法を講じなければならない。

どんな人間であろうと,学校教育を受けたいのであればそれを拒否する権利は無く,たとえ生活に困窮するレベルであっても,教育に関わる費用については税金で賄わなくてはならないということだ。

つまり,どれほど関わりを持ちたくないと思うレベルの生徒しか集まらないとしても,学校に来ようとしている以上その受け皿を用意せねばならず,しかもその費用は国民の血税から捻出しますよということだ。

不祥事まみれで犯罪行為も厭わず,気に入らないことがあれば暴力も辞さない社員が多数いる企業など,あっと言う間に立ち退きの標的になって倒産するに決まっているのに,何故か学校では同様の出来事があっても同じ結末になることが無いのは,上に書いた通り,学校として存在させたくなくても存在させなければならないからだ。
あなたのお住いの近くにある,何年も生徒の数が少ない状況が続いていたり,とにかく存在そのものが迷惑だとみんなが思っていたりと,無くした方が平和なのに何故無くならないんだろうと思っている学校も,これに該当しているのである。

学校も教員も嫌いなのに,何故か欠席しない

教育困難校と化した学校は,得てして近隣住民からの評判が最悪である。
実際に経験した例を挙げると,すぐ近くのコンビニからは入店禁止を通達され,登下校時の交通違反を注意されれば逆ギレし,周囲の迷惑を考えず昼夜を問わず外で大騒ぎするものだから,苦情の電話が事務室に頻繁に掛かってくる。
まあ以前も言った通り,苦情はその生徒の家族に寄せ,事と次第によっては警察に通報していただくのが筋なのだが,逃げられてしまったり暴力を振るわれそうになったりしたら連絡先を聞くこともままならないだろうから,怒りをぶつける先が制服から推理された学校へ向かうのだろう。こちらからすれば,知らねーから当人同士で喧嘩してくれやという話だが。

校外でもその調子なのだから,当然校内で従順な人間でいられるわけが無いのは想像に難くない事だろう。

授業中は私語をしたくて我慢出来ない,何度制止しても繰り返す,終いには不貞腐れて寝る,下手すりゃ暴力沙汰,教員に声を掛けられても無視して通り過ぎ,会話が成立しないどころかそもそも会話が始まらない,話を聞こうとしないから期限を守ることなど出来ない,定期テストに向けた学習を全くしないで本番当日を迎える,テスト中に喋ろうとする奴がいる,制限時間を過ぎても答案に書き続けて0点扱いの特別指導を食らう,それでも何とかならないかと懇願してくる…

まだまだ挙げられるが,さすがに当時を思い出してイラついてきたので,この辺りでやめることにしよう。

久々に実体験した悪行の数々を書き連ねたが,よくもまああんな場所に満期まで在籍したものだと今では恐ろしくさえ感じる。
朝のホームルームに行けば,毎日2桁人数の生徒がおらず,遅刻や欠席の連絡が入っているなら良い方で,基本的には自分の子供がそんな状況にあるということを認知している保護者は少数派のため,全ての家庭に連絡を入れ,授業をこなしながらそいつらを待ち受け,理由を聞いては小言を言うのが日課となっていた。
そこから登校するならまだしも,「遅刻してでも行くよう伝える」と保護者からの返答があったにも関わらず結局欠席するパターンなど慣れたものだった。

彼らは学校や教員が好きだから来ているのではない。むしろ,学校に来る意義や教員との時間など毛ほども有益だと感じていないし,学校生活や教員を忌み嫌っているパターンまである。
では彼らが何をしに学校に来ているのかというと,別に授業を受けに来ているわけでも,部活動に明け暮れるわけでも,行事を盛り上げようとするでもない。
彼らは,ただそこにいる気の合う奴らとワイワイ楽しく騒いでいたいだけなのだ。

授業態度は言うまでも無く,部活動の加入率は概算で3割程度,行事は楽しみにしているのかと思えばそんなことはまるで無く,準備を手伝おうとする気持ちは皆無で,当日は自分たちが楽しい思いをしたいという欲望のままに過ごす。

その現場にいた者として,今現在同じ状況にある生徒たちに言わせてもらおう。
貴様らは学校教育を受ける気が無いんだから,頼むから学校に来ないで働いて納税しろ。
「教育機会の均等」に,貴様らみたいな連中は含まれていない。
貴様らの相手をしている時間など無駄の極みだし,いない方が互いにとって何億倍も幸せだ。

とは言え,彼らにだけ原因があるというわけでも無い場合も

ここまで辛辣に綴っては来たが,彼らがそうなってしまった背景には,それ相応の理由が存在する場合もある。
それは,十中八九家庭での教育が機能していないということだ。
私が実際に遭遇した,想像を絶するケースを一部紹介する。

(1)自分の子供がどんな学校に通っているのか知らなかった保護者
先ほど申し上げた通り,その学校の朝のホームルームにはとにかく生徒がいなかった。
ここで紹介する生徒もそのうちの一人であり,遂には卒業式当日に現れず,後日卒業証書を個別に渡したという,忌々しき記憶として残っている人物だ。
私とは別の教員が担任をしていた際,あまりにも連絡が取れないため出席状況等を伝達することが出来ず,業を煮やした担任が,緊急連絡先として書かれていた保護者の携帯番号に,昼間ではなく真夜中に電話するという作戦を実行した。
そこで初めて話をすることが出来たようだが,その保護者の言い分としては,「昼間は知らない番号からの電話は取らないようにしていたが,こんな時間に掛かってくるのはよほどの緊急事態だろうと思ったから出た」とのことだった。

そこで当時の担任が聞いたのが,「ところでウチの子は何て言う学校に通っているんですか?○○(他校の名前)よりも偏差値の低い学校なんてありえないんですけど」という衝撃発言だった。そう,この保護者は,あろうことか自分の子供の通っている学校の名前を知らなかったのだ。

もう何から何まで理解の域を超えていて,話を聞いているだけで眩暈がしそうだった。
そして,ここまで崩壊した家庭が世の中に実在するのだと思い知らされ,その生徒の事を心から気の毒に思うしかなかった。

(2)普段は自宅で子供に罵詈雑言を吐き倒しているくせに,進級が危ういと見るや突然しゃしゃり出てくる保護者
これは私が担任した生徒の保護者の一人だ。上に書いた校内でのいかれた様子にほぼ該当する,最も手の掛かった悪童の権化のような存在だったのだが,その家庭環境を聞いた時,「ああ,この子は親に壊されたんだな…」と悲しみが込み上げたのを覚えている。

その生徒が数日に渡り欠席した際,保護者との連絡を試みると,「家に帰っていない」という返答があった。これを受け,数日ぶりに登校した際に面談すると,家庭内不和が酷く,暴力や暴言を毎日のように浴びせられ続け,家出をしたこと複数,その中には外で夜を明かしたこともあったと話してくれた。そこで聞いた内容には,「何故思春期にある自分の子供に,ここまで劣悪な言葉を掛けられるんだ…」と,そこにいた誰もが気落ちしてしまうほど,とてもここには綴れないような汚い言葉の数々が並べられていた。

しかし,そんな扱いをしている我が子に対しても,進級が危ういという連絡を入れた途端,日ごろ全く素振りすら見せないくせに,学校に対する協力を要求してきたのだ。
しかもその話し方も,「手ぇ掛かりますけど,留年とか退学とかになっても困るんでぇ,何とかお願いしますねぇ」といった具合に,チンピラ半グレ顔負けの威圧的なものだった。
こんな輩に日々虐待まがいの事をされていたら,そら人間性歪むわと納得した。

その生徒と日々接していて受けた印象は,「日常生活や授業態度は間違いなく崩壊しているが,それでも敬語は使うことが出来,やり取りは常に明るくはきはきしており,基本的には人懐っこさが滲み出た雰囲気を纏う人物」だった。
その生徒には,家庭で本来与えられるべきぬくもりが圧倒的に不足していたのだ。
言い方は良くないかもしれないが,もっと違う親御さんのもとに生まれていたら,全然違う人間になっていただろうに…としみじみ感じてしまった。

(3)学校はどんな生徒でも受け入れなければ存続出来ないと吹き込んでいた保護者
一度だけだが,ドラマか漫画の世界のようなセリフを吐き捨てた生徒がいた。
服装や言葉遣いがあまりにも乱れていたため,そのことを指導したところ,『フンッ!学校なんてウチらがいなかったら無くなっちゃうくせに!』とほざきやがったのだ。
現実にこんなことを言う生徒が存在するのか…と閉口してしまった。それと同時に,「いやいや…お前らみたいな奴らしか来ない学校なんて無くなった方が絶対に良いわ」と思った。
聞けば,親から『どうせ学校なんて生徒がいなきゃ無くなっちゃうんだから,先生の話なんて適当に聞いとけばいいんだよ』と吹き込まれていたそうだ。
その生徒がいたクラスは,担任からして生徒とお友達のような付き合いをしており,平気でタメ口を許していた時点でもう終わっていると思っていたのだが,まさかここまでの人間に育つとはと,勤務していて馬鹿馬鹿しくなってしまった。

それでも立て直したいのなら,必要なものは「覚悟」だけ

こんな状況に陥った学校が存続することは,子供達への影響を考えても,世間への影響を考えても,絶対許されてはならない事だと一貫して私は考えているのだが,ごく稀に,その学校の教員が立ち上がって声を上げ,劇的に状況が改善するケースが存在する。
それは,どんなことがあってもこの学校と生徒達を何とかしたいという「覚悟」を,教員団が共有したケースだ。

問題行動は,一人の教員に任せるのではなく他の教員もすぐに駆け付けて対応し,なあなあにすることなく徹底的に厳しく指導する覚悟
指導方針に従えない生徒には進路変更を勧奨し,とにかく安心して学べる環境をすべての教員が協力して作り上げる覚悟
時には辛い境遇にある生徒の心情を理解し,腹を割って話す時間を設ける優しさを併せ持つ覚悟
そして,所属長が怖じ気付く事無く腹を括り,校内の平和を脅かす存在を許さないという覚悟

これらのどれ一つとして欠けても,教育活動が困難となった学校が平和になることは無い。
しかし現実には,全員が同じ感覚を共有してそれを徹底できるケースは極めて稀であり,教育困難校にはほぼ確実に生徒に厳しく指導出来ない教員が存在し,悪知恵の働く生徒達がその教員の存在を根拠に指導に反発し,永久に平和が訪れない。

志ある教員団が,数か年計画で血の滲む様な努力を続けてくださっているのであれば応援させていただきたいが,そうでないのならば,税金を有意義に使うためにも,「教育困難校」などと言うクソのようなレッテル貼りをしていないで廃校にした方が世の中のためだ。

お立ち寄りくださいまして,誠にありがとうございます。 皆さんが私に価値を見出してくださったら,それはとても素敵な事。 出会いを大切に。いつでもお気軽にお越しください。