帰国の決断
こんにちは、ひかるです。
前回のnoteからまた時間が空いてしまいました。
マイペースですいません。
今回の留学にあたりどうしてもここに書き留めておきたい気持ちがありnoteを書きました。
私事の報告ですが、本来6ヵ月間の留学予定を4ヵ月半で中断し、日本に帰国しました。
理由は、新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)です。
少し長くなりますが帰国までの経緯をお話しをします。
3月に入ってからCOVID-19の感染者がイタリア・スペイン・フランスなどヨーロッパ諸国でオーバーシュート(爆発的患者急増)が発生。
各国の政府は空港閉鎖や入国制限、そして日本を含むアジアから新たに入国する者に対し14日間の隔離(自宅検疫)を執行。
それに伴い、3月半ばに計画していたフランス行きの航空券も自動キャンセルの対象になりました。
マルタも同様、14日間の隔離が開始され
さらに隔離期間中、外出した者に対し€100(12万円相当)の罰金を課せられました。
※後に罰金額は€300へと値上がり
実際に私の友人にも隔離対象になった人が数名いました。
・2週間前マルタに入国した韓国人
・1週間前に北イタリアへ旅行に行っていたブラジル人
・上記の者と同室で生活してるルームメイト全員
ある日突然、私たちが住んでいるフラットに検疫関係者が訪ねて来ました。
その関係者は私たちフラット在住者の名簿リストを所持しており、一人ひとり対象者がロビーに呼び出され関係者3人に対し学生1人といった人数の割合で淡々と今後の隔離について説明しました。
私は幸い対象者ではありませんでしたが、その様子を近くで見守っていました。
その説明が終了した直後から対象者は14日間一歩も部屋から出れない検疫という名の隔離が始まりました。
中にはルームメイトが対象者のため、自身も隔離生活が始まってしまう子も多くおり泣き崩れてしまう子も中にはいました。
先ほど申し上げたように隔離期間中は外出禁止のためフラット内のキッチンやロビーも使用禁止です。
もちろん他の学生と接触することも禁止。
フラットには防犯上、複数の監視カメラが設置されているため万一バレてしまった場合検疫関連者に報告され罰金の対象になります。
では、どのように生活をしていたかというと
私たちの各部屋にはバス・シャワーは備え付けられているのでその点は問題ありません。
そして生きていくうえで大切な食事に関して
部屋にキッチンはありません。
まして買い物には一切行くことができないので食事はtime to eat(日本でいうUber Eats)でデリバリーのみ許され、料金はマルタ政府が負担してくれました。
そこに関しては良心的であると思いました。
そして私は隔離生活を送っている友人とこまめに連絡を取り合い不満や困っていることのお手伝いを行った。
不満をあまり言う子ではなかったけれど一つとても悲しそうに話していたことが今でも忘れられません。
彼らは感染者であるかもしれないが、決定したわけでもない、
あくまで観察期間です。
ただ、語学を学びたくて遠い母国を離れ、来たばかりの知らない土地で何もこの先の状況が分からないにも関わらず政府に言われたことを素直に受け入れ隔離生活を送っているだけです。
それなのにフラットの管理人やデリバリーをしてくれた配達員に少し部屋のドアを開けただけでばい菌扱いをされたと言っていました。
大切な友人に傷つくできごとがあったこと、コロナ差別が始まったことが明白になったことがとてもショックでした。
ここまでの出来事はたった1週間で起きたことです。
そして、私たちの留学生活を一変させたのが
3月12日(木)
この日までは通常通り学校はあり、どこもお店は開いていたので普段通りの生活はできました。
夜のこと、政府が「翌日から来週までの1週間を休校とする、スーパーマーケットや薬局など生活に必要な施設以外はクローズする」と発表。
これは所謂ロックダウンの初期段階です。
その時までは1週間後には今まで通りの生活に戻り、隔離生活をしている友人とも一緒にマルタライフを楽しめる、この予測していなかった休日を利用してマルタ観光を楽しもう。
そう思っていました。
今思えば世界で起きている事の大きさに気づかず完全に平和ボケの発想でした。
翌日、3月13日(金)
マルタ中で休校は1ヵ月先まで延びるかもしれないと噂が立っていました。
イギリスやイタリアがそのような声明を出したからです。
この日を境に早期帰国を決意する学生が徐々に現れ始めました。
そして街からは人が消え始め、ヨーロッパ人ですら医療マスクを装着し始め
日本ほどではないが一瞬、食材の買い貯め現象も起きました。
私もその様子を見て少し不安になり、まだ使い切れていないパスタが残っているのに新たにストックを買ってしまいました。
3月15日(日)
マルタにいても学校がなければ時間を持て余し暇です。
そこで私が主催者となり少し奥地にあるブルーグロットというイタリアの青の洞窟に似た観光地に友人たちと行くことにしました。
そこで問題発生、ブルーグロットまでのバスや船がロックダウンの影響を受け営業停止。
他にもコミノ・ゴゾ島へ渡るフェリーも閉鎖されていると聞きました。
この休校期間でマルタ観光を満喫することは不可能であることを悟りました。
3月17日(火)
1通の通知がフラット各部屋に配られました。
そこには【strong advice】と記されていました。
内容は4月20日(月)まで休校の延期の知らせと共に3月20日(金)を以ってマルタ空港を閉鎖する旨の知らせでした。
恐らく同じタイミングでこの知らせを読んだであろう私の部屋の真上に住んでいる親友の泣く声が私の部屋まで聞こえました。
私は心配になり親友の部屋に走って向かいました。
ちょうど彼女は母国にいる母にその旨伝え【帰国】するよう告げられ帰国用の航空券を購入するところでした。
彼女とは毎日毎日一緒に楽しく笑って過ごしたし、時には大喧嘩もした。
そう、実は彼女は私の元ルームメイトなのです。
(このことはまた別の機会で触れますね…笑)
彼女の留学に対する強い信念、将来の夢はよく知っています。
泣いている姿を見て辛くて辛くて、悲しくて私も涙が止まりませんでした。
そして私も今回の留学は仕事を辞め、婚期も恐らく逃す覚悟の一大決心でここに来ている、すぐに帰国は決断することができませんでした。
3月18日(水)
ついに私にも【帰国の決断】をしなければならない時が来ました。
徐々に周りの経由空港が閉鎖され、主要な航空会社まで当面の欠航を発表。
加え、日本の空港もいずれ海外からの入国便の制限を行うだろうと聞きました。
私は慌てて帰国するための航空券を探しました。
しかし、他の人も考えていることは同じでイスタンブールやロンドン経由で帰国する便は満席ばかり。
例え見つけても接続が悪く、経由先ではヨーロッパから帰国する者が溢れそこで感染する可能性が考えられ脅威でした。
少し値段は高いがオーストリアのウィーン経由の便を見つけました。
接続も良し、ANAとのコードシェアなので尚良し、ウィーンは他の国に比べ当時感染者が少なかった為、安心できる、帰国するならこの便を使おう。
ここまで決め、カード番号も入力が終わり最後の確認画面へ。
最後の【確定ボタン】が押せない…
どうしても押すことができない…
こんな形で留学を終わらせたくない、英語が伸びている実感もありました。
残りの1ヵ月半で確実に上達する見込みがある。
そして一番不安だったのは帰国した後の日本政府の水際対策…
日本の空港に着いた後、公共交通機関の使用は禁止とされホテルに宿泊する場合は自己負担・自己手配。
私の場合、家族が空港まで迎えに来てくれることになりました。
家族は確実に私と濃厚接触者になります。
最悪の場合、感染し死に追いやる可能性もゼロでありません。
とても悩みました。
私は帰国せずマルタにこのまま残るべきなのだろうか。
しかしマルタに残っても5月以降まで空港閉鎖が続けば学生ビザが切れてしまう。
治安が悪化しアジア人差別や酷くなるかもしれない。
今いる友達と別れたくない。
いろんな思いが駆け巡りました。
航空券購入の確定ボタンを目の前に3時間悩み
ついに【帰国を決断】…
この時、27年間の人生の中で最も悔し泣きをしました。
悔しさ、怒り、寂しさ、不安
すべてが一気に込み上げ気持ちはとても錯乱し声を荒げて泣くことしかできませんでした。
この日の夜はコロンビア・スペイン・ブラジル・トルコ人の友人とビーチに集まり飲んで、歌って、踊った。
みんな気持ちは一緒なのでときたま仲間との別れを意識した瞬間涙する友達もいました。
しかしラテン系の友人の明るさには本当に助けられた1日でした。
3月19日(木)
この日は4ヵ月半分の荷物を1日でパッキングをし
元ルームメイトの親友と出会った当初に約束をしていた、私のカメラで彼女をモデルとして2人にとって思い出の場所で撮影する約束を果たすことができました。
最後の晩餐として、みんなに日本式のカレーライスを振舞いました。
ブラジルと韓国人は日本式のカレーライスが好きらしくかなり高評価で喜んでもらえました。
他にも食卓には韓国料理やブラジルのスイーツも並び最後の最後にインターナショナルディナーができて楽しかったです。
そしてフラットのみんなと最後の写真撮影をしました。
みんな私にとってかけがえのないマルタでできた家族です。
私の出発は明日未明の時間帯。
もう会うことが出来ない友人も沢山いたので名残惜しくなかなかロビーを離れることができませんでした。
部屋に戻った後、友人一人ひとりに向け手紙を書きました。
何枚書いたのだろう、2日はほぼ寝ずに書き続けました。
書いていると一人ひとりとの思い出が鮮明に蘇る。
本当に別れが辛い。
3月20日(木)真夜中
手紙を書き終わり親友の1人がまだ起きてることが分かりました。
いや、たぶん私のために起きていてくれたんだと思います。
その子は私がマルタに着いた当初から同じフラットにおり、一番初めに仲良くなった友達です。
毎日毎日、私の英語のレベルに合わせて会話をしてくれる本当にやさしい子。
その子のおかげでフラットでは友達の輪も広がり楽しいマルタライフを送ることが出来たと思うほど、感謝しても仕切れない大切な存在。
友人に手紙を渡し、出会った当初の話をしました。
友人は「あの時覚えてる?最初の頃よく一緒に映画見たよね、すごく楽しかった」と私に語りかけました。
もちろん鮮明に覚えています。
私はその当時、友人に「熱心に英語を教えてくれるあなたともっと話がしたい、だけど今は英語が上手く話せないの、ごめんね。英語もっと頑張るから、お互いが帰国する前までに話せるようになるから」とカタコトな英語で上手く伝えられないもどかしさで泣きながら約束をしていました。
今、この思い出話をカタコトではなく会話として英語で話せている。
友人は元々英語が話せる子だったので私のことを褒めてくれました。
この4ヵ月半、本当に頑張って良かった。
4:00am、ついに空港行きの送迎車が来ました。
他の友人も駆けつけて来てくれ、盛大に見送られました。
夜だけフラットの管理を担当しているマルタのママ的存在の方にも
またマルタに戻ってくるときは必ず会いに来なさいよと言ってくれました。
この人達に出会えて私の人生は潤って価値を生み出せたと思います。
そして帰国し、14日間の自宅検疫も何事もなく無事終了。
ヨーロッパから帰国する私を受け入れ、危険を顧みず空港まで迎えに来て、検疫期間中サポートしてくれた両親には心から感謝しています。
大変長くなりましたが、ここに書いたことは約10日の間に起きたことです。
こんな短期間に沢山のことを経験し、様々な感情で浮き沈みし、大きな決断をするなんて思っていませんでした。
今ではとても良い経験をしたと思っています。
リベンジ精神から始まった留学で、また新たなリベンジ精神が生まれました。
私の性格上、このリベンジは気が済むまで諦めません。
必ず、マルタに戻って英語をさらに向上させます。
私のことを応援してくだっていた皆様、本当にありがとうございました。
リベンジ留学は続きますので、変わらず応援いただけますと幸いです。
引き続き、何卒よろしくお願いいたします。
お読みいただきありがとうございました。
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