#4 世界は贈与でできている / TWILIGHTの軌跡 〜対話から現実を創るまで〜
#3に続き、TWILIGHTの対話#4です。
TWILIGHTはこのメンバーで対話を続けています。
今回は、私たちの対話の共通言語にもなってきた "贈与" について。
この文章はまさきが書いています。
■世界は贈与でできている
2021年の年末に私(まさき)が読んだ一冊の本、『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』(近内悠太著)。
この本を読んだ私は、なんとも言えない幸福感に包まれた感じがしました。
「これは多くの人に伝えなければいけない」
そう思った私は、まずTWILIGHTのメンバーと対話することにしました。
この本の中で、贈与とは「必要としているにもかかわらずお金で買うことができないものおよびその移動」と定義されています。
対義語は交換。つまり「交換ではないモノやコトのやり取り」というと少しわかりやすいでしょうか。
例として、愛、知恵、優しさ、自然などが挙げられます。
この本を読んで、私は自己理解がかなり進みました。
何を隠そう、自分自身がとにかく交換的な人間で、お金や物の貸し借りは嫌いだし、仕事をしながらどこか自分を犠牲にしていると感じる時も多いし、ボランティアという考えにもあまり親しみを感じられていないし・・・。
そんな自分はちょっと欠陥があるんじゃないかとすら感じていました。
本を読み進めていくうちに、交換に毒された自分が真正面に現れてきます。
そして本の副題は「資本主義のすきまを埋める倫理学」となっていて、まさに資本主義と何かのあいだを埋めるヒントがここにあるような気がして、むくむくと対話に持ち込みたい欲求が出てきたのでした。
事前情報も展開しつつ、各自がなんとなく「贈与って何?」を知ってもらって対話を始めました。
まず、私が「どうしてこの本が響いたのか」を語りました。この本によって自己理解が進んだこと、贈与が今の時代に必要と感じることなどを取り止めもなく話しました。
次第にメンバーからも重なる経験があるとそれぞれの体験談が展開されていきました。
そのなかで、なみちゃんが贈与に包まれた人生を送ってきていることを話してくれました。
以前リトリートでも、「社会は"お隣さん"みたいな感覚なんです」と、社会との距離感について語ってくれたなみちゃん。
社会活動というとすぐ肩に力が入ってしまう自分としては、なぜなみちゃんがそこまで社会を身近に感じられるのか不思議に思っていました。
なみちゃんは、中学生の時に難民支援のボランティア活動を始めた話をしてくれました。それも自分を犠牲にしているという感覚はなさそうで、むしろ必要なこと、友達を助けるのは当たり前のことぐらいのスムーズな語り口でした。
実は贈与のポイントは、「まず受け取ること」。
何も受け取らずに贈ろうとすると、それは自己犠牲になってしまう。そこには交換の触手が伸びてしまい、返してほしいという期待が出てきてしまいます。だからまず受け取る。受け取ると、それに感謝し、誰かに返してあげたくなる。そうした健全な負い目から生まれる贈り物が「贈与」なのです。
なみちゃんは小さい頃から自分はたくさん受け取っているということをよく感じて育っている様子でした。だからこそ「社会に何かを返してあげたい」という健全な負い目がボランティアという形で自然な行動として現れてくる。
そのシェアから、実は贈与は至る所に隠れていることをそれぞれが見つけることができるようになり、しょうこは、まさに3年前に言語化した人生の目的が、贈与を受け取る話を書いていることを発見。
この言葉を思い出したしょうこは、里山にたたずむ、何かと来客の多い自らの家を "贈与ハウス" にしていこうといった思い切ったアイデアを宣言。すぐに実行に移していました。
(実行へのこのスピードこそ、まさにしょうこ!)
「すでにある贈与に気づく」
交換的な自分に足りていなかったことは、まさにこれでした。
そして、これこそが今まさに求められている、人類共通のテーマではないか。もっと多くの人が贈与に気づく体験をすることが大切なのではないか。
そして、今まさに取り組んでいる里山保全やリトリートの取り組みは、
"先人の贈与に気づき、次の世代に返していく"
まさにこれを体現している。
こうして、今の活動により一層のやりがいを感じたのでした。
(リトリートについてはぜひこちらもご覧ください)
(#5へ続く)
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