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結婚とか出産って

今朝、目を覚ますとLINEの通知が溜まっていた。

高校グループの子が出産をした報告だった。先日、その子と旦那さんの家へ遊びにいった時にはもう出てきても良いくらいにお腹の中で成長していると言っていたから、そろそろなんだなと友人としてソワソワしていた。

おめでとう、よく頑張ったねとLINEを返し今日は良い日だなと考えた。

昨日、鬱と躁が共存していた。誰かに気持ちを聞いてほしくて、でも友人には言わない私は母に色々とぶつけてしまった。お母さん、ごめん。多分、生きてきた中で一番声をあげて一人で泣いた。両隣が引っ越して誰もいないのを良いことに、散々泣いた。

そんな日を過ごした次の日、友人が出産したのだ。LINEを返し、スマホを暗くした後、なんとなく思考を巡らせた。

何度か結婚についてはここで触れてはいるが、やっぱり好きな人が自分のことを好きになってくれて、結婚しようと思ってくれることは奇跡に近しい。そこから子どもを授かることも奇跡。母子共に健康で出産できることも奇跡。

恋愛って、奇跡の連続だ。この歳になってつくづく思う。もう、いいとこ取りの甘い部分だけを啜るような恋愛は出来ない。

結婚願望があるかと問われたら、そりゃある。子どもは欲しいかと問われたら、欲しいけど、今は考えられない。適正年齢だとか歳で判断されていく女の宿命ではあるが、「結婚したい!子ども欲しい!」と熱を持てなくなった。

人の結婚や出産の報告を見聞きするたびに羨ましいと考えていた自分の輪郭はぼんやりしてきている。結婚願望がある理由は「一生を添い遂げる契約を私としてくれた」という最大の愛情表現を経験したいからだ。一見、重いように聞こえるかもしれない。所詮、言ってしまえば紙ペラ一枚だし。でも、私はこう捉えている。だからこそ、奇跡なんだと。

結婚も出産も、人生の一部として経験をしてみたい。ラブロマンスを求めているというより、経験をしてみたい。いや、求めてはいるけれど。多少は。いうても経験してみたいからと言って相手をないがしろにしますということはない。精一杯の愛情を注ぐ。

いつまでも夢見る少女じゃいられない。相川七瀬も歌っている。「きっと誰かがいつかこの世界を変えてくれる そんな気でいたの もう自分の涙になんか酔わない」って。誰かに頼って愛してほしいだけの思考を持っていたって無意味だ。悲劇のヒロインになったって無意味だ。

自分のこともロクにコントロール出来ない日がある私が子どもを授かってみたらどうなるかを考えた時、怖くなる。子どもはどちらかといえば好きな方だ。なんなら好かれる。一緒になって本気で遊ぶし、一人の人間として接している。

しかし自分の子となれば話は別だ。泣くことしか出来ない生命を目の当たりにして、何かもが分からなく、パニックになってしまう状況が容易に想像できる。幼少期に経験してきた自分と同じ生活を送らせたくはないから、怒鳴ったりしたくなくても、きっとしてしまう。

まあ、こんなに考えていてもこれこそ無意味なんだけどね。仕事に注力しろよってな。

昔はこんなこと考えずに「結婚したい」と漠然とした夢を見ていたなあと悲しくはなるが、奇跡を起こすことに繋がると気付いた時、現実を目の当たりにする。ロクな恋愛をしてこなかった私にも責任はあるし。

つらつらと脳弁を垂れてしまったが、とにかく今日は良い日なのだ。こういう嬉しいことを摘んで花束にしていきたい。そう思った。晴れている日には「良い天気だな」とか、雨の日には「雨の音って意外と良いな」とか。感性を張り巡らせて幸せをかき集めていけたら、それで良い。自分でいうのもアレだけれど、感受性は豊かだし。


一つだけ、結婚に関しての夢がある。中学生の頃からずっと抱いている夢。

でもこれは内緒にしておいて、今回はここらで終わりにします。

読んでいただきありがとうございました。
また来週!

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