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前に進むだけじゃなく

最近、昔の番組がテレビで放映されている。
数年前のものだったり、好評だった企画を流している感じだ。
「ああ、こんな番組もあったな」と忘れ去ってしまったその存在を思いだし、感慨にふけっている。
うちのアパートのテレビには録画機能がない。
リモコンには録画ボタンはついているのだが、外付け機器に録画する〈ファミリンク〉という方法を取らなければいけない。
だけど「そこまでして録らなくてもいいか」という思いもあり、入学して4年すぎ、ここまできた。

思いかえすと幼少期の頃は、ビデオに録画したアニメをずっと見ていた。
クレヨンしんちゃん、ドラえもん、ポケモン、デジモン・・・
(たしかしんちゃんの家がまだアパートだったし、ドラえもんの声がまだ大山のぶ代さんだった)
ほんとにテープが擦り切れるくらい再生した。
展開はもう分かっているはずだったし、あらたな回も次々と放映されていたが、やはり見てしまう。
何度見ても飽きないほどの魅力に子どもながらに気づいて、毎回毎回あたらしい発見や想像力をかきたてていたのかもしれない。


「"進歩"は本当に"進歩"しているのだろうか」
ということを最近ふと思う。
100年前とくらべて進歩したと思うかと聞かれて、進歩していないと答える人はおそらく少ない。
インターネットなど科学技術も発展し、人々の生活水準は高まっているからだ。
そして、これからもその歩みは続いていくだろう。

ただ、一度立ち止まって考えてみる時期も必要なんじゃないかと思う。
前に進んでいく中でそぎ落としてしまったもの、必要ないと切り捨ててしまったものがたくさんある。
きっと再放送や昔の番組にもそういった側面があるのだろう。
あたらしい番組、あるいは新しい製品を次々とつくっていくことがみんなの求めていることだし、僕たちもそれを望んでいるんだろうとぼんやりと思っい、ほとんどの人がそれに同意しているかのようだ。
それが正しいかどうかは分からないが、"明らかに前に進んでる世界"を生きてきたことがその背景には大きく影響していると思う。
技術が発展すれば進んでる気がするし、新しい番組が始まればイケてる気がする。
もちろん、前に進むことでしか得られない経験や知識はあるし、そうしていくことで磨かれるものも多い。
だけど、見つめ直すことも大切なはずだ。
それこそいくら古くてもビデオを擦り切れるくらい見ても、良いものは良い。
たえず流れていく情報をチラッと見るだけじゃなくて、目の前に正座してじっくりと味わう時間もあっていい。

立ち止まって息を整える時間がなければ、走り続けることはむずかしい。
ついてこれない人は、何を思うだろうか。
世界では分断が進んでいる。


#エッセイ #大学生#大学院生#再放送#テレビ#進歩#分断#技術




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