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愛と金

わたしは、趣味にいくらお金をかけても構わないと思っている。(生活を脅かしてしまうのであれば、話は別だけれど)

特に、アイドルや俳優さんを応援している人へ。声を大にして言いたいのは「あなたの応援している対象は永遠ではない」ということ。
「推しは推せるときに推せ」はまさにその通りだと思う。

「永遠ではない」理由はそれぞれ違う。
今回例として挙げるのは、お金がなければ続けるのが難しいコンテンツ(わたしが経験したものでいうとアニメや漫画)。これは逆に言うと、消費者がお金を入れればある程度は続いていく。

わたしは恐らく多趣味な方で、嵐のほかに漫画やアニメや声優のファン(オタク)も経験してきた。
どの界隈にも少数いるのが「わたしはこれだけお金を落としているの!お金出さない人・イベントに参加しない人はファンとは認めない!」という過激派タイプ再度強調しておくけど、こういうタイプは少数。
お金で存続が左右されるコンテンツに多い印象。(ある程度地盤が固いジャニーズには少ない気がする。)

SNSで見かけるたびに、難しい問題だと感じる。

個人的には「お金を出さなければファンとは認めない」というのは違う。
ファンと名乗ることに資格は必要ないはず。好きならファンでいいじゃない。他人が決めることじゃない。

ただ、実際問題、コンテンツを支えるのは応援の言葉ではなく、お金

特にそれが顕著に表れるのがアプリゲームだと思う。
無料で遊べるけど課金もできる、というのが今多い形。

例えば100人ユーザーがいたとして、その100人が無課金であれば、そのゲームは続けられない。
極端に言うとそういうことで。どれだけ運営側に「応援してます!」と言ったところでお金がなければ開発する人員を雇うことは難しい。

要するにわたしが思うのは、愛は必ずしもお金とイコールではないけれど、お金でしかコンテンツを支える方法はないということ。
個人的な価値観も入ってしまっていると思うけれど。

・・・愛ってなんて難しいんだろう。

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