ベートーヴェン──史実から浮かぶ悲嘆と静寂の世界(伊藤玲阿奈)
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ベートーヴェン──史実から浮かぶ悲嘆と静寂の世界(伊藤玲阿奈)

指揮者・伊藤玲阿奈「ニューヨークの書斎から」第8回
Vie de Beethoven” by Romain Rolland 1903年出版
ベートーヴェンの生涯
著:ロマン・ロラン 訳:片山敏彦
岩波文庫 1965年発売
何かと云うと、ベートウべェン。いけないな。モツァルトの軽み。アレは絶対だ。

こう評したのは太宰治(1909~48)だった。

人類愛を歌った『第九』に代表される道徳的で深刻なベートーヴェン(1770~1827)ではなく、押し付けがましさのない自然で優美なモーツァルト(1756~91)を良しとする――無頼派と呼ばれた太宰らしい言葉だ。

実は音楽が生業の私にしても、かつてはベートーヴェンをあまり好きになれない時期があった。それは大学院のとき、モーツァルトのオペラをいくつか徹底的に研究したときだった。仰々しい表現は一切なしに登場人物の性格を見事に描写してしまう彼の天衣無縫さに、すっかり圧倒されてしまった。それに比べれば、いかにも「○○せよ!」と命令するようなベートーヴェンの音楽は(すべてがそのような作品ではないが)、なんと野暮ったいことかと思ったものだ。

今回ご紹介するのは、そんな私の心をふたたびベートーヴェンへと向けさせることになった本――ロマン・ロランの『ベートーヴェンの生涯』である。

ノーベル文学賞作家が明らかにするベートーヴェンの実像

第1回でも書いたけれども、ある芸術家の作品とかけがえのない関係を築くためには、自分の人生にとってその芸術家が存在する意義を、確信できるようにならなければならない。つまり、共感が必要だ。彼の音楽を、頭の理解だけにとどまらせずに、まるで我がことのように感じることだ。

その点では、戦後の音楽学者による実証的な伝記を読んでも、なかなか難しい。「20代後半から耳の病気が始まった」「1824年に『第九』を作曲した」……。こうした事実を並べられたところで、ふつうは大した共感などできやしない。ベートーヴェンにはどんな葛藤があったのか、どんな気持ちで毎日を過ごしていたのか、どんな考えをもって作曲していたのか――。実証や分析ではなく、このような汲み取りにくい事柄にふれてこそ、我々はベートーヴェンの音楽を心底好きになれるし、血肉化することもできるのだから。

ブラウン・フォン・ブラウンタールはその一年後に、あるビーヤ・ホールでベートーヴェンに出会ったが、そのときベートーヴェンは片隅に坐って長いパイプで煙草を喫いながら眼をつぶっていた。これは彼が死に近づくにつれて次第に募った彼の癖なのであった。一人の友が話しかけると彼は悲しげに微笑し、ポケットから小さな「会話のための手帳」を取り出した。そして、つんぼの人が出しがちな鋭い金切り声を立てていった、彼に話したいことを手帳に書いてくれ、と。
 (同書21ページ)

ロランはノーベル文学賞を受賞した『ジャン・クリストフ』で知られる大作家だけあって、本書にしてもきわめて文学的だ。根本には彼独特のヒューマニズムと物質文明批判がどっしりと腰をおろしている。
ゆえに現在の音楽家は、主観的に過ぎるとして本書を敬遠する節がある。少なくとも教育現場では使われていないし、私の周りで本書を読んだことがある人を探すのも苦労するくらいだ。

しかし、喧騒のビア・ホールの片隅でただ一人、静寂の世界にたたずむ悲しいベートーヴェンの姿――このような生身の作曲家の姿にふれてこそ、楽理分析や実証史学からだけではなかなかに難しい、楽曲に対する心からの興味と理解へとつながるのではないだろうか。

それに、よく誤解されているように、本書は小説(フィクション)ではない。ロランは歴史学の訓練を受け、ソルボンヌ大学でも教えたくらいの歴史学者でもある。だから本文のかなりの部分において、ベートーヴェンの手紙や会話帳、同時代人の証言が引用されており、文学的な表現はあくまでも史料をもとにして展開されている。当時の水準のかぎりではあるがベストを尽くしていて、注釈もたいへん充実しているし、出典もきちんと記されているのだ。

私からみれば、ベートーヴェンの芸術に共感するにあたっては、これほどうってつけの本はないように思える。

甥との関係性に見るベートーヴェンの孤独と悲劇

本文は実質50ページあまりの小著であるので引用はなるべく控えておくが、そんな本書の良さが出ている場面のひとつをあげておきたい。それは、ベートーヴェンが晩年に引き取った甥との関係にまつわる部分である。

弟のひとりが死去したあと、その一人息子だったカールの後見人となったベートーヴェンは、彼を我が子のように溺愛した(ベートーヴェンは生涯独身で、実子はいなかった)。

ところがカールにとってみれば、このベートーヴェン伯父さんほど一緒に住みにくい人はいなかった。ただでさえ奇人変人と言われていたうえに、『第九』からも想像できるように、厳しいほどの道徳性や理想像を自分にも他人にも課していた人だ。心から愛しながらも、ことあるごとに口うるさい説教になる。

ベートーヴェンは早くに母親をなくし、酒乱の父親のもとで虐待に近い音楽教育を施された。彼の才能が金になると見込まれたからである。十代後半になると、生活能力の破綻した父にかわって、弟二人をふくむ一家の生計を支えねばならなかった。

そのせいか生涯を通じて家族の愛情を渇望しつつも、難聴もあって自分の世界に引き籠るようになっていたベートーヴェンは、愛情表現があまりにも不器用であった。(そのことは本人も自覚しており、難聴を苦にして書いた『ハイリゲンシュタットの遺書』(岩波文庫版に併録されている)では、弟らに向けて「私が喜んでお前たちの仲間に入るべきときにも、私が避けているのを見てもどうか許しておくれ。そうした時には[難聴によって]大抵誤解されているので、私の痛みは二倍になって私を悲しませるのだ」と、偽りのない真情を吐露している)

カールに対しても相当に不器用だったのだろう。最愛の息子のように思っていたからこそ、立派な人になって欲しいと、思わず厳しくあたることもあったのだろう。カールはだんだん身をもち崩しはじめ、家出をくり返すようになる。1826年(ベートーヴェン死去の前年)にはピストル自殺まで図ってしまった。

父子の愛憎関係というものは近代文学の古典的な題材でもあり、大作家ロランの筆とセンスが充分にここで光ってくる。ふつうの伝記ではあまり紹介されない、カールへ宛てた書簡群をうまく構成し直して、人間ベートーヴェンの孤独と悲劇を印象ぶかく描写してくれるのだ。ごく一部を引用しよう。

「お前がだめな人間になっているとはいえ、今からでも、正直な人間になろうと決心してみてはどうか?(中略)わしがお前と、やくざな弟と、恥知らずな家庭からすっかり縁を切ってしまいたいという気持になることは神さまが御存じだ。――わしはお前をもう信用しない。」(中略)
しかしその後で彼はたちまちに赦す――
「わしの愛する息子よ、もう何もいわぬ。わしの両腕の中へ還って来ておくれ。もうお前に何も厳しい言葉は聞かせはしない。・・・いつもにかわらぬ愛情をもってお前を迎えるよ。お前の将来についてのことを、打ちとけて話し合おう。――けっして叱らないことを約束する。」(中略)
しかしカルルは賭博に入りびたって借金をした。(中略)伯父の大きい道義性は、甥に幸いせずかえってわざわいしたのである。それは甥を自棄的にさせ、ついには反抗心を起こさせるに到った。甥自身がいった次の恐るべき言葉には、この惨めな魂の真相があらわに示されている――「伯父が僕を善人にしようとしたために、僕はかえって悪人になった。」
(同書54~56ページより)

いかがだろう。この部分を読むだけでも、あの一見いかめしいベートーヴェンの内面にふれたような気がしないだろうか。学者による一般的な伝記からは得がたい共感が、ふつふつと湧いてこないだろうか。

誰よりも愛を求め、音楽に理想を託していた

一時のあいだベートーヴェンの音楽を押し付けがましく感じていた私にしても、ロランの本書を読んだあと、逆にそれが愛おしいと思えるようになった。

ベートーヴェンは、家族の愛を、心やすい友を、生涯の伴侶を誰よりも求めながら、ついに現世ではその望みが叶うことはなかった。

「あわれなベートーヴェンよ」と彼は独白した。「お前にはこの世の幸福はまったく無い。お前はただ理想の領域の中でのみ、友らを見いだすだろう。」
 (同書42ページ)

そう、聴き手に押し付けたがっているのは表面上だけで、実際のところ彼は、『第九』のなかで「人類みな兄弟になる」と歌い、『荘厳ミサ』のなかで「来世のいのちを待ち望む」と祈るよりほかなかったのである。

だからこそ、同じような辛い境遇に置かれてしまったとき、我々はまるで自分自身のことであるかのようにベートーヴェンの音楽を理解できるようになる。そして、慰められるであろう。「こんな理想やあこがれが自分にはある」「苦しいのは自分だけではなかった」ということが分かるだけでも少し楽になれるし、明日への勇気となる。

「人間は努力するかぎり迷うものである」とは『ファウスト』の有名な一節だが、ベートーヴェンの芸術は苦悩する者のためにある。彼の音楽が命令的に感じられるとしたら、それは現在の自分がある程度に満たされている、もしくは逆に満たされていないゆえ素直に受け入れられないからなのだ。

太宰は、戦前にありがちだったベートーヴェンを権威として崇める風潮に反抗したのかもしれない。しかし、家族にも女性にも恵まれながら自己破滅の人生を歩んだ太宰ゆえに、ベートーヴェンを本能的に説教くさいと感じていたのではないか――と言えば、やや邪推に過ぎるだろうか。

いずれにしても、すでに飽きるほど聴いた『運命』や『第九』でも、ベートーヴェン自身の声を聴いているような錯覚に陥いらせてくれる魔法のようなこの本を、ぜひ一度は手にとって欲しい。音楽室にうやうやしく飾られている、あの厳粛な顔をしたベートーヴェンとはまた違った面を発見できて、彼がより身近に、そして愛おしく感じられることだろう。

注:引用文中、作品執筆当時の表現となっています。ご了承ください。

追記:私は2020年11月に初となる著作『「宇宙の音楽」を聴く  指揮者の思考法』を光文社新書より上梓いたしました。拙著と併せてお読み頂くと、本稿もよりおもしろく、理解が深まるかと存じます。ぜひお手に取って頂ければ幸いです。

執筆者プロフィール:伊藤玲阿奈 Reona Ito
指揮者。ニューヨークを拠点に、カーネギーホール、国連協会後援による国際平和コンサート、日本クロアチア国交20周年記念コンサートなど、世界各地で活動。2014年に全米の音楽家を対象にした「アメリカ賞(プロオーケストラ指揮部門)」を日本人として初めて受賞。講演や教育活動も多数。武蔵野学院大学SAF(客員研究員)。2020年11月、光文社新書より初の著作『「宇宙の音楽」を聴く』を上梓。個人のnoteはこちら
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