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「分断の時代」だからこそ必要な「聴く力」(篠田真貴子)

「篠田真貴子が選ぶすごい洋書!」第12回
"You're Not Listening: What You're Missing and Why It Matters"
by Kate Murphy(ケイト・マーフィー) 2020年1月出版

1年と少し前、私は次の仕事を決めずに前職を離れました。何人もの友人・知人が連絡をくれて、じっくり語り合う時間を持つことができました。たいてい「次はどうしようと思ってるの?」と尋ねられ、都度、その時の私の考えを話しました。すると相手も、その方が人生の大きな岐路に立ったときのことや、下した大きな決断のことを話してくれたのです。長い付き合いのある相手から、初めて聞かせてもらった話もありました。お互いの深いところに触れあうことができた、この語らいの日々は、宝物のような時間でした。

このような良い対話ができる理由はなんだろう、とその頃から考えています。私が大きな決断をしたのを見て、相手も私に自分のことを話してみようかな、という気持ちになったという理由もあるでしょう。また私も、相手の経験談を自分事として、一生懸命に聞いていたと思います。お互いに良い聞き手になっていたと思うんですね。

実は十数年前、妊娠していた頃にも似たような経験をしました。それまでは知らなかった周りの人の妊娠中の苦労や、出産時にお子さんを亡くしたというような辛い話も耳に入るようになったのです。あの時も、私がその話題を真摯に受け止められる状態だと思われたから、話をしてくれたんだと思います。

かつて妊婦だったときも、1年前の退職時も、私は「聴く」ことを通じて、周りの人の経験をたくさん学びました。そして、相手と心が深いところで触れ合うような豊かなひと時を持つことができました。「ジョブレス」な時間を過ごすなかで、「聴く」ことってすごいパワーを秘めているんじゃないかと、実感するようになったのです。

キャリア面だけではありません。私個人の生活でも、次の4月から下の子が中学生になる予定で、我が家は子育てから「大人育て」へとフェーズが変わる時期です。これから「大人4人」の家族へと脱皮していく転換期に差し掛かるわけで、家族との関係をゆっくり考えたいと思うようになりました。特に、どんどん意識が変化していく子供たちの話をじっくり聴き続けることが必要だと感じています。

このように、キャリアと家族のどちらにおいても「ちゃんと聴く」ことに関心が向くようになりました。そうすると、自分がいかにちゃんと聴いていなかったかに思い至りました。また、自分がちゃんと聴いてもらえなかった経験とその痛みも、思い返すようになりました。

そんな中、購読しているメルマガに“You're Not Listening: What You're Missing and Why It Matters”が紹介されていたのです。『あなたは聴いていない:そのために失っている大切なこと』といった意味ですね。ここまで自分の関心にドンピシャのタイトルってあるかしら、と軽く興奮しながら本書を手に取りました。期待通り、前書きから「そうそう、そうなのよ。私もそう思ってた!」と思わず言いたくなる記述がいくつもありました。たとえば、こちらの2つ。

It is only by listening that we engage, understand, connect, empathize, and develop as human beings.
(聴くことでしか、私たちは関わりを持ち、理解し、繋がり、共感し、人間として成長できない)
High schools and colleges have debate teams and courses in rhetoric and persuasion but seldom, if ever, classes or activities that teach careful listening.(高校や大学にはディベート部があり、論理や説得を教える授業もある。しかし、注意深く聴くことを教える授業や部活動は、まずない)

著者のケイト・マーフィーさんはニューヨーク・タイムズ紙や英エコノミスト誌で活動するジャーナリストです。職業柄、インタビューするという形で人の話を聴く経験を積んできました。「多くの人々が発信することに血道を上げ、テクノロジーに時間と注意力を奪われている。その影響で、世の中の寛容さが失われ、孤独を感じる人が増えてしまった。今こそ、聴くことの価値と喜びを伝えたいと思った」と、インタビューで本書を執筆した動機を語っています。

さまざまな研究が証明する「聴くこと」の価値

「聴くことの価値と喜び」には、どのようなものがあるでしょうか。本書の内容を少し見ていきましょう。

例えば、聴き手であるこちらが途中で遮ったりスマホをチラチラ見たりせず、じっくり聴く姿勢であることが伝わると、話し手はより思慮深く丁寧に語ってくれるようになる、とマーフィーさんは書いています。これは、冒頭に紹介した私の経験とも符合します。対話が大事だとよく言われますが、人は聴いてもらえそうな相手にしか話さないし、聴いてもらえる分しか話せないのではないでしょうか。

時々、相手にイライラして「ちゃんと考えろ!」と怒り、プレッシャーをかける場面に遭遇しますが、これは逆効果でしょうね。本当にその人にちゃんと考えてもらおうと思うなら、その人の話にじっくり耳を傾けるのが良さそうです。

話をちゃんと聴いてもらえると分かると、人は安心するんですね。本書には、そのことを示唆する脳科学の研究が紹介されています。研究によると、安全を脅かす危機に反射的に反応してしまう海馬という部位の活動量と、話を聴く時に活性化する部位の活動量は相反する関係にあるそうです。プレッシャーをかけず、安心して落ち着いてもらえると、相手はこちらの話をじっくり聴けるようになります。

そして、イギリスの心理学者チャールズ・ファーニホウによると、人は、他者の話をちゃんと聴くと、そのときの質問や答え方が内在化し、自問自答が上手くできるようになります。つまり、深い思考ができるようになるのです。

他者の話をじっくり聴いたからといって、その人の考えに賛同する必要はありません。聴くとは、その人が考えたという事実を認め、そこから何か学べるかもしれないという可能性を受け入れることです。場合によっては、真実はひとつではなく、それぞれの信じるところが並存できるような、より大きな枠組みが立ち現れるかもしれません。聴き手である自分の理解が刷新されるという可能性に、常にオープンであること。よい聴き手は、キャロル・ドゥエックが『マインドセット』で提唱した「しなやかマインドセット」の持ち主と言えそうです。

まとめると、ちゃんと聴くことは相手を安心させるし、聴く力を身につけることで自分もしなやかで深い思考ができるようになる、ということですね。

「聴くことの価値」に関する事例をもう一つ、紹介しましょう。Googleが、継続的に高い成果を生むチームの特徴を社内で研究したところ「心理的安全性」が大切だということが分かり、各所で話題になりました。

詳しく見ると、成果を出すチームは、どのメンバーも話す量が概ね均等であることと、声のトーンや表情などの非言語コミュニケーションを読み取る力が高めである、という2つの特徴がありました。言い換えると、高い成果を出すチームは、互いによく聴き合うチームだというわけです。互いの話にじっくり耳を傾け、非言語のシグナルから互いの感情にも注意を払う中で、メンバーの思考は深まります。他のメンバーとは異なる意見も聴いてもらえるという安心感から、多様な見解が交わされるチームになるのです。つまり、心理的安全性は「聴く」ことと不可分なのですね。

聴く力を身につければ、より豊かな人間関係を育むことができる

本書が書かれた背景のひとつに、アメリカの政治的な分断が深まってしまっている状況があります。特に若者にその傾向は顕著なようです。自分とは異なる意見を聞くと「安全を脅かされた気持ちになる」学生が少なくありません。

ブルッキングス研究所が全米の大学生を対象に調査したところ、51%が講演者が自分と反対意見を述べたら妨害して構わないと回答し、19%は暴力を使うことに賛成だと表明しています。こうした傾向は、他の書籍、例えば“The Coddling of the American Mind”や、私が以前紹介した“Uncensored”でも取り上げられています。このような態度が広まれば、民主主義は機能不全に陥ってしまいます。

だからこそ、聴く力は学んで身につけられる、ということが非常に大事になってきます。聴くとは、場を乱さないようにおとなしくしていることでは全くありません。むしろ逆で、相手の考えを引きだし、それを受けて自分の考えも整理していく、能動的な活動だと著者のマーフィーさんは述べています。

その方法の一例としてマーフィーさんは、社会学者のチャールズ・ダーバーが提唱する方法を紹介しています。それは、「ずらす対応」(shift response)ではなく「受け止める対応」(support response)をしよう、というものです。
食事会での会話を想定してみましょう。

ずらす対応:
花子「昨日、すごくいいドキュメンタリーを観たの。カメを取り上げてたんだけどね」
太郎「僕、ドキュメンタリーはあんまり観ないんだよね。アクション物が好き」

受け止める対応:
花子「昨日、すごくいいドキュメンタリーを観たの。カメを取り上げてたんだけどね」
太郎「カメのドキュメンタリーか。何か、観るきっかけはあったの? カメが好きとか?」

「ずらす対応」が特に感じが悪いということはありません。私も友人同士の会話でよくこのような反応をします。でも「受け止める対応」の方が、相手の内面にもっと触れることができて、より実り多い会話になりそうですよね。

「聴く」がちゃんと出来ると、「周りの人や周りの世界への理解が深まり、大きく変わることさえある。私たちの経験はより豊かになり、私たち自身も成熟していく。このようにして、私たちは智恵を蓄え、より豊かな人間関係を育む」のです。

マーフィーさんは次のように述べています。

Our collective listening, or the lack thereof, profoundly affects us politically, societally, and culturally.
(私たちの組織や社会において「聴く」がどれくらい行われているかが、私たちの政治、社会、文化に大きな影響を及ぼす)

本書でマーフィーさんが伝える「聴くことの価値と喜び」は、決して大袈裟ではないし、日本に暮らす私たちにもよく当てはまる視座だと私は考えています。

執筆者プロフィール:篠田真貴子  Makiko Shinoda
小学校、高校、大学院の計8年をアメリカで過ごす。主な洋書歴は、小学生時代の「大草原の小さな家」シリーズやJudy Blumeの作品、高校では「緋文字」から「怒りの葡萄」まで米文学を一通り。その後はジェフリー・アーチャーなどのミステリーを経て、現在はノンフィクションとビジネス書好き。2020年3月にエール株式会社取締役に就任。

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