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ナチズムに埋もれたアインシュタインとフロイトの往復書簡(渡辺裕子)

渡辺裕子「鎌倉暮らしの偏愛洋書棚」 第6回
"Warum Krieg?"
by Albert Einstein (Author), Sigmund Freud (Author), Isaac Asimov (Author)
Diogenes 1996年出版
ひとはなぜ戦争をするのか
著:アルバート・アインシュタイン / ジグムント・フロイト
訳:浅見 昇吾  解説:養老 孟司 / 斎藤 環 
講談社 2016年6月発売

1932年7月、アルバート・アインシュタインが一通の手紙を書いた。宛先はジークムント・フロイト。手紙は、こんな書き出しで始まる。

国際連盟の国際知的協力機関から提案があり、誰でも好きな方を選び、いまの文明でもっとも大切と思える問いについて意見を交換できることになりました。このようなまたとない機会に恵まれ、嬉しい限りです。

「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」
これが私の選んだテーマです。

世紀の物理学者アインシュタインが問いかけ、精神分析学の創始者フロイトが考察する。本書は戦争をテーマに交わされた知の巨人の往復書簡である。

「人はなぜ戦争をするのか」知の巨人が紐解く

1932年。ドイツ総選挙でナチスが圧勝した年。フランクリン・ルーズヴェルトが米国大統領に選ばれた年。ソ連・ポーランド不可侵条約が締結され、満洲国の建国宣言が行われた年。第二次世界大戦に向けて少しずつ世界が動いていく時期。

訳者あとがきによれば、この書簡集が今まで埋もれていたのは「ナチズムの嵐の中に消えていったから」だという。書簡が交わされた翌年、ナチス政権が発足し、アインシュタインもフロイトもユダヤ人として迫害され、のちにアインシュタインは米国へ、フロイトは英国へ亡命する。日本語訳が刊行されるのは2000年、実に第二次世界大戦終結から55年の時を経たことになる。

「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」ーー有史以来、平和を実現するために多くの人がさまざまな努力を重ねながら、なぜ平和は実現しないのか。その理由をアインシュタインは「人間の心自体に問題があるのだ」と考える。では「人間の心を特定の方向に導き、憎悪と破壊という心の病に冒されないようにすることはできるのか?」アインシュタインはフロイトにそう問いかける。

フロイトは返信の書簡で、こう書く。パックス・ロマーナ(ローマの平和)やフランス王朝のように、戦争によって中央集権の強大な力が生み出されてきた。「暴力による支配」から「法による支配」への転換は、しばしば戦争によって実現されてきた。しかし、戦争は「永遠の平和」を実現したことはない。

「社会を一つにまとめるには、二つのものが必要」だとフロイトは言う。ひとつは暴力、もうひとつがメンバーの間の感情の結びつき(一体感、それを表現する理想や理念)。けれども同時代に浸透していたナショナリズムは国々を敵対させていると指摘し、台頭しつつある共産主義についても冷ややかな眼差しを向ける。

さらにアインシュタインの質問に答えて、フロイトはこう書く。

人間はなぜ、いとも簡単に戦争に駆り立てられるのか。あなたはこのことを不思議に思い、こう推測しました。人間の心自体に問題があるのではないか。人間には本能的な欲求が潜んでいるのではないか。憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求が潜んでいるのではないか。
この点でも、私はあなたの意見に全面的に賛成いたします。そのような本能が人間にはある、と私は信じています。

この本の白眉は、人間には「生への欲動」「死の欲動」の二種類があり、それは単純な「善」「悪」と決めることはできず、どちらもなくてはならないものだとするフロイトの論だ。二つの欲動は単独で活動するものではなく、混ぜ合わされ、時にどちらかが満たされるにはどちらかが不可欠ですらある。それはたしかに人間の本質であるように思える。

「戦争の終焉」が訪れるのはいつなのか

では、人間は戦争をやめることなどできないのではないか。そう思って読み進めていくと、往復書簡の最後は、フロイトの希望で結ばれる。

文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができる!

書簡が交わされてから100年近く経つ現在も「戦争の終焉」にはほど遠い。アインシュタインの発表した相対性理論は、やがて核兵器の開発につながり、その「暴力」が戦後世界の枠組みをつくり、現在に至るまで抑止力となっていることも皮肉に思える。

「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」ーー20世紀のヨーロッパで二人が交わした書簡、平易で美しい文章による考察は、まるで21世紀を生きる我々に向けて投函されたようにも思える。

執筆者プロフィール:渡辺裕子 Yuko Watanabe
2009年からグロービスでリーダーズ・カンファレンス「G1サミット」立上げに参画。事務局長としてプログラム企画・運営・社団法人運営を担当。政治家・ベンチャー経営者・大企業の社長・学者・文化人・NPOファウンダー・官僚・スポーツ選手など、8年間で約1000人のリーダーと会う。2017年夏より面白法人カヤックにて広報・事業開発を担当。鎌倉「まちの社員食堂」をプロジェクトマネジャーとして立ち上げる。寄稿記事に「ソーシャル資本論」「ヤフーが『日本のリーダーを創る』カンファレンスを始めた理由」他。

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