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「自己啓発書の原点」が読み継がれる理由(伊藤玲阿奈)

指揮者・伊藤玲阿奈「ニューヨークの書斎から」第9回
As a Man Thinketh” by James Allen  2016年出版
人は考えたとおりの人間になる
著:ジェームズ・アレン 訳:栁平彬
田畑書店 2019年発売

むかし、「クラシック音楽の帝王」と呼ばれたヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~89)という大指揮者がいた。戦後、ベルリン・フィルハーモニーをはじめ最高峰とされる演奏団体のポストを総なめにし、今では考えられないほど膨大な量のレコードを遺した人である。それだけではない。オペラの演出、映画の制作、若手の教育プログラム(小澤征爾氏は弟子のひとり)などを手がけたうえ、プライベートジェットを自ら操縦士して通勤し、余暇にはヨットを操り、スキー滑降にかけては山小屋の主人から「アルプスでいちばん速い旦那」と呼ばれていた。

そんなカラヤンが、あるインタビューで「私は規律のない生活を嫌悪する」と語っていたのが印象に残っている。裏を返せば、分刻みに決めた毎日のスケジュールに対して全力投球で臨んできたからこそ、大成功を収められたと本人は認識していたわけだ。かの“音楽の父”バッハも「私と同じくらい働く人間なら誰でも自分と同じようになれる」と語ったらしい。つまりカラヤンもバッハも、成功とは自分の信念が結果として現れたものだと堅く信じていたのであろう。いわば、自分の思考が“引き寄せた”ものである、と。

さて、時は19世紀後半から20世紀初頭にかけてである。資本主義がもっとも発達し、自分の人生を自分で決める「自由」の意識も当時なりに浸透していたイギリスにおいて、ジェームズ・アレン(1864~1912)という文筆家が登場する。

イギリスでは、1859年の時点でサミュエル・スマイルズが『自助論』で「天は自ら助くる者を助く」と宣言していたように、生まれに関係なく自分の努力によって人生は好きなように切りひらけるものとする認識が、おそらく世界史上はじめて一般化しつつあった。金銭を儲けることや社会的地位の向上が、生まれた身分にかかわらず人生の成功と失敗と同一視される時代が到来したのだ。当然ながら、人々が抱える苦悩や不安もそれまでとは違うものになり、聖書や教会といった伝統的な手段ではそれらを容易に解決できなくなっていた。

アレンは、このような時代において、どうしたら充実した素晴らしい人生を送れるようになるのかを追求したため、しばしば自己啓発運動のパイオニアとして位置付けられる。その主張の核心はとてもシンプルで、「人間は内側にもつ思考が現実化するのだから、心構えから変えることで成功できる」と説いた。つまり先ほどあげた大音楽家ふたりは、彼とかなり似た考え方を秘めていたのだ。

今回は、アレンの主張がもっとも簡潔かつ明瞭に反映されている代表作“As a Man Thinketh”(1903年刊)を取りあげよう。デール・カーネギー、ジョセフ・マーフィー、ナポレオン・ヒルといった自己啓発の大家にかなりの影響を与えた本で、その痕跡を彼らの著作の中にはっきり見てとれる。根底にある主張はほぼ同じなので、後発の書はこの本の内容を展開させたものと言った方が正確かもしれない。

我が国においては『原因と結果の法則』のタイトルで長らく知られ、自己啓発書の原点だけあって、21世紀に入ってからも新訳がなお続々と出版されているほどの人気だ。私の手元にあるのは、2019年に田畑書店から<ポケットスタンダード>シリーズの一環として出された版で、タイトルが原題をより反映した『人は考えたとおりの人間になる』に変更されている。ときに大胆な意訳をまぜた大変わかりやすい翻訳で、原著もブックレット(小冊子)なので、速い人なら1時間もあれば読破できるだろう。(ちなみに、著作権は消滅しているので原文はウェブでも読める)

人生の成功と失敗は自らの思考と努力にかかっている

本書は、1ページで終わる「はじめに」に続いて、「人の思考と性格」「心の平穏」といった7つの短章で構成されている。その主張の骨子はすでに述べたとおりだが、まずは本文から本書を象徴する一文を引用しよう。

行動が、人の思考の花であるならば、喜びや悲しみ、苦しみは、その果実である。人が人生において成功して甘い果実を実らせるか、また失敗してにがい果実を実らせるかは、すべて本人の「耕作」次第なのだ。(18ページ)

このように、人生の成功と失敗はすべてその人自身の思考、そして努力にかかっていることが文中でくり返し強調される。カラヤンが規律ある生活を信奉して己を厳しく律したように、正しい思考を持てさえすれば行為にも反映され、自然と努力もできて成功すると謳うわけだ。スマイルズも自助努力を説きはした。しかし、その努力じたいも含めて、人間の行為とその結果を徹底的に思考へと落とし込んだところにアレンの新しさ、現代性がある。たとえば、次のような箇所に注目して欲しい。

人生に偶然や運という要素はない。人生を決定するもの、それは、その人自身であって……(37ページ)

この部分など、全知全能の神にすがるべきキリスト教の教えからすれば異端とされても仕方ない(実際、自己啓発運動の源流となったニューソート[注1]にかかわった聖職者は、現世利益追求や汎神論[はんしんろん・注2]ゆえに正統的な教会からは総じて異端とされる)。また、『法句経』[注3]からカルマ、すなわち因果応報に関する引用が見られることからも斬新さが分かる。ただしアレン自身が無神論とか反キリスト教というのではなく、原題“As a Man Thinketh”が聖書の『箴言(しんげん)』からとられているように、キリスト教を基調にしていると言っていい。それでも彼の主張をせんじ詰めれば、クリスチャンであろうがなかろうが本人の成功には関係ないに等しいため、その主張が自己啓発書の土台として世界中で普遍性を獲得していったわけだ。

成功を求めるからには、利己的な考えを捨てるべき(引き寄せの法則の落とし穴)

しかしながら、類似の本が山ほどある現在でも、本書が王道として読み継がれる理由は、このような現代的な自己啓発を最初にうち出したことだけにあるのではない。

アレンの時代から100年たち、資本主義と自由主義がいっそう進んでいくなかで、自己啓発書も変容してきた。より個人の欲求をかなえることにフォーカスしたものが登場し、重宝されるようになっているのだ。たんに欲求に素直であることを「あるがままの自分」と称して良しとするような本、金銭や恋愛ばかりに特化した“引き寄せの法則”を標榜する本……。

もちろんアレンは人生の成功を肯定する。しかし、成功をかたち創る思考について次のように語っているのは見逃せない。

世俗的な目的であっても、何らかの成果を得るためには、奴隷や動物のような自己中心的なものの考え方から脱し、もっと崇高なものの考え方をしなければならない。ただ、この世で成功するためには、このような動物的な欲望やわがままな感情をすべて捨てるわけにはいかない場合もあるだろう。たとえそうだとしても、できるだけ多くの卑しい考え、利己的な考えを捨てるべきである。(85ページ)

成功するためのツールとしての自己啓発にとらわれ、自分の欲求をかなえるテクニックばかりに飛びつく人は、短期的に結果が出る場合もあるかもしれないが、長い目でみると苦しんでいるものだ。それは当然である。人間の欲には限りなく、目に見える物質的なものを目標として生きるかぎり、たえず不足への怖れや不安と同居して生きることになる。そして、つい他者を出し抜いてでも満足を得ようとして、心を貧しくしてしまう。カラヤンにしても、金銭スキャンダルを暴露されたり、オーケストラとの不和もあった晩年は、あまり幸せそうなイメージがない。

だからこそ、本能的な欲求はできるだけ抑え、利己ではなく全生命への分けへだてなき愛という次元から思考することで、真の幸せと成功を手に入れられるのだ。自己の内面、すなわち魂(スピリット)をその次元へと高めるべく生きることこそ、ほんものの自己啓発でありスピリチュアリズム(=魂中心主義)なのである。これはいくら強調してもし過ぎることはない。

成功欲求ばかりに目を向けて、長期的にみた幸福な人生をないがしろにしてしまう――これは自己啓発を求める人間が陥りがちな罠である。そこをしっかりと洞察したうえで、簡潔明瞭な表現をもって警鐘を鳴らしているがゆえに、アレンの本書は、自己啓発における古典中の古典としての地位を現在でも保っているのだ。

私の個人的な信念からみると、いくつか承服しがたい点もある。職業への社会進化論的な見解、進歩や知に対するやや無批判な信頼、自分の努力があって自分の人生があるとする考え方など。ただ、この本の書かれた時代からすれば致し方ないし、本全体の価値からすれば些細なことだ。自己啓発に興味がある方は、ぜひ一度はお読みになって欲しい。

努力と勤勉さあってこそカラヤンは「帝王」たりえた

最後にふたたびカラヤンへ戻る。彼は信じられないくらい天賦の才に恵まれた人と思われているが、「帝王」となれた理由は何よりも超人的なまでの努力、勤勉さにあった。アレンならば己を厳しく律する思考の賜物だと言うであろうし、冒頭でふれたように本人もそう信じていたようだ。また、「目標をすべて達成してしまった人は、おそらくそれを低く設定し過ぎてしまったのだ」とも語っている。つまり、己を律した崇高さを思考のうちに求めるアレンの言葉とまったく一致している。

カラヤンが本書を読んでいたかどうか、私には調べようがなく分からない。しかし、彼の蔵書には精神世界に関するものが含まれていたことや、毎朝をヨガや瞑想からスタートさせていたことから鑑みるに、少なくともアレンを源流とする自己啓発書も読んでいたことはまず間違いないと思われる。だからこそ、欲求の罠にはまったこともあったとはいえ、カラヤンの生き様が「人は考えたとおりの人間になる」を見事に体現していたのだろう。

ところで、カラヤンの眠っている墓石は驚くほどに小さく、たいへん質素なつくりである。それは彼の遺志によったらしく、オーストリア政府による華美な墓所の提供を断ったのだそうだ。「帝王」らしからぬその墓は、今もなお多くの人々を引き寄せている。

追記:私は2020年11月に初となる著作『「宇宙の音楽」を聴く 指揮者の思考法』を光文社新書より上梓いたしました。本稿は、拙著の第2部から第3部と併せてお読み頂くと、よりおもしろく、理解が深まるかと存じます。ぜひお手に取って頂ければ幸いです。

注1:19世紀にアメリカで始まった、キリスト教を新しく解釈しなおして時代にあった人生のあり方について説いた宗教・霊性運動。アメリカはもとより日本における自己啓発や宗教にも多大な影響を与えている。アレンは聖職者ではないが、その思想は多分に(正統派キリスト教の立場からみれば)異端的である。
注2:インド思想のように、すべての人間・自然に神が宿るとする考え方。父なる神、イエス・キリスト、天使ら聖霊にしか神格を認めないキリスト教とは対極にあるが、ゲーテやスピノザなど、近代においては汎神論に近づく西洋知識人は多かった。
注3:もっとも古い仏典のひとつ。パーリ語で「真理」を意味する『ダンマパダ』の名でも知られる。インドを植民地にしていた関係で、イギリスではインド思想の研究がたいへん進展していた。アレンもその著作を読んでいたのだろう。

執筆者プロフィール:伊藤玲阿奈 Reona Ito
指揮者。ニューヨークを拠点に、カーネギーホール、国連協会後援による国際平和コンサート、日本クロアチア国交20周年記念コンサートなど、世界各地で活動。2014年に全米の音楽家を対象にした「アメリカ賞(プロオーケストラ指揮部門)」を日本人として初めて受賞。講演や教育活動も多数。武蔵野学院大学SAF(客員研究員)。2020年11月、光文社新書より初の著作『「宇宙の音楽」を聴く』を上梓。個人のnoteはこちら

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