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電車内痴漢/冤罪問題を整理する

◆序文

満員電車内の痴漢対策として「安全ピンで痴漢行為者を刺すべし」という旨のツイートが、案の定というべきか紛糾している。

それへの反論としては「無実者を刺す場合がある」であるとか「刺した側が過剰防衛や傷害罪に問われるおそれがある」といったものが散見される。

「安全ピン法」の是非については後述するとして、まずは前提となる痴漢(冤罪)問題全体の論点について、一度しっかり整理すべきであろう。そして、ここでは主に電車内の痴漢問題にのみ限定して語ることとする。

また、ツイッターはその性質上、議論に向いているとは到底言えない。

「外部からはよく分からない立場の/多くの論者同士が/短文の応酬を繰り返す結果/論点が散逸されて収集が付かなくなる」という脆弱性を抱えるためである。

以上踏まえて、痴漢(冤罪)問題の整理を図る上で、まず押さえておかねばならない幾つかのポイントがある。

◆要点

1.問題はグレーゾーン

痴漢行為者が明確な場合、議論の余地は乏しい。「分かりやすい痴漢は警察に突き出して、罪を償わせるべき」という意見に対しての疑義は生じにくいためだ。 よって、問題の殆どは痴漢と冤罪の区別が不明瞭な場合に起こる。

2.技術的に完全な判別は不可能

暫定痴漢被害者Aが「Bに触られた」と主張するもののBが否定した場合、そして明確な証拠が存在しない場合、必然的に冤罪の可能性が生じる。

微物検査や繊維検査、監視カメラの増設や、車両の男女完全分離化などが対策として挙げられるが、現状いずれも冤罪可能性をゼロにする手段としては確立されていない。

確立されていない以上「暫定被害者の挙証コストを上げればAの泣き寝入りの可能性が高まり/暫定加害者の反証コストを高めればBの冤罪可能性が高まる」というトレードオフ関係にある。

例えば「暫定痴漢被害者の証言のみで暫定加害者を断罪できる(挙証コストを極限まで下げる)」ようにすれば、冤罪が拡大することは容易に想像がつく。

逆に「暫定痴漢被害者が被害を受けたことの証明を、証言だけでなくより厳格に求められる」ようにすれば、泣き寝入りは増えることになる。

また、痴漢と冤罪を完全に区別することができない以上、必然的に痴漢被害者になりやすい女性側は「冤罪の可能性があったとしても暫定痴漢加害者を断罪して、暫定被害者を救済せよ」という主張に賛同しがちであるし、痴漢冤罪被害者になりやすい男性側はその逆の主張を支持しがちである。

この時点で、痴漢論争が収拾困難な理由がお分かり頂けるであろう。

この項を一言で纏めるならば「痴漢被害者と冤罪被害者を同時救済することはほぼ不可能」ということである。

3.発生件数に大きな差がある

電車内における強制わいせつの認知件数は平成18年(2006年)が420件、平成26年(2014年)が283件である。

一方、冤罪被害件数は正確な数が把握出来なかったが、痴漢のそれよりも遥かに少ないものと推測される。

4.ダメージに大きな差がある

痴漢被害の多くは身体を触られるだけに留まる(もちろん悪質なケースもある)が、痴漢冤罪被害者は、拘束、投獄、報道、失職などにより甚大なる社会的ダメージを負うことになりかねない。

痴漢被害を過小評価するつもりはないが、比較するならば冤罪被害者の方がより深刻なダメージを受ける可能性が高いと言って差し支えないであろう。

5.身内が被害者になる可能性

痴漢被害者に共感する女性の主張として「男性であったとしても、自分の娘や姉妹が痴漢被害に遭うことを想定すれば、痴漢撲滅を優先すべきである」というものが考えられる。

だが、これは逆に「女性であったとしても、自分の父親や兄弟や息子が冤罪被害に遭うことを想定すれば、冤罪撲滅を優先すべきである」という主張も可能であるため、対立点を解消する言説にはなり得ない。

しかしながら「自分の身内が被害者になり得る事情を踏まえつつ立場を決めるべき」という点については、否定する理由が無い。

◆二つの立場

以上1〜5を踏まえて、当該問題に於ける対立点を考えるならば、以下の二つに収斂される。

①比較的高確率で発生しうる痴漢被害救済を優先すべき

②比較的低確率であっても被害甚大である冤罪被害救済を優先すべき

繰り返しになるが、現状では痴漢被害者と冤罪被害者を同時救済する対策は現状存在しないため、この二つ以外の立場はほぼ考えられない。

◆優劣

①と②の優劣は様々な要素が複雑に絡み合うため、比較が大変難しい。

したがって、各人がどちらの立場を取るかは殆ど価値判断、平たく言うと個人の利害や好き嫌いによって決まるものと思われる。

必然的に、痴漢被害者になりやすい女性側は①、冤罪被害者になりやすい男性側は②を支持しやすいものと推測されるが、実際に調べてみると意外な結果が現れた。

踏まえて、筆者がツイッター上で実施した、当該問題構造を簡素化した設問に対するアンケート結果を紹介する。

筆者のフォロワー層により、回答者の思想分布に偏りが生じる可能性があること。それに加えて、単純な多数決で決めることについても疑義が生じうることを念のため注釈しておく。

したがって、当該アンケート結果をもって両者の優劣を決定付けるものではないが、あくまで参考資料として添付しておく。

◆妥協点

上記二者の妥協点は殆ど見出されていないのが現状である。

例えば、主に女性から主張される「痴漢加害者は殆ど男性なのだから、痴漢撲滅に加害者以外の男性も協力せよ」という言説がある。

しかし、これは成立しない。全くの他人である加害者と性別が同じというだけで、連帯責任義務などは発生しないからだ。

「では、女性犯罪者の責任は女性全体で償うのか?」と指摘すれば、先の主張が簡単に崩せることからもわかる。

また、先述の通り「痴漢被害者救済を推進すれば、冤罪リスクが高まる」という関係性がある以上、男性側としては低確率であったとしても冤罪によるダメージが甚大すぎる場合は、自分が痴漢を行わないこと以上の痴漢被害者救済協力は難しいことになる。

上のやりとりが象徴的であるが「痴漢被害者を萎縮させないため、救済するために、冤罪主張を抑制せよ」という趣旨の主張に対しては、冤罪ダメージが大きすぎる男性側としては「ふざけるな」と反発するしかなくなる。

したがって、痴漢冤罪のリスクを縮小すれば、イコール罪を軽くすれば、必然的に痴漢撲滅に対する男性側からの協力余地も広がることになるが、もちろん女性側からの強い反発も予想されるため、現状は画餅の域を出ない。

言い換えるならば女性側が痴漢に厳罰を求めれば求めるほど、男性側の協力は得難くなることになる。

無論、この問題全体を通して、もっとも憎むべきは痴漢行為者であるが、理屈として現状の利害関係を整理するならば「この問題に於ける男女の協力は困難」という結論にならざるを得ない。

◆安全ピン問題の是非

踏まえて冒頭の「安全ピン問題」について語ろう。

女性が推定痴漢者の手などを針で刺した場合、刺された側が無実者ならば当然名誉毀損や傷害として刺した側を糾弾する理由が発生する。

仮に痴漢行為者だったとしても過剰防衛などを根拠に反発する余地が生まれる。どちらにしても、暫定痴漢被害者に協力する理由は乏しい。

とはいえ「安全ピン法」に痴漢撃退効果が全くないとも言えないし、場合によっては正当防衛と認められる可能性もある。

ケースバイケースである以上、刺す側の自己責任であるし、人を刺す以上はそれなりのリスクを抱える覚悟が必要になることは、注釈されるべきであろう。

したがって「ただ刺せば解決」という論調は、些か粗雑に思える。

◆結論

以上をもって「(ほぼ)二点の立場に意見集約は可能であるものの、現時点で決着、解決は困難」というのが、本稿に於ける一応の結論である。

玉虫色の決着に不満が残る読者もいるだろうが、決定的な材料が無い以上、強引に白黒付けるような論立ては却って不誠実になるであろう。

それだけに今後も当分の間、当該問題は終息することなく、堂々巡りの攻防が繰り返されると予想する。

よって、本稿の趣旨は「明らかな見落としや瑕疵のある言説を排除し、対決しうる二つの立場を明確化することによって、議論の後退を阻止する」というものである。

今後は不毛なループが解かれ議論が進展すること、および技術革新などにより痴漢(冤罪)問題が解決に向かうことを期待しつつ、本稿の締め括りとしたい。

(了)

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