日常/ここに生きる1 (記録:2019.1.12)

画像1 2019年1月12日大阪市にて、谷町六丁目から北浜までの区間を鉄板を引いて歩いた。見慣れた街、だが日々変化し続ける街の ”今、ここ” のリアルを体に染み込ませるように「なんとなく記憶」することが目的である。ここでは抜粋した30枚の記録写真と付随する文章を掲載する。
画像2 自宅付近の谷町六丁目を出発し鉄板を引いて歩く。鉄板を引きずる音がかなりうるさく、普通に恥ずかしい。早足にならないよう気を遣いながらゆっくり歩く。
画像3 谷町九丁目付近。まずは天王寺を目指して歩く
画像4 私は街の観察をライフワークとしている。街を観察していると、この世界には多種多様な人間がいて、考え方も生活習慣も千差万別ながら、街の中で各々が生活から滲み出た表現をしていることに改めて気付かされる。
画像5 そして良いとか悪いとかの区別なく、街はそれらを全て受け入れてここに存在していることを痛感する。すべてのものは在るように在るのだ。
画像6 私が何故このようなことをし始めたのか?ーちょうどこの頃、2025年大阪万博の開催に向けて街の至る所で工事が進められつつあった。中でも、地下鉄駅のリニューアルに衝撃を受けたことがきっかけだった。
画像7 親しんだ地下鉄駅のリニューアル案として駅に掲げられていたのは、世に浮遊する大阪のイメージの上澄みだけを掬い取ったようなデザインだった。どうにもやるせない気持ちになった。過飾された「大阪らしさ」に毎日晒されているうちに、いつか住民の私達でさえ「大阪ってこんな感じ」と思うようになってしまうのではないか、という危機感を感じた。
画像8 それが発端となり、私が生まれ育ったこの土地はどんな場所なのか、今何があってどういう人が生きているのかを、自分のために再確認しないといけないと思った。それは観光地を行脚するとか住民リストを作るとかではなく、身体感覚として、体に染み込ませるように「なんとなく記憶」することが必要だと感じた。
画像9 ただ街を歩くなどやり尽くされてきたことではあるが。徒歩でゆっくりと街を歩き、鉄板に歩いた痕跡を記録させることで、住み慣れた大阪の街をもう一度見直していく事にしたのだ。
画像10 天王寺動物園。何度も来たことのある場所、自分の古い記憶と今の体験が頭と身体の中で混ざっていく。
画像11 鉄板には強力な吸盤を取り付けて、ロープを通して引っ張っている。地面の振動がダイレクトに腕に伝わってくる。タイルが切り替わって鉄板が揺れる度に地面に目をやる。地面って結構種類があるんだな……タイル、コンクリ、ブロック、砂地etc.
画像12 天王寺を抜けて新世界へ向かう。念の為大阪以外の方に説明しておくと、新世界というのは大阪市浪速区の一角にある繁華街で、いかにもコテコテな大阪のイメージそのままの街である。
画像13 このプロジェクトに取り組んだ経緯は、西天満にあるアートギャラリー「gekilin.」で開催されるアンデパンダン展に出展するためだった。日付は2019年1月12日、奇しくもあの新型コロナウイルスが大流行し世界が一変する超直前である。この後この新世界の街が人っ子一人いなくなり、あれだけいた観光客も、づぼらやのふぐもいなくなるなんて誰が想像しただろうか?
画像14 新世界からチャリで15分くらいの所に住んでいるが、こんなにじっくりこの街を歩いたことはなかった。大阪の一般的なイメージが表面に貼り付けられた「これがオオサカや!」と言わんばかりの街だと思う。歩いているのも観光客ばかりだ。でも路地を一本入ると、昔ながらの商店と住宅とそこに住む人々の、脈々と続く静かな日常を感じる。
画像15 新世界は人通りが多くかなり目立ってしまい、人を避けて引くのも難しかった。新世界を抜けて日本橋へ向かう。
画像16 ”この街”と言葉で言うとき、その明確な範囲はどこからどこまでだろうか?と考える。実際には街と街はゆるやかに繋がっていて明確な境界などないし、"この街"の範囲は人や時代によって形を変える。
画像17 日本橋は元々電気街なので、街の外れには古い電気屋さんがまだ残っている。中心部は完全にオタクの街と化しており、周縁部にもメイド喫茶やトレカショップが勢力を伸ばしつつあるため、この風景をいつまで見られるかはわからない。
画像18 日本橋で有名な五階百貨店。なんで五階建てじゃないのに五階というのか?はwikiあるので見てください。
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画像20 日本橋中心部。まだ人通りが少ない日ではあったが視線がだいぶ痛い。でも案外誰もなにも言ってこないので、黙々と歩き続ける。
画像21 日本橋を抜けて難波へ。この辺りは飲み屋街なので昼間は閑散としており、私も昼間じっくり歩いたことはなかったので新鮮だった。ゴミや吸い殻がその辺に大量に落ちているのを、商店主らしき人が拾っているのを見た。夕方には綺麗になって、明け方にはまたゴミだらけになるんだと思う。この街ではそれが延々と繰り返されている。
画像22 この辺りなんか昔からしょっちゅう飲みに来たりしているが、何度通っても新しく知ることがあり、何度通っても飽きない。大阪の街は面白いな〜もう30年も住んでるのにまだ面白い。しがんでもしがんでも奥から新しい味が出てくる。
画像23 飲み屋とBarといかがわしい店とたこ焼き屋が、新しい店ができては潰れ、また新しい店ができ、そしてまた潰れる、を永遠に繰り返している。
画像24 ずっと鉄板を引いていると鉄板の上にゴミがよく乗っかっている。タバコの吸い殻や砂、小石、ゴミなど。鉄板の上に気づいたら乗っていて気づいたら無くなっている。鉄板の上でゴトゴト揺れてどこかに運ばれていく様子に何故か哀愁を感じる。
画像25 道頓堀に差し掛かる。アフターコロナの今、道頓堀は特にがらっと変わったように感じるが、前の道頓堀を明確に思い出せない自分がいる。そもそもコロナ関係なく街自体は常に変化し続けていて、街の細部まで思い出すことなど不可能である。
画像26 私たちは輪郭を変え変化し続ける街で、曖昧な記憶を抱えて生活している。生きる上ではっきりしたことなど何もなく、全て不安定で不明瞭で、でも私たちはそれらを抱えて生きていくしかない。街を歩くことでこの街を見直したい、もっと知りたいと思っていたが、歩けば歩くほどわからなくなってしまった。でもわからないと言いつつも、この今から目を逸らさずに考えたり行動したりすることが大事だと思う。
画像27 私は2019年のアンデパンダン展での展示の際、次のようなコメントを残した:「改めて歩いた大阪の街は、いつも通りの見慣れた光景だった。そして気がつかないレベルで少しずつ日々変化している。私はこれからの大きな変化も、いつかきっと受け入れてしまうと思うが、体に染み込ませた、曖昧な記憶を忘れないようにしたい」
画像28 実際、この直後かなり大きな変化が起こり、そして今変化した街を受け入れている自分がいる。結局そういうことの繰り返しなんだと思う。でもこの日の曖昧な記憶は、こうした写真とともに朧げに思い出すことができる。それでいいと思う。
画像29 堺筋本町付近、ギャラリーにある西天満を目指す。今回は友人2人が同行して撮影してくれていたのだが、タイムリミットが来てしまい、ここからは一人で歩くことに。なのでこの先写真がありません……。
画像30 無事西天満到着。(ギャラリーオーナーに撮影して頂きました)今回のプロジェクトはアンデパンダン展にて冊子にまとめて展示した。撮影に同行してくれた友人2名、gekilin.ギャラリーのイイノさん、ご協力ありがとうございました。

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