日常系エッセイが好きなんです

今日はリア友の西野さんに向けてnoteを書く。


西野さんがnoteに書き出したから私も気になっていたnoteに移ってきた。
だから私がこうしてここにいるのは西野さんのおかげ。
西野さんと私は山本ふみこ先生のエッセイ講座で知り合った。

そして先日ふとnoteのおすすめを見ていたら安永さんのお話が載っていた。
西野さん、安永さんのお話が書かれているよ!

安永さんもまた山本先生の講座にいらした方だった。そしてあの時出版社を立ち上げる直前だったか。私たちと共に講座を受けながら彼女は出版社を立ち上げ巣立って行った。
彼女が仕事をやめた理由はライツ社のnoteにもあるが子供との時間を優先することを考えたからだった。そして大変な思いをされて出版を続けた。

西野さんも安永さんも母親をしている。主婦もしている。

西野さんはエッセイ講座で安永さんの出版したものを発表した展示だったか?見に行った様なことをエッセイの課題でだされていたっけ。

西野さんに初めてお会いした時彼女は今の職場で働いていなかったと思う。お子さんも大きくなり外の仕事に出られる様になったのを彼女のエッセイで知ることになる。

私がエッセイを好むのは書き手の生の暮らしが感じられるから。小説も素晴らしいのだろうけれど私は圧倒的に日常の暮らしが書かれていたりその書き手の考えが書かれているものを好む。

これに有名無名はなく、好きな文章を書かれる人はいて「物事の捉え方が前向きな人・違う角度から物事を見ている人」だと思っている。

前向きというのは「きっと上手く行く」とか言っているだけではない

もしもよろしくないことが起きていてモチベーションが下がることがあったとしても、それは超えることができるちょっとハードな腕試しだと思える考え方を文章に書く人。

出来ない方にクローズアップするのではなくて、遠回りでもそこから取り組んでみたら何かが変わるかもしれない、そんな考え方をしている文章。

逆にこれはもうフォローを外そうかと思うのはこれは言い訳か?と思える文章。または特定な誰かを叩くような文章。
なんというか例えば自分がそうじゃないと相手の意見に真っ向から否定的であるならそれはそれでいいと思う。

いいのだがわざわざそれを自分のnoteに書くならもっと違う書き方をした方がいいと思っている。

全く知らない人たちが見に来るものに「こんなこと言っている人がいてそれじゃなくてはダメですか?」とか言っているのを読むと正直自分でダメだと思うならそれでいいじゃないかと思う。

自分のフォロワーに対して共感を煽る様な書き方をしている文章をみると私はその場からそっと姿を消すことを考えてしまう。

人は多面的に出来ている。

炎上を煽るような書き方で書かれているものを読んで不快だという気持ちが起きるのは分かる。分かるけどそんな書き方をするその人はもしかしたらとても厳しい中自分の体験を経てそんな風に思っているのかもしれないと想像したらそうなんだね、で相手にしないに限る。

自分の中で怒りや否定が湧くならばそれは読んだ自分が大変なんだろうなと考える。

ある意味客観的に自分を知る材料になる。

人間自分の大変なことを否定されたら誰だって嫌な気分になるだろう。でもここで感情が爆発してしまってはならない。

感情的になって書くのはいい文章が書けない!それについては変に自信がある。

そういう時はその感情を受けて自分の内面を掘り下げてみる。きっと今の自分とは違う自分が見つかるはずだから。

ごめん西野さん、後半やっぱり自分語りになっちゃった。




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