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来年に向けてのセッション

今晩は、卯月螢です。
自分の感覚と向き合いながら、絵や詩や文章を制作しています。

本日は、代官山に来年に向けてのセッションを受けてきました。
何度かセッションを受けたお話を書いているのですが、今回は「来年の事」がテーマとなっています。

セッションを受けるのは、毎回お世話になっている小池安雲さん。
キャンドル作家として活動をされていますが、リリ〈理人〉数秘術を考案され講師もされています。


とかく、私は他人に自身を伝えるのは難しいと思い生きてきました。
「話し合いは妥協で解決する」「話し合うことで自分の事を解決する」ことなどできないとを諦めて過ごしてきました。
セッションに好意的ではなかったのが正直なところです。
でも、何回もセッションを受けてきて思うのは「解決するのは、自分自身である」ということ。好意的でなかったのは、自身の判断基準と他人の基準を同一視してきたので違和感があったろうと振り返ります。

この数年はコロナ渦や介護や親との死別など自分自身の価値観や精神的な強度が揺らぐことが多く、価値観が揺らぎ生来の思い込みに疑問を持つ時間ができたからこそ気づけたかもしれません。
長く社会生活を送っていると世間的な価値観が強固になっているものです。
知らず自分自身を誤魔化すのがうまくなってしまい、自分の本心は日々の生活の中に埋まってしまうもの。
しかし生きていると必ず、辛い事や悲しい事で自分の脆いところに気が付いてしまい価値観が曖昧になって不安になる時期がきます。
それは不意に訪れて避けようがない。
そんな時期を体験して思う事は、
自分の弱さを受け入れざる負えなくなる、そんな出来事がないと自分を振り替える機会など作らないかもしれない…特に私はそうでした。

今日のセッションでも、それがはっきり出た場面がいくつかありました。
自分自身で抑えてきたこと、捻じ曲げてきた価値観と判断基準。
もう結果は出ているのに、行動にできない足枷の有無。
年齢からくる踏み出す怖さと心にある本心の姿。
印象的な表現になってしまいましが、具体的な事は個々に違うのでここでは書きません。
ただ、それに気付かされた事で脳がショートしてしばらく思考停止するほどの衝撃があったのは今回が初めてです。
セッションは鏡のような印象を受けてきましたが、今日は外見だけではなく内面まで垣間見たような疲れがあります。
他人から「こうしたほうがいい」と言われたわけではなく、自分の中で否定まみれにして隠していた事を自身で見つけて表に出した疲労感はそうとうなものです。
しかし、不安なはずなのに不思議と悪くはない。
もう覚悟が決まっていたのか?逃げ切れない事に気づいていたのか?
変な安堵感の中でこの記事を書いています。
音声を上げようと何度か試したのですが、あまりまとまらず文章といて整頓しようと切り替えました。

セッション終わりに、来年の過ごし方についてのヒントを記した冊子をいただきました。

数秘術は、あなたの人生を「こうしなさい」と決めるのではなくて
「あなたらしい人生を実現するために、こんな見方をしたらどうかな?」
というヒントをもたらしてくれるものです。

と、締めくくっています。
今回のセッションのなかでも私の話と様子を見て数年間伝えようと思っていた事を「やっと伝える事が出来た」と笑顔で話されました。
数年かかりそのヒントがやっと理解できるようになったのかと自分を知ることの難しさを痛感しました。


帰ってきてから、ウイスキーでリラックス。
脳の機能が戻ってきたかも🤔


自宅に帰り、自分の手帳を見返して驚くことがありました。
今年はよく思いついたことをメモするようにしていたのですが、セッションの中で向き合って出た事柄が記してあったのです。
書いてたんです、自分で・・年初めに・・今年の・・
それを、年末まじかの11月に気付くなんてね。
本当に。

自分自身とは、なかなか難儀な隣人です。

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