fragile 《生まれては消えるもの》
fragile
揺らめく命
灯が途絶える人生の岐路に
言葉なく 思い合う
共に過ごしてきた、茨のような日々の記憶
当たり前のように取りこぼした、愛情の欠片が風に飛ばされる
搔き集めることはもう遅く
砂のように指の先から零れ落ちる
もう会うことはない
別れる未来しかないこの時に
触れ合う体温さえも冷えていくこの終わりに
ささやかに語ろう
思い合っていたことを
言葉にできなかった、すれ違った日々の記憶
涙と後悔をこの地に残し
愛だけを胸に
思いが芽吹く、その時まで
「分かり合う」という事の難しさ
「分かるよ」と、いう言葉が嫌いだった。
よく使われる言葉である。
使われすぎて真実味が感じられないときもある。
ひねくれているのかも知れない。
しかし、思い返すと自分もよく使ていたと思う。
相手の言葉に同意するのに「その気持ちは良く分かる」はとても優しく響く。
「自分の事はあまり理解されない」と思って生きてきた。
気質の事もあり性格も関係しているかもしれない。生きてきた環境も大きく影響していると思う。
「言っていることが難しい」
「分からないことを言って不安にさせるな」
ただ自分の状況を理解してほしくて分かってほしくて言葉にしたのに、返ってきた言葉は傷つくものばかりだった。
理解してもらえるように本も読んだ。
他人を観察して話し方や言葉の選び方を分析する日々の中で、気づいたことが一つある。
100%の理解は得られないという事。
同一人物ではないので、思ったことを相手が理解してくれる確率はあまりにも低いという事。
理解するという過程は、伝えたいことを相手にわっかてもらえることを目標に言葉を選び文脈を組み立て相手の大体の知識と性格を読んで伝える過程をすすむように思う。
周りの人はそれを自然としているのか?
さりげなく聞いてみても「言っていることが難しい」と言われてしまう。
今、自分の気質を理解して過去を振り返ってみると「察し過ぎる」ということが私の悩みの根本であると思い至る。
少しの会話で「表情を察し」「言葉の強弱の違いを察し」「言葉の背景を察する」感受性が豊かという良い表現もあるが、それが私にとって他人との交流の障害になっていたと思う。
誰かにとっては「便利な人」誰かにとっては「怖い人」
それを痛感したのは、身内の介護の中だった。
心が弱くなってしまい自分では意思の決定が怖くなってしまった人には、一言で察する人間はどのように感じられたか?
反対に、一言で嘘を見抜く人間がそばにいる事は怖くはなかったか?
ちょうどコロナの緊急事態宣言渦中、外との交流が必要以上に制限された中でのやり取りは思い返すと息が詰まる記憶である。
自分の感受性を恨んだし、自分自身が怖くて仕方なかった。
精神的に追い込まれた中で、理解しあうことの難しさを痛感して日々泣いた。環境的なこともあったが「察してしまう」ことで相手との距離感が取れなくなってしまった頃に私に限界がきた。
物理的に距離を置くことを第三者から提案され「理解し合う」ことなく別れ、その人は翌年旅立った。
自分もその人も、理解してもらう事しか考えていなかった。
伝える努力も受け取る意識も足りなかった。
病気であれその前も、自分を振り返り介護日誌を読み返す中で後悔にさいなまれる。
「こんな人間でなければ、もっと分かり合えたのではないのか」と自分自身を責めているなかで、渡されたものがあった。
ちょうどその人が亡くなったのは夏の暑い盛り、7月の七夕の前。
私の身を案じる少し改行のバランスが悪い短冊。
その一枚で察することができた。
その人の不器用な愛情を幼さを、その人がいない今になって。
都合よく解釈していると思えるかもしれないが、互いにすれ違った経験があり苦悩した日々がある。その果てに文面を見た今は、ただ愛情があったと心から理解ができた。
「希望とは未来に望みをかける事」検索して出てきた言葉。
いつしか自分の事を理解してもらえる、そう思い挫折し絶望し諦めて
「希望」や「夢」や「望み」から背を向けた日々。
今・・気が付くのかと自分の理解力の無さに嘆かざる負えないが、気づかずに終わるよりは良かったと思う。
まずはその人が願ったように無理することを辞めてみた。
そして自分の弱さよ受け入れてそのフィルターで過去を振り返り、自分の未来を望んでみようと思っている。
いまだ「気持ちがわかる」には違和感があるが、「分かる気がする」はだいぶ受け入れるようにはなってきた。
厄介な性格である。
小品出展作品「フローラの遺言」
孤独について
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