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【読書メモ】『救命:東日本大震災、医師たちの奮闘』(監修:海堂尊)

3月11日、東日本大震災の発生から13年を迎えます。皆様には、午後2時46分から1分間の黙とうをお願いいたします。

出典:「政府広報オンライン、「X(旧Twitter)」2024年3月11日ポストより」

今年も「3月11日」が巡ってきました。私自身は13年前の東日本大震災発生時には渋谷で働いており、時間もそうおかずに電車がすべて止まり、15時過ぎには帰宅指示が出たのを覚えています。同じく都内で働いていた家内とは携帯メールなどで連絡をとりながら、途中(吉祥寺の手前位)まで数時間かけて歩き、電車・バスが動いているのを見て安心した覚えも。またその頃は保育園に通っていた息子を日が変わっても預かっていただけていたことは、今でも感謝してもしきれません。

そんなこんなで、この時期には自然と東日本大震災関連の書籍を思い出す事が多いのですが、今回思い浮かんだのは『救命:東日本大震災、医師たちの奮闘』。バチスタ・シリーズの海堂尊さんが、死の現場での医師の力をルポルタージュとしてまとめられた一冊となります。

医師とは、いのちを救い、死を悼む存在

出典:『救命:東日本大震災、医師たちの奮闘』

語り部となるのは、東日本大震災の現場にいた9名の医師の方々。

菅野 武 医師(内科・宮城県南三陸町)
桑山 紀彦 医師(心療内科・宮城県名取市)
井坂 晶 医師(外科・福島県双葉郡)
旭 俊臣 医師(神経内科・千葉県松戸市)
植田 俊郎 医師(地域医療・岩手県大槌町)
江澤 庸博 医師(歯科・宮城県仙台市)
川越 一男 医師(救命救急・千葉県市原市)
石木 幹人 医師(地域医療・岩手県陸前高田市)
黒田 仁 医師(地域医療・岩手県宮古市)

目の前で命を失っていく様子を目撃した人もいた、家族と離れ離れのまま、互いの生死も不明のままの人もいた。そんな「現場」にいたからこその内容となっています。わずかな判断の差が生死の境目となる、そんな冷徹な現実がシンとした緊張感と共に伝わってきます。

修羅場では物事の本質が露わになる。社会の本質はまず医療ありき、なのだ。

出典:『救命:東日本大震災、医師たちの奮闘』

あくまでも、いのちを救い死を悼むのが医者の本分とも言われますが、このような認識はもしかしたら、医師に限った話ではなく、社会として必要とされる感覚なのかもしれません。

なお、最初はハードカバー版として2011年に、その後2014年に文庫版に落ちてくる際に、語り部となった医師の方々の2014年の後日談が追記されていて、比較してみるのも感慨深いです(後書きも追加されていますが、こちらはやや首をかしげる記載かな、との感想です)。

東日本大震災から13年が過ぎた今現在、未だに風評被害をバラまき続けているようなアレな存在がいる一方で、一歩づつ着実に前に進んでいるとの実感があるのもまた事実、と個人的には。

そしてまた本日、今の職場の防災無線から時間ちょうどに1分間の黙とうのアナウンスが流れてきました。折々で思い出し、また、息子たち次の世代にも様子を伝えていくことは大事なことではないかと、それが、風化させずに寄り添っていくことの一つではないのかな、とあらためて。

1年に一度、当時を知る皆様と共有する1分間で、こんなことを考えました。

余談ですが本日、2011年3月26日のドバイワールドカップで、日本調教馬1・2フィニッシュを決めた「トランセンド」のウマ娘への育成実装予告が出てきたのには驚きました、、1着のヴィクトワールピサ、シナリオ内で名前が出てきたりするのかなぁ。

またトランセンドさん、2011年はフェブラリーステークス(2月20日)、マイルチャンピオンシップ南部杯(10月10日)、ジャパンカップダート(12月4日)と大活躍しています。意識的に時期を合わせているのであればなんともエモい演出ですが、、そういやオルフェーブルは2011年の三冠馬でした、来年、もしかすると、ですかね。。


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