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【読書メモ】『「常識」としての保守主義』(著:櫻田淳)

保守主義の政治の要諦は、「あらまほしき現実」を創出するのではなく、「変転する現実」に適応すること

出典:『「常識」としての保守主義』

さて先日、三カ所で行われた衆院選の補選(東京15区、島根1区、長崎3区)の結果が出て、立憲共産、、もとい、立憲民主党が3議席増やしたようです。興味深いのが、左右問わずに「政権交代への兆し」、「人民の勝利」、「自民全敗」とか、とにかく岸田政権を貶めたいのであろうなぁ、との思惑を隠さない点。

ただ、自民党が候補者を立てれなかった時点で不戦敗だったのは確かですが「自民3連敗」とのフレーズはさすがに違和感です。それが「左翼(パヨク)」からならまだしも、今まで保守を自称?してきたところからでてきているのは、、まぁ、左右問わずに界隈に足を突っ込むと本質も似てくるとのいい実例でしょうか、結論ありきの全体主義者的思考の罠かな、、小波なセンセとか(個人の見解です)。

まぁ、インテリ層()の言葉遊びはさておき、個人的には自分の選挙区にも影響してくるであろう東京15区での選挙の在り様が醜悪この上なかったことに、ただただ嘆息です。

今回の選挙戦では、ある陣営が他の候補者の演説場所で大声を上げ、選挙カーで追いかけ回すなどの行為を繰り返し、街頭演説の事前告知ができない状況も発生。

出典:「「怒りしか」「選べない」「モラルない」…衆院東京15区補選、有権者はどうみたか」
(『産経新聞』2024年4月28日)

そうそう産経さん、少なくとも、「立憲民主党」、「日本保守党」、「つばさの党」の傍若無人っぷりをきちんと伝える努力はしてくださいね。私は今回、積極的に応援したいと思う候補者はいませんでしたが、少なくとも酒井さん、飯山さん、根本さんだけはマジで勘弁してください、と痛感しましたから。

福島に対する風評加害をかましたり、あわや大事故との幅寄せをしたり、自分たちさえよければとの、排他的なファシストムーヴを平気でかましてきたりと、今まで党派は違えども、丁寧に積み重ねてきた江東区での選挙文化を暴力的に消し去ろうとしたヤカラを、このまま有耶無耶にしておいてほしくはないところです。

個人的には、今回酒井さんが通ってしまったのは投票率の低さもさることながらそれ以前の問題として、保守を僭称していた「日本保守党」、「つばさの党」あたりがさしたる見込みもないのに中途半端に票を削ったからでしょう、、そういった意味では「都民ファースト」を中途半端に応援した「国民民主党」への評価も少し落としています、せめて現実路線を優先して「日本維新の会」との共闘を模索してほしかった(どちらに寄せるにせよ)。

出典:「衆議院東京15区補欠選挙2024年 開票結果や投票率は」
(「NHK首都圏ナビ」2024年4月29日)

「右翼全体主義者」と「左翼全体主義者」が結びついて、大政翼賛会などをつくり、大日本帝国憲法体制を破壊した

出典:『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』

結果として、極左思考を隠そうともしない酒井さんになってしまったとの事を、今後も保守を自称していくのであれば、少なくともその方々には猛省してほしいところ。意図してか無意識なのかは分かりませんが「利敵行為」でしかなかったので、、まぁ、自覚があるかどうかの一つの試金石かな。

なんて、江崎先生が懸念されている「右翼全体主義者」と「左翼全体主義者」が結びついて憲法体制を破壊していったなんて歴史が繰り返さないように注視していかないとねぇとか考えながら、ふと思い出したのが『「常識」としての保守主義』との一冊。

政治家がスペシャリストではなくジェネラリストでなければならない所以は、その「大局を観る」という営みに政治家がかかわることにある

出典:『「常識」としての保守主義』

確か2012年頃に初めて手に取った覚えがあります。元々は自由民主党の機関紙向けに連載されていたとのことで、「保守」という概念について入門的な観点で丁寧に分かりやすくまとめられた内容となっています。

「左翼」は、社会の変革を急激かつ劇的に推し進めようとするのに対して、「右翼」は、その変革には概ね慎重な姿勢を示し、それを推し進める際にも漸進的である

出典:『「常識」としての保守主義』

日本においては、左翼は社会をより良い方向に変えていく前向きな勢力、右翼はそれに頑迷に反対するだけの後ろ向きな勢力、的な印象付けが強いと思います(ここ10年くらいで大分変ってきているとは思いますが、安倍さんのおかげですね)。

自らの「視点」に対する執着を示す。そのことは、他の人々の「視点」を排除するという意味の「偏狭」に結びつくのである。

出典:『「常識」としての保守主義』

戦後の日本では、左翼の偏狭性、右翼の堅実性は、それぞれが薄められている気がして、この辺りは日教組が暗躍していた戦後教育の賜物ですかね、とは言い過ぎでしょうか。

特定の観念や価値意識に裏付けられた「イデオロギーの思考」は、人々の視野を狭いものにする

出典:『「常識」としての保守主義』

個人的には、排他性の強い絶対的な唯一無二の価値観に収斂していくのではなく、時代時代、場合場合での最適解を求めて、その時代を生きる人々が創出・適応していくような、可逆性が担保されている流れが性にあいます。

唯一的な価値観に縛られるのは停滞と同義であって、変革、成長とは結果として相反すると思いますし、この辺りはソヴィエト連邦が崩壊した原因の一つとしても見出せるのかな、、とも感じてみたり。

人間の社会において「平等」の価値を過度に追及しようとすれば、社会における「多様性」が損なわれる

出典:『「常識」としての保守主義』

求められるのは「機会の均等」であって「結果の平等」ではない。後者が不平等社会を創出する原因の一つになっているのは、ここ最近ではポリティカル・コレクトレスとの建前がもたらしている歪さからも感じられると思います。

ヴェネツィアの衰亡の兆しの風景として、「独身の男が矢鱈に増えた」という事例が紹介されている

出典:『「常識」としての保守主義』

社会から活力が奪われて、厭世的な個人主義が蔓延し、閉塞感、停滞感につつまれている、コレを今の日本と重ねてみると、非常に興味深いです(と言ってもいられないですが)。

日本の人々は古来、「現実主義、効用主義」の観点から様々な文物を採り入れ、自らの生活に活かしてきた

保守主義思潮の下地は、旧いものに対する愛着であるけども、それは決して執着ではない

出典:『「常識」としての保守主義』

政治とは理念を踏まえた上で現実との折り合いを模索するための手段だと思います。「大きな物語」は必要とされるかもしれませんが、ソレへのアプローチで求められるのは、まずは多様性ではないでしょうか。

手段まで唯一化されてしまうのは、それこそ、排他的なファシズムにつながりかねないかと。自分自身にとっての豊かさを各々が自由に選択できる、そんな社会が個人的には望ましいと考えていますが、、

少し前までは「ファシズム(全体主義)」なんていうと、左翼(極左)の専売特許だったのですが、ここ1‐2年で急速に右翼(というか極右)にもその「全体主義的傾向」がみてとれることに、どうにも危機感を覚えてしまいます。

「曖昧さ」や「判り難さ」に向き合うことに耐えられない精神は、政治が成り立つ環境を窒息させるとともに、人々の「自由」の条件を切り崩す

出典:『「常識」としての保守主義』

2012年と言えば、その年の12月から第2次安倍政権が始まった年でもあります。それまでの3年にわたる「悪夢の民主党政権」で徹底的に破壊されてしまっていた日本社会、安倍さん、菅(すが)さん、岸田さんと繋いでなんとか復興してきている感があるだけに、「右翼全体主義」にも「左翼全体主義」にも与しない、取り込まれないようにと、努々忘れないようにしていかないとなぁ、とあらためて。

なんにせよ、今回の3カ所での補選、そもそも論として候補者を立てられなかった点を猛省してほしいと自民党に対しては(機会があったら地元の議員さんにもお伝えしておこう)。あと、7月の都知事選、気合い入れて調整してほしいですねぇ、、もう罰ゲームは嫌です。

憲法改正によって取り戻すべきは「保守自由主義」であって、「右翼全体主義」でも「左翼全体主義」でもないと明確に答えることができるようになっておくべき

出典:『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』


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