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気になって仕方のないこと

年度末だから、というのもあるのかもしれませんが、SNSを開けば、「総合的な探究の時間」に絡んだ(絡んでいると思しき)コンテストやコンクールのようすが絶え間なくアップされています。

受賞された学校さんや生徒さんは、素直におめでとうございます、なんですけどね…これらを見るにつけ、「気になって仕方のないこと」を書いてみようという気持ちが沸々としてきたわけです。

  • 単刀直入に、コンテストって、誰の何のために必要なのでしょうか?

  • コンクールでの入賞が目的ではない、と言い切れるでしょうか?


コンテストやコンクールへの応募を否定するつもりはないのです。
ただ…私、賞や順位がチラつくだけで、結構ウッとなってしまうタチなんです(その原体験については、こちらに書きました)。

過去あれほどにコンテスト主義だったお前、矛盾してるぞ、と突っ込まれそうですけど…続けます。
担当者ですらない私ですが、「総合的な探究の時間」には前々からかなり高い関心があって、自分の考えにすごく近い考えに触れることができたのが、東京女子学園の奇跡を語ったこちらの書籍でした。


この文脈で紹介したら怒られそうですが…広く先生方に伝わると良いなというメッセージが詰まっているのが、「邪魔せず寄り添う"ゆるふわ"探究を始めよう!」という副題からも十分すぎるくらいに伝わってきませんか?

 例えば内閣府が主催する『地方創生☆政策アイデアコンテスト』に参加するとして、アイデアが思い付くだけで評価すべき生徒もいれば、完成度の高いプレゼン資料が作れることを期待する生徒もいますし、グループの話し合いに参加して意見が言えるだけでも十二分に成長したと言える生徒もいます。それぞれの目標なりがあってもいいはずです。

「ゆる」な探究とは、から抜粋

 前述の『地方創生☆政策アイデアコンテスト』を例に取ってみましょう。生徒たちのアイデアくらいだと、私たち教員はそれに対する明確な回答、アドバイスは可能です。ですが、その『正解』を伝えてしまっては学習になりません。
(略)
 まあ、だから探究は意地の悪い教員に向いているかもしれません(笑)

「ふわ」な探究とは、から抜粋


  • 学習者それぞれの目標があってもいい

  • 教え込んだり、ある方向に誘導したりしない

書籍の中でも言及されてますが…これって「総合的な探究の時間」の価値の一つであると思います。

(探究における、コンテストやコンクールは手段であって、賞や順位は目標じゃない、という声が上がりそうだけど…)本来、何より大切にしたい、学習者の個別の目標設定や状況の見取りといった、プロセスへの支援や、こうしたマインドセットがすっぽり抜け落ちてしまって…「こうしなきゃ」「こうあるべき」にとらわれちゃってる先生方が出ていそうだな、と思ってしまうわけです。

(気のせいなら良いのですけど…)かつての自分は、まさにこうだったので、すごく気になっています。


学習者のことにも言及しようと思ったのですが、採点に追われているため、この辺で終わります笑

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