見出し画像

『劇場版ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス』この拗らせ方がすごい2020なトレギアさん。

 「思えば遠くへ来たもんだ」と本作の初報を見て思ったのも無理はない。いくら何でも目に余るチープさが全編に漂う『ウルトラマンギンガ』から7年。作品数を重ねるごとに映像の豊かさ斬新さでファンの心をつかみ続け、「ウルトラマン」のブランドを次世代に繋いだニュージェネレーションヒーローズたち。そんな彼らが一堂に会する劇場版が、コロナウイルス感染拡大に伴う延期を経て、ついに劇場公開された。

 ニュージェネウルトラマンの作品群は2クールのTVシリーズと、一本の長編劇場版がセットになっている。その劇場版では前作のウルトラマンの客演が、オリジナルキャストの出演込みで確約されており、それらの作品はマルチバース(多次元宇宙、パラレルワールドのこと)の設定を活かしながらゆるやかに繋がってきた。まるで部活のOBが時折部室に遊びに来るように、ニュージェネウルトラマンはどこか「先輩と後輩」のような縦の関係が強く見える。新しいウルトラマンは先輩ウルトラマンの力を借りて変身やパワーアップをし、また新しい番組が始まれば「先輩」になった彼らのアイテムが後輩に託される。作品と玩具の展開、その両方でヒーロー同士の繋がりを「絆」として全面に打ち出し、キャラクターたちの掛け合いやウルトラマンの強化に反映させていく。ことクロスオーバーに対しては「原典」を尊重することにこだわり続けた円谷プロの理念が、そこには宿っているように感じられる。

 そんな円谷プロが堂々と送り出すのが、ニュージェネウルトラマンをオリジナルキャスト込みで集結させた本作だ。本作並びに『タイガ』の前日譚となる『ウルトラギャラクシーファイト ニュージェネレーションヒーローズ』では「声の出演」として、動画配信コンテンツで(しかも無料で観られる!)全員集合を見せておき、劇場版で満を持して全キャストが生身で集結する。合計8人のヒーローが並び立つだけでも壮観だが、過去の劇場版での共演を踏まえて仲の良い様子を見せてくれるリクと湊兄弟の描写や、タロウとも縁の深いギンガ=ヒカルが彼を思いやる台詞を吐くなど、とにかく細かいところまで気が利いている。過去作を知れば知るほど味を増す、というクロスオーバーの醍醐味をしっかりと味わわせてくれるので、大きいお友達ほどくすぐられてしまうのだ。

 映画本編が70分と尺が短く、『タイガ』のドラマを進行させなければならない都合上、実のところ特撮アクションとしての満足度は『ウルトラギャラクシーファイト』の方に軍配が上がる。坂本浩一監督が手掛けるこちらは素面のキャストが登場しない=特撮シーンと繋ぎの短いドラマに尺を割けるため、登場するウルトラマンのフォームチェンジを網羅するファンサービスの濃さは凄まじいことになっており、最強形態の揃い踏みも本作より先だって実現させている。アクションシーンの満足度は『ウルトラギャラクシーファイト』に、オリジナルキャストが揃う画としての感動は『ニュージェネクライマックス』に、ということで上手く住み分けがされており、結果としてニュージェネ集結を色んな形で実現させてくれたことに感謝の念でいっぱいだ。

 また本作では、TVシリーズではあまり強調されなかった、タイガ自身の「タロウの息子」という一面にフォーカスを当てている。タイガは父タロウに何の負い目も葛藤も抱いておらず、真っ直ぐに育った好青年の印象。そんなタイガが父を慕い、タロウも息子を守るべく地球に降り立つ様子が本作で描かれるのだが、トレギアの策略によってタロウの意志は乗っ取られ、タイガは父との闘いを余儀なくされる。

 尊敬する父と闘わなくてはならない苦しみ、相棒のヒロユキを想うばかり正直になれないなど、タイガの感情がこれまで一番表に現れ、悲痛さを物語る。そんな時、タイガにはトライスクワッドとの、そして地球人との絆が支えとなり、父を取り戻すべく闘いに赴く決心を固める。ニュージェネウルトラマンが繰り返しテーマにしてきた「絆」によってタイガ自身が救われるという筋書きは、ニュージェネの集大成として相応しい物語だと受け取った。しかもそこに、最高に頼りになる先輩方がついているのだ。こんなに頼もしいことはないだろう。

 しかし、ニュージェネ大集合という一番の目玉を差し置いて、鑑賞後ずっと頭から離れないのはトレギアという悪の…いや、これを「悪」と呼んでよいのかさえわからないほどに複雑でクソデカい感情を有したある一人の男のことだ。劇場版R/B、そして『タイガ』TVシリーズを経て、私はトレギアのことをわかったつもりでいたのだが、奴はもはや善悪や光と闇といった二元論では解釈できない、とてつもない領域に足を踏み入れたウルトラマンだった。いつもよりも饒舌で、わりかしストレートな表現で自らを語るトレギアの姿に、私はこの劇場版で初めて心を奪われてしまった。

 まずトレギアの基本思想として、「光も闇も、正義も悪も、等しく同じ価値しかないことを証明したい」という台詞が挙げられる。特撮ファンだったり、普段アニメやゲームに親しんでいれば、闇や悪といった言葉はどうしても敵側、「こちら側」ではない者の代名詞として受け取ってしまいがちだ。だがトレギアは、そんな区分けに意味はないと言ってのける。人と人、あるいは思想と思想の対立をいつも二元論でジャッジしてしまう我々への、痛烈な批判にも見えてくる。

 トレギアの中では、光も闇も同価値でしかない。なのに、ウルトラマンは宇宙の自警団のように銀河を見守り、怪獣や宇宙人を倒す。その善悪は、いや、正しさは誰が決めるのだろう?善も悪も、光も闇も、そこに優劣はないはずなのに…。いかにしてその思想に辿り着いたのかは不明だが、おそらく彼は「光の国」に生まれ、宇宙のバランスを保つために「悪」と闘うウルトラマンの中では、異端児だったはずだ。彼は光の国の常識からは外れ、友であるはずのタロウにも理解してもらえなかった。トレギアを闇に堕としたのは、光の国そのものなのではないか。

 その目的もタイガを闇に染めるというもので、シリーズ後半からはタロウに対する異常なまでの敵意と、タイガへの嫉妬交じりの執着を見せる強烈なヴィランとして存在感を打ち出してきた。「親友が闇に染まったウルトラマン」という意味ではウルトラの父ーベリアルの関係を彷彿とさせるも、トレギアもまたタロウへの並々ならぬ対抗心を抱いており、その息子を傀儡にして光の国をも亡ぼそうとする屈折っぷりが最高。そのためにトレギアは、タイガとヒロユキ、トライスクワッドとの絆にメスを入れる。
 「絆」とは、直近のウルトラ映画のサブタイトルにも用いられた通り、シリーズに通底するワードである。絆の力をお借りした『オーブ』もいるし、絆を得て合体するウルトラマンだっている。そうした、近年のウルトラマンの力の源といってもいい「絆」へのカウンターとしての存在が、トレギアである。闇に落ちたきっかけは今のところ明らかになってはいないが、おそらくはタロウとの絆の解消(と本人が思い込んでいる)に起因することが予想されるし、チビスケを殺したりタイガをヒロユキから引きはがしたのも「絆」が目障りだったからだ。トレギアは絆を断ち切ることで光が闇に変わることを学び、その境地に引きずり込もうとする。人と人との繋がりを示し、3.11以降のヒーローが、いや日本人が掲げてきたこの言葉を、トレギアは強烈に憎む。3月公開の劇場版ではタロウ本人を闇落ちさせるくらい、もうやりたい放題だ。

 これは、上掲のTVシリーズ感想テキストより引用したものだが、トレギアへの解釈は劇場版を経た今、大きくアップデートされている。トレギアは光の国を滅ぼしてやろうだとか、全宇宙を支配してやろうだなんてことは1ミリも考えていやしない。彼の瞳に映るのは、「タロウだけ」である。驚異的な視野狭窄。トレギアはもはや、友であるタロウに一緒の風景を見てほしいと願う、メチャクチャ切ない感情の持ち主なんじゃないだろうか。そう思った瞬間、劇場の座席で震えあがってしまった。

 本作には邪神魔獣グリムドと呼ばれる怪獣が登場する。「名前を口にしただけで呪われる」「ギンガ~ルーブのニュージェネ全員が変身能力を犠牲にすることでようやく封印できた」レベルのヤベー奴なのだが、トレギアはそのグリムドを体内に取り込むことで力を得ており、さらに本作ではそのグリムドを用いてタロウとタイガを敵対させる。なぜそんなヤベー奴を自ら取り込んだかって??タロウを自分と同じ境地に引きずり込む、ただそれだけのためにだ。

 本作冒頭でトレギアは、確信めいたセリフを発する。彼を探しに来たタロウに対し、トレギアは「混沌」というワードを何度も口にする。光も闇も入り交ざった、白黒つけ難い概念。それが人の、ウルトラマンの、そして世界や宇宙の真実であるかのようにトレギアは語る。トレギアはただ、この世界は「混沌」が全てでありそこに二元論は意味を成さないこと、光の国の正義はただの価値観の一つでしかないこと、闇を知らねば光を知らないのと同義であること、そしてそれらを「友」であるタロウにわかって欲しいという、たった一つの願いのために、グリムドという大いなる邪神をも取り込む。その願いが叶うことは、タロウが光の国のウルトラマンである限り、あり得ないのだが…。

トレギアへの理解を深めるには、けめこ様のこちらの投稿がオススメです。
「光」や「絆」がポジティブなものであるというウルトラ世界の常識の中で、トレギアは生きづらさを抱えていたのではないか、という指摘が素晴らしいと思っています。
そして、そのことをタロウに知ってほしかったんじゃないかと…。

 そういえば『ジード』でも伏井出ケイがお気に入りだった私、どう考えてもトレギアさんに惚れる素質120%の持ち主だったのに、それに気づかぬまま劇場版まで素通りしていたことに動揺を隠せない。しかもトレギアさん、邪神を取り込んででも手に入れたかった友の息子とそのパイセンに敗北するというハチャメチャに心にクる退場を披露してくれたので、劇場版タイガは満点です。性癖のフルコース。ありがとう円谷プロ。

 ところで、ニュージェネ全員集合のラスボスは当然あの「デザストロ」だと思ってたんですけど、アイツどうなったんだろ。円谷の財団Xことデザストロ、ちゃんと倒すとこまで観たいんだけどなー。

この記事が参加している募集

いただいたサポートは全てエンタメ投資に使わせていただいております。