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『ALIEN: ISOLATION』で思い出せ。人類はヤツに勝てないのだということを。

 アニメや映画を原作としたゲームにおいて、「再現度が高い」というのは最高のセールスポイントだ。作り手がその作品を咀嚼してゲームに落とし込み、プレイヤーがその世界観や物語を追体験できるよう誘導する。ゲームデザインと題材となった作品が上手くマッチした作品にこそ、その賞賛の言葉が相応しい。

 その観点で言えば、『エイリアン:アイソレーション』は間違いなく「再現度の高い映画原作ゲーム」ということになるだろう。ただ一つ苦言を呈するとするのなら、その再現度には「加減が無い」ということだ。もっと簡単に言えば、怖すぎるのだ。かつてこんな怖いゲームはプレイしたことがない。今やSF映画を代表するアイコンたるエイリアン、1979年の栄えある第一作目がどれほどの衝撃と恐怖を観客に与えたのか、それを追体験させてくれるのが本作であり、それについてのコメントは「もう許してくれ」に尽きるのである。

  本作は、1979年の映画『エイリアン』から15年後を描く、限りなく正史に近い作品。主人公はあのリプリーの娘アマンダで、宇宙船ノストロモ号が消息を絶ち離れ離れになった母エレンを探すためセヴァストポリ宇宙ステーションに向かうが、そこで阿鼻叫喚の地獄絵図を目の当たりにする……というあらすじだ。

 前述の通り、本作の再現度はどこを切り取っても申し分ない。コールドスリープから下着姿で目覚めたアマンダ、彼女の視界を通じてプレイヤーが目にするのは、水飲み鳥のおもちゃや電子音をかき鳴らす計測器やPC、窮屈で狭苦しい通路と白を基調とした壁に囲まれた小部屋など、映画の舞台となる宇宙船が忠実に再現され、それを自由に探索できるだけでワクワクが抑えきれなくなってしまう。どこまでも無機質で生気を感じさせない、宇宙船という名の密室は、観客のスリルを否応なく高めていく。

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 だが、その興奮が恐怖に様変わりするのは、わずか一時間後のことだった。宇宙にいる限り逃げ場がなく、応援を要請したところで返事など返ってこない。そんな状況で全く未知の生物に追い掛け回されるとしたら、人間は発狂してしまうものなのだ。このゲームを遊んだことで、映画の登場人物の心境が、痛いほどに理解できてしまった。ヤツと、遭遇してしまったからだ。

 時に、エイリアンと聞いて皆さんはどんなイメージをお持ちだろうか。一体の異形がから逃げ回る一作目や、群体として襲ってくる『2』、犬型が登場する『3』や人間との交配種が産まれる『4』もあり、果てはプレデターとも合体したヤバイ奴まで、多種多様な姿と手法で登場人物を襲い、観客を震え上がらせてきたエイリアン。

 本作『ALIEN: ISOLATION』は、その中でも一作目の血を色濃く継承した一作である。基本的に登場するエイリアンは一体で、そいつを倒すことはできない。プレイヤーに与えられた選択肢は、ヤツに見つからないようやり過ごすこと、たった一つしかないのだ。『2』のような重火器もパワードスーツも与えられず、か細いリボルバーやショットガンに火炎瓶では、ヤツに傷一つつけられない。

 本作は脱出のために与えられるミッション達成に向けて宇宙船や宇宙ステーションを探索するのだが、その間は常にエイリアンが生存者を探しダクトを通じて動き回っている。ヤツの挙動はごく一部を除いて規則性が無く、いつ・どこに現れるかはプレイヤーからは制御することは出来ない。聴覚が敏感なため、銃声や足音を聞きつけてはドスドスと天井のダクトを軋ませ、こちらに迫ってくる。一たび見つかればアマンダの残り体力など関係なく即死するため、プレイヤーはいつ襲われるかわからない恐怖に終始縛られながら、ミッションをこなさなくてはならない。さらに、本作のコンティニューーはセーブ&ロード式で、エイリアンと遭遇したことでこれまでの慎重なプレイが無慈悲に水泡に帰すことも日常茶飯事だ。

 映画でおなじみ動体探知機を片手に、いつ現れるかわからないエイリアンに怯え、息をひそめコントローラーを握る。映画であればただ流れてくる映像を受け止めるだけで良く、そこには脚本があって誰が生きて誰が死ぬかは人の手で制御されている。しかし、ゲームであればそうはいかない。アマンダの生存権が自分のプレイに委ねられているという責任感、暗闇と音が掻き立てる根源的恐怖、そこにエイリアン=死がランダム性を帯びている、という理不尽さ。これは誉め言葉なのだが、プレイしている最中に感じる緊迫感とストレスは尋常なものではなく、それがかえって決死のかくれんぼたる一作目『エイリアン』を追体験しているのだと実感させられてしまう。

 また、アマンダの命を脅かすのは宇宙生物だけではない。船内には恐怖のあまりパニックに陥った生存者が銃を構え、アンドロイドは暴走し穏やかな機械音声と共にこちらへ迫ってくる。エイリアンとは違い、彼らにはいくつかの武器は有効だ。銃で応戦したり、EMP地雷を使って動きを止めやり過ごすことも可能である。

 とはいえ、人もアンドロイドも無数に点在しているし、こちらは一人で弾薬などの物資も現地調達で心もとない。手持ちの素材をやり繰りしながら、時に節約、時に大盤振る舞いと状況に応じてアイテムを使い進んでいく様は、初期の『バイオハザード』の質感を彷彿とさせる。人間はまだしも、アンドロイドは耐久力に優れ近接攻撃では一体倒すのも苦労するため、銃の弾薬のストックがその場の難易度を大きく左右することもある。発砲音でエイリアンを呼び寄せてしまうリスクもあるため、ご利用は計画的に、だ。

 なお、本作には難易度選択が設けられており、それによって敵から受けるダメージや、エイリアンやアンドロイドの索敵能力を緩和することもできるため、初めてプレイされる場合は何ら恥じることなく"Very Easy"や"Easy"を選択してほしい。とはいえ、どの難易度でもエイリアンに見つかる=即死のルールは変わらないため、やはり人を選ぶ一作である。

 かくいう私はどの難易度で挑戦したのかと言えば、Easyをリタイアした、である。ここまで2,000字近く費やして初めて告白するのだが、私はこのゲームをクリアできなかった。ゲームの難しさではなく(難しいのは間違いないのだが)「ゲームが怖すぎる」という理由で、生まれて初めて自分で買ったゲームのクリアを諦めたのだ

 何度も諦めようと思った。エイリアンがその場を離れず15分近くロッカーで息を潜めることになった時も、防護服を着てEMP兵器が通用しないアンドロイドが現れた時も、電源を落としてふて寝しながら、それでも次の日には自分を奮い立たせ、攻略サイトを頼ったりもしたがそれでも前に進み続けた。だが、ついに我慢の限界がやってきた。主人公アマンダはエイリアンを閉じ込めステーションの一部ごと切り離し、船内の警戒システムを解除するために管理AI「アポロ」の中枢に潜り込む。エイリアンの危機は去っても、アンドロイドに見つかっては銃弾と体力をすり減らしながら進むのは、かなりの根気を必要とした。

 そんな彼女がついに辿り着いた中枢部は、すでにエイリアンの巣と化していた―。壁にはエイリアンに寄生された人々の死体が磔にされ、無数のエッグが惨劇を予感させる。その中にはまだ生きたものが残されており、フェイスハガーが突如こちらに寄生しようと這って襲い掛かってくる。それだけでなく、成長しきったエイリアン=ゼノモーフも闊歩しており、道が一方通行なこともあって逃げ場もなく、一時的に追い払うのできる火炎放射器の燃料も底を突いたらゲームオーバー確定。その襲撃をやり過ごそうと動体探知機を起動すると、無数の動く"何者か"に囲まれていることを示し、けたたましく警告音が鳴り響いたとき、私の心は折れた。このエイリアンの巣を三日かけても脱出することもできず、恐怖と心労に耐えかねて、私はアマンダ・リプリーと生死を共にする覚悟を捨て去ったのだった。

 かくして、クリアできなかったゲームを紹介する記事が出来上がったのだが、『ALIEN: ISOLATION』は未だかつてない没入度を与えてくれる作品であることは保証したい。映画の世界を探検し、登場人物が味わったものと同じ恐怖を追体験する。『エイリアン』のゲーム化として、これに勝る価値や評価があるだろうか。映画の有名なキャッチコピーでは「宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない。(In space no one can hear you scream.)」とあるが、地球でこのゲームをプレイする私は家庭が大騒ぎするほどの絶叫を繰り返し、その悲鳴はゲームを諦めることで誰にも聞こえなくなった、というのはなんだか巧い笑い話のようではないか(?)。

 ちなみに、最恐SFホラーゲームから解放された私といえば、その鬱憤を晴らすかのように『エイリアン2』と『エイリアンVS.プレデター』を観ています。やっぱり頼れるのは重火器とプレデターだ。おれたちの強くて格好いいプレデターさん、黒光りの宇宙生物を根絶やしにするその日まで、心を通わせていたいものである。


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