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御岳山・狐塚・八幡塚古墳 等々力渓谷から巡る古墳旅(3)

「崖の上の古墳巡り」締めくくりは名門洋菓子店でスイーツを

 等々力渓谷から巡る古墳旅(1)(2)からの続き。

今回が最終回です。
 

野毛古墳群

 このシリーズで散策した古墳は、まとめて野毛古墳群と言います。いずれも5世紀あたりに築造されたものです。(横穴墓を除く)

 まずは、それぞれの古墳の位置を示しておきます。

 台地のエッジが波型や凹凸型になっています。これは、谷沢川が等々力渓谷を形成した原理と同じ「谷頭侵食(こくとうしんしょく)」によるものです。段丘から湧き出す水の勢いで、台地が削られていった跡です。

 今回散策する三つの古墳は、全て台地の凸の先端に位置します。まるでデコレーションケーキの飾りのように周縁をポコポコと飾っています。
「しかし、なんでまたこんな場所に古墳を造ったのか?」を勝手に考察。

① 崖の傾斜を利用して、実際よりも大きく見せる「省エネ古墳」だった。
② 平たん地は集落や耕作地として利用するので、傾斜地に作った。
③ 風水または呪術的な意味合いで台地の端に作った。
④ 近隣地域と古墳の築造合戦をしていて、数を多く見せる戦略だった。

 どれか一つくらい当たっているかな?古代人に答えを聞いてみたい。

御岳山古墳

 等々力不動尊を出て、目黒通り(312号)を渡ると緑のモフモフがあります。これが御岳山(みたけさん)古墳。

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 全長57m・後円径40m・高さ約7mの帆立貝式古墳で、5世紀後半の築造。前方部は目黒通り沿いの多摩川側にあります。
 墳頂には祠。以前は古墳内に入れたのですが、現在は立ち入り禁止になっています。木が生い茂っていて、外からは全形は分かりません。

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 前々回に訪れた野毛大塚古墳の50年後に築造されたとのこと。形状も同じ、渓谷を挟んだ対岸にあるので、この2基は何かしら関係があるのでしょうか?
 仮に野毛大塚古墳が劉備なら、御岳山古墳は孔明(なぜ三国志?)みたいな人が埋葬されているのでは…確か、野毛大塚古墳は50年で4柱埋葬されたから、この一族の仕えた重臣的な人が埋葬されたとか…(個人の妄想です)

狐塚古墳

 御岳山古墳からトタン屋根みたいな丘を横断すること2分で到着。こちらは尾山台駅のハッピーロードを直進する道に面しています。公園なのでトイレも完備!

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 道路が切通しになっているため、本来の古墳の高さより高くなっているそうです。

 

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 ここも帆立貝式古墳の可能性が…

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 墳頂がわりと広く傾斜もなだらか。直径30m・高さ4.6mとのこと。

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 墳頂に、狐塚の由来のお稲荷跡が残っています。

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 後ろが個人宅なので写真撮影にも気を使います。引き画像が撮れない私のスマホではこれくらいが限界。

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 武蔵小杉方面を臨む。標高が30mほどあるので眺めも良いです。


八幡塚古墳

 狐塚古墳の1ブロック先の道を左折。しばらく直進すると…

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 宇佐神社(うさじんじゃ)って珍しい名前。うさ…ウサ…usa…U.S.A.!?

 違うそうじゃない!

 この神社の本社は、大分県宇佐市にある宇佐神宮。八幡信仰の総本山として知られています。(だから八幡塚古墳なんだ。納得!)

 宇佐神宮を調べてみると、なかなかヤバイ神社らしい。お祀りしている神様が古事記や日本書紀にも載っていない謎の神様だったり、伊勢神宮より天皇家に頼りにされていたり(裏番長的な?)、卑弥呼の古墳があるって言われたり…掘ればザクザク謎が出る。すごい神社なのに、関東ではイマイチ知名度がない。

 宇佐神宮は八幡塚古墳と何か繋がりがあるのかと思いきや、宇佐神社は鎌倉時代の建立で、むしろ武運の神様としての八幡信仰から来ているらしい。

 階段を上るとお社があり、後ろに鎮座しているのが八幡塚古墳です。

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 直径約30m・高さ約4.5mの円墳で造出しが付く。3基の埋葬施設があり、獣形鏡や直刀、鉄鏃、ガラス玉などが出土。5世紀中頃の築造とのこと。

 これ以上近づけないので、大きさも形状もわかりません。ただ、古墳の周辺環境を感じるのみ。古墳散策ブログの大先輩「古墳なう」さんが、地権者の許可を得て内部の状況を紹介しています。墳頂には、狐塚古墳から移転されたお稲荷様も祀られているそうです。


荏原台古墳群

 大田区田園調布にある亀甲山古墳・宝莱山古墳・多摩川台古墳群やその周辺の古墳群をまとめて、田園調布古墳群といいます。(下の写真の白い円)
 今回訪れた野毛古墳群(赤い円内)と併せて、この一帯の古墳群は荏原台古墳群とよばれています。

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 この一帯の古墳築造の流れをざっくり見てみると、

① 4世紀ごろ田園調布の多摩川台に、宝莱山古墳と亀甲山古墳(オレンジの円)の大型前方後円墳ができる。
② 5世紀ごろ野毛に、大型~中型の帆立貝式古墳がこぞって作られる。
③ 6世紀ごろ多摩川台周辺に、小型の前方後円墳が作られる。
③ 6世紀末~田園調布から雪谷の広範囲に、小型の円墳が多数作られる。

 まさに古墳インフレ時代。現代で言えば、知事→市長→町村長はたまた自治会長まで古墳に埋葬?民衆の負担はどれほどか…(涙)

 その後、荏原台では古墳が作られなくなり、多摩川中流・上流域に古墳築造地域が移動して、ますます小型化・群集墓化が進みます。さらに時代が進むと、関東では横穴墓が埋葬の主流に変わっていきました。
(表は大田区の古墳ガイドを元にまとめたものなので、間違いがあったらゴメンなさい)

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オーボンビュータン

 さて、旅の最後にお茶でもしたいと思いました。
 記事ヘッダー写真はこちらのお店。

 尾山台駅近くの有名洋菓子店です。(狐塚古墳からすぐのところ)現在は緊急事態宣言でイートインは休止中(テイクアウトは営業中)。11月の時点でも、イートインの順番待ちは店舗の外だったので寒かったです。コロナが収まったら、まずはケーキのテイクアウトからいかがでしょうか?


オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。