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【ショートストーリー】防災行政無線

「行方不明になっていた田中さんは、見つかりましたが、数を増やして運動公園に殺到しています。手が空いている市民の皆さん、応援をお願いいたします」
「?」
 井上正昭いのうえまさあきは耳を疑った。思わず腕時計を見る。深夜の三時。こんな時間になぜ防災行政無線が流れるのか?
 仕事で遅くなり、終電を逃したため、タクシーで帰宅したところだった。振り向くと、さっきまで乗っていたタクシーは遠ざかり、やがて角を曲がって、視界から消えた。
 井上は自宅マンションのエントランス前に、ぽつんと、ひとり立っている。
 見上げると、明かりが漏れている窓は数カ所。あとは真っ暗だった。こんな時間だから当然だ。
——幻聴? そんなに疲れてはいないはずなんだけど。
 まるで、井上の考えを読んだかのように、再度放送が流れた。
「行方不明になっていた田中さんは〜」
 幻聴なんかじゃない。はっきりと聞こえる。井上は怖くなった。エントランスに駆け込むと、ボタンを操作し、エレベーターを呼び出した。


「ぼうさい ぎょうせい むせん?」
「ほら、子どもとか、年寄りが迷子になったとか、そういう放送が時々あるじゃないか?」
「ちょっと、食べながら話すのやめてよ、汚いじゃない」
 井上はしゃべるのを中断し、朝食のパンを咀嚼して飲み込んだ。昨夜のことを、妻に話しているのだが……。
「それよりもさ、今度から帰りが遅くなるんだったら、早めにLINEくれないかな。ごはんつくる手間はぶけるでしょ」
「どう思う、夜中の三時に放送が流れるなんて」
「知らないわよ、寝ぼけたんじゃないの」
「内容も変なんだよ。田中さんって人が、増えたって……」
「もういいよ、その話。そんなに気になるなら役所に問い合わせたら」

 妻の助言に従い、その日の昼休みに役所に問い合わせたが、
「深夜にそのような内容の無線放送を流すことはありません」と一刀両断された。
「二回流れたんです。間違いじゃないんだよ」
 井上は食い下がった。
「地震などの災害が発生し、避難が必要であればこの限りではありませんが……」
「他に同じような問い合わせはないんですか?」
「全くありません」
 これ以上は無駄だと思い、井上は通話を終了した。

 数日が経過したが、納得できない。忘れることも出来なかった。気になって仕方がない。食べ残したものがあるのだが、どこに片付けたかが思い出せない、そんな感覚が消えなかった。
 ついに決心した井上は、金曜の夜は朝方まで起きていることにした。次の日が休みなので仕事に響くことがない。あれは金曜ではなかったのだが、毎日こんなことはできないので、そこは仕方がないことだろう。

 そして、七回目の金曜の夜を迎えた日。
 午前三時ちょうど、放送が流れた。
 「行方不明になっていた石井さんは、見つかりましたが、数を増やして森林公園に殺到しています。手が空いている市民の皆さん、応援をお願いいたします」
 記憶よりも若い女性の声だった。事態が深刻なのか、そうでないのかは井上には判断できなかったが、声のトーンは明るい。スーパーでこれからタイムセールが始まります、そんなノリのアナウンスだった。
 石井は外に出た。森林公園なら徒歩十分じゅっぷん圏内だ。確か以前は〈田中さん〉だったと記憶しているが、それはたいした問題じゃない。トラブルに巻き込まれる可能性もあるため、スマートフォンを持った。
 エントランスを出て左に進む。腕時計で時刻を確かめた。午前三時七分。他に人の姿は見えない。
 森林公園に行って、何もなければそれで良い。もし何かあれば、あの放送は本当に流れていたことになる。それでどうなるわけでもないが、少なくとも納得は出来るはずだ。井上は普段より少し早歩きになって、森林公園を目指した。

 森林公園到着。人っ子ひとりいない。〈数を増やした石井さん〉すら見当たらない。団地やマンションに四方を囲まれた公園は静まりかえっていた。
 ふーっ。井上はため息をついた。何をやっているんだろう、おれは。幻聴だったのかもしれない。会社と自宅の往復が義務化した、退屈な毎日のなかで、非現実的なことが起きるのを無意識に期待していた結果、なのかもしれない。
「早いなぁ」
 いきなり声をかけられ、振り向くと、スーツ姿の男が近づいてきた。男は銃を持っていた。紛争地帯のニュース映像で見かけるような、大きな銃だった。
「って、あんた手ぶらかい?」
 男が驚いている。
「しかも見ない顔だな。念のため聞くがあんた放送を聞いたんだよね」
「放送って、あの……」
 放送を知っている人がいた。本当なら喜ぶべきなのだが、展開についていけない井上の頭の中は真っ白になってしまった。
 「おい、どうしたんだ」
 新たに人が集まってきた。男も、女もいる。全員が銃を持っていた。
 「この人、手ぶらなんだ」
 「素手で戦うのか?」
 井上は何も言えない。
 「なぁ、あんた……」
 最初に話しかけてきた男が、真剣な表情で聞く
 「あんた、夜の種族だよな」
 「……よるの……しゅぞく?」
 「来たぞっ」
  鋭い声が注意を促す。
  井上は周囲を見回した。いつの間にか人が集まっていた。驚くほどの人数だ。
  男が、身体をひねって、腰の後ろから拳銃を取り出す。
 「とりあえず、これを貸す。とにかく撃ち殺せ。詳しいことはその後だ」
  男から手渡された拳銃は、想像していたよりも軽かった。
  男が銃を構えて、井上から離れていった。彼を目で追った井上は、不思議な生きものを見た。
  街灯からの明かりのせいで、輪郭しかわからない。
 奇妙な姿だった。人間が触手を生やした猫を頭に乗せている、としか表現しようがない。ものすごい数で、こちらを目指して進んでくる。
——数を増やして森林公園に殺到しています。
 では、あれが「石井さん」?
 あちこちで銃声がなり始めた。ものすごくうるさい。
——こんな音を立てたら、みんな起きてしまう。
 井上は握っていた拳銃を見た。
 それともこれは、みんなには聞こえないのか? 夜の種族にしか聞こえない。あの放送みたいに。じゃあ、なぜ、俺はここにいるんだ。……俺は、夜の種族なのか?

(終)
 
 

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