連載小説 | 春、ふたりのソナタ #6
この作品は #創作大賞2024 応募作品です。
日曜の朝、私は鏡の前で悩んでいた。
無難にジーンズを着て行くか、それともこないだ買ったふんわりスカートを履いていくか。両方、体に当てて、う~んと悩みこむ。
今日は有希子と映画に行く日だ。
先日の電話のあと、有希子からYesの連絡が来た。お母さんへの説得が成功したようだ。うちの母なんて、聞くまでもなくどこでも好きなとこ行ってこい、だもんな。
スカート、かわいいけど、なんか張り切ってるみたいで恥ずかしいな。私にとって、今日のおでかけはデート、になると思う。でも、有希子にとっては友達とおでかけ、なんだから……。
やっぱり、ジーンズにしよ。
桜木町駅は人混みに溢れ、集合場所の改札前は待ち合わせらしき人たちがたくさんいた。隣のスマホをいじってるお姉さんは彼氏が来た瞬間、嬉しそうに走り寄っていく。二人は幸せそうに手を繋いで、人混みの中を消えていった。
「真名!」
振り向くと、白の品の良いワンピースを着た有希子が、嬉しそうに手を振ってこちらへ駆け寄ってきた。可愛くて思わず口をポカンと開けたまま見てしまった。白だからか、余計にキラキラして眩しく見える。そんな私の前に、有希子が到着する。
「お待たせ」
「あ……、かわいいね、その、ワンピース」
「ありがとう。真名も黄色いスカート似合ってるわ」
「あ、ありがと……」
恥ずかしい……。結局迷って、家出る直前にスカートに履き替えたのだ。
けど、やっぱり着て来てよかった。
「じゃあ、行きましょう」
そう前を歩き出す有希子。私は慌てて隣へ駆け寄る。
こうやって隣合って歩くのは初めてだ。なんだかそれだけで楽しいかも。
駅ビルを出るときれいな広場になっていて、それを超えると目の前は海が見える。
桜木町からみなとみらいの辺りは、きれいな商業施設や美術館、海や川の自然もある素敵な場所だ。芝生の広場ではイベントもよくやっていて、いつ来ても楽しい気持ちになる。
隣に好きな人がいるなら、尚更。
「真名、楽しそうね」
有希子がにこにことこちらを見ている。
楽しいのがだだ漏れだったらしい。
「え、まぁ……。そりゃ、楽しいよ」
「映画、楽しみにしてたものね」
あ、そっちか。ちょっと肩透かしを受けた気分。
「ねぇ。あれ、なぁに?」
突然、興奮したように私の服の袖を引っ張る有希子。視線の先には、近未来的なデザインのロープウェイが空中を行き交っている。
「ああ、ロープウェイだよ。結構前にできて話題になってたんだけど、まだ乗ったことないんだよね」
だいたいこういうのってカップルで乗るものだしね。
「へぇ~遊園地の乗り物みたいね」
有希子は目を輝かせてロープウェイを見つめている。
そんな顔を見せられたら、誘わない訳にはいかない。
「乗ってみる? せっかくだし」
「いいの……?」
有希子は私を見て、尚更目を輝かせた。
「わぁ……!」
私と有希子は感嘆の声をあげる。私たちの乗るゴンドラはぐんぐんと河川の上を進んでいき、汽車道を歩く人々を追い越していく。アトラクションみたいで楽しい。
「面白いね」
私がそういうと有希子は興奮して頷く。
「ええ、とても! 見て、観覧車がある!」
有希子の方が楽しそうじゃん。子供みたいにはしゃいじゃって。
そんなことを考えて見ていたら、ふと目が合った。
「真名、こっちに座ったら?」
「え?」
向いに座る有希子が自分の席の隣をポンポンと叩く。
「こっちの方が景色が見やすいわ」
確かに、私は体を捻らなければみなとみらい側は見えない。
それに有希子の隣、座りたい……けど、
「い、いいよ」
「え? なんで? おいでよ」
「う~~」
私は唸りながら、恐る恐る立ち上がる。
ぐらっ。
「わ!」
ゴンドラがわずかに揺れ、私は尻餅着くように元いた場所へ座った。
有希子と目が合う。きょとんとした目で私を見ている。私もきょとんとした目で見返した。
「真名……」
「はい……?」
「もしかして怖いの?」
「……」
私の額はいま、脂汗でじっとり濡れている。
ゴンドラごと落ちたらどうしようとか想像し始めちゃって、体が固まって身動きが取れなくなっている。一度想像すると最悪の出来事まで想像し始めてしまう、この私の想像力の豊かさがこういう時に仇となる。
有希子の前でこんなこと……、私、ダサいなぁ。
「はい」
そう言って、有希子が右手を差し出す。
「え?」
「捕まって。大丈夫だから」
そう、有希子は優しい目で私を見る。
私は、恐る恐る立ち上がり、有希子の手に手を伸ばす。有希子は手を握り返し、私の体を支える。
「ゆっくりゆっくり」
脂汗をかきながらもゆっくりとにじり寄り、有希子の隣にストンと座った。
ゴンドラはまた少し揺れる。
「わ!」
「大丈夫、大丈夫」
有希子が私の手をぎゅっと握る。暖かくて、柔らかい。
線の細い華奢な手なのに、安心する手だ。
「ありがと……」
有希子はふふっと笑いかける。
「真名って、落ち着いて見えるのに、怖がりなところがあるのね」
「お見苦しいとこ見せちゃって……」
「全然。むしろ可愛いと思ったわ」
「か、かわいい?」
こんなださいところを見せてしまったのに。
有希子は女神のように優しい……。
「ほら、こっちの方が景色がきれいでしょう」
顔を上げると、よく晴れたみなとみらいの美しい景色が広がっていた。
「本当だ……」
ゴンドラが向こうの駅に着くまで、有希子はずっと私の手を握っていてくれた。
映画館に着くと、有希子は落ち着かないように辺りをキョロキョロと見渡す。
「……もう『カンフーベア』の新作がやるのね。監督変わったんだ。あっ、『雪の降る夜にも』上映開始されてる。予告まだ観てなかったから、帰ったらチェックしなきゃ……」
有希子は真剣な顔をして、独り言のようにぶつぶつ話している。
「有希子……?」
「あっ、ごめんなさい!」
我に帰ったようにこちらを振り向く有希子。
「……もしかして、めっちゃ映画詳しい?」
「えっ、そんなこと……」
「どれくらい観るの?」
「ネット配信でなら、週に三本くらい……」
「え、すごいね」
「本当はもっと観たいのだけど、なかなか時間取れなくて……」
「へぇ……、やっぱり、作曲の勉強のため?」
「ええ。もちろん、映画音楽の研究の為でもあるのだけど……。子供の頃から母が仕事で家にいないものだから、お手伝いさんが暇つぶしにって映画を何本もレンタルしてきてくれて、それをずっと観ていたの。そうしたらいつのまにかハマってしまって……」
お手伝いさんって今言った……?
世界的ピアニストの娘なのだから、お手伝いさんくらい普通なのか……?
知らない世界に混乱している私を置いて、有希子が嬉しそうに前を歩く。
「早く行きましょう! 楽しみね」
「あ、うん!」
私も嬉しくなって、有希子の後へ着いていく。
上映前は隣に有希子が座っていることが不思議な気がして、少しそわそわしていたが、映画が始まった途端、有希子も私ものめり込むように映画の世界へ入り込んでいった。
《子供の頃から妖精や森に棲みついた守神が見えるソフィア。両親を早くに亡くし、魔女のおばあちゃんの住む森の小屋で育ったため、薬草に詳しかったり動物との会話ができたりする。大きくなったソフィアに、病に倒れたおばあちゃんは「お前は町へ出なさい」と遺言を残す。一人きりになり、怖がりながらも町へ出ることにしたソフィア。町で出会った動物と話しているソフィアを周りは変な目で見てくる。ひとりぼっちのソフィアの元に、少女・ミアが話しかけてくる。ミアは博識なソフィアのことを尊敬し、友達になろうと声をかけ……》
映画が終わり、興奮冷めやらぬ私たちはすぐさまカフェに入り、映画の感想を言い合った。私はどれだけ物語が素晴らしいか、有希子はどれだけ音楽が素晴らしいか、それぞれの視点から映画を褒め称えた。
とても楽しい時間だった。
気が付くと、もう夕暮れを過ぎて辺りは暗くなり始めていた。
「そろそろ帰りましょうか?」
「あ、そうだね」
カフェを出ると近くの観覧車がきらきらと虹色に輝いていた。
「わぁ、きれい……」
有希子が感嘆の声をあげる。
「ね、きれい」
観覧車を指差しながら有希子が言う。
「……最後にあれ、乗っていかない?」
「え、観覧車? 乗りたいけど……、時間平気なの?」
「うん。……なんとなく、まだ帰りたくなくて。真名は?」
有希子の思わぬ一言に、私は胸が高鳴り始める。
「……私も、まだ帰りたくないかも」
「ふふ、じゃあ決まり」
有希子がいたずらっ子のように笑う。
遊園地の中に入り、観覧車のチケットを買う。
並んでいるのはカップルだらけで、なんだかそわそわしてしまう。
「次の方、どうぞ」
スタッフに促され、観覧車に乗り込む。
有希子の向かいに座ろうとすると、
「真名、こっち」
そう、有希子に手を引かれ、隣に座らされた。
「え? なんで?」
「さっきより高いから、真名怖がるでしょう?」
「そ、そんなこと……」
あるかも。
正直乗る前から少し緊張していた。隣に座れてほっとしている自分がいる。
「ありがと」
「ううん、いいの。私も隣がよかったから」
有希子の言葉に一喜一憂してしまう自分がいる。
あちらは友達としてしか思っていないのは知っている。
でも、やっぱりどこか期待してしまう自分もいるのだ。
「観覧車って、私初めて乗るわ。ロープウェイも初めてだったし、今日は初めてだらけね」
有希子が嬉しそうに言うものだから私も釣られて嬉しくなる。
「真名といると色んな初めてに出会えそう。これからも真名と一緒に色んな所に行きたいし、色んなこと一緒にしたいなぁ……」
そんなこと思ってくれていたんだ……。素直に嬉しい。
「私だって、有希子といるとすごく楽しい。映画の感想を言い合えたのもすごく嬉しかったし」
「ふふ。映画、面白かったね」
「うん、映画の主人公のソフィアってさ、少し有希子に似てるよね」
「そう? ……ソフィアが私なら、ミアは真名みたいね」
「え、なんで?」
「孤独なソフィアに話しかけてくれたでしょう? 私もひとりぼっちだったからソフィアに共感できるなって」
「えっ、有希子は学校で友達にいつも囲まれてるじゃない」
「真名の方が友達に好かれてるわ、見ててわかるもの」
「そ、そうかな?」
「だから、真名が音楽準備室に来て、お話してくれた時嬉しかった。あの時仲良くなれて、よかった」
「私も……、私もよかったって思ってる……」
私はじんと心が暖かくなる。
有希子がふと窓の外の景色に気付く。
「見て、夜景がきれい」
「わぁ……」
眼下にはすでにみなとみらいの夜景がきらきらと輝いていた。
私たちは興奮して、窓に額をくっつけるように景色を眺めた。
「もうこんなに、上まで上がってきたんだ」
「結構早いのね」
ふと横を見ると、有希子の顔が目の前にある。
「あ」
どきっとした。吐息を感じるほど唇が近くにある。
「真名」
「なに?」
「このままキスしてみる?」
「え?」
突然の申し出に、一瞬で顔が真っ赤になる。
「……冗談よ」
そう言って、有希子が顔を離す。
固まって言葉を失う私に有希子が微笑む。
「ふふ、真名、顔が真っ赤よ」
私は慌てて、手で顔を隠す。
「……ちょ、冗談がすぎるでしょ……」
「だって、映画ではよく観覧車でキスしたりするじゃない? だから、そういう雰囲気かなって思って」
「映画の見過ぎじゃない……」
「それはそうね」
有希子はいたずらっぽく微笑む。
びっくりした。本当にキスしてしまいそうだった。
バレなかっただろうか? 私、相当顔に出てしまった気がする。
私の気持ちを知ってか知らずか、有希子はもう、外の夜景を見るのに夢中である。
もしや、有希子も私と同じ気持ちって可能性……ある?
だって、じゃなきゃ、キスしていい? なんて冗談でも聞く?
わからない、彼女の考えが……。
でも、もしかしたら、1%でも可能性が合ったりするのかもしれない。
そう思わずにはいられない出来事に、私は今日の夜、一睡もすることが出来なかった。
事件は翌日の夕暮れ時に起きた。
私は執筆を終え、鎌倉の図書館を出た時、有希子とばったり会う。
有希子は片頬を手で押さえ、目は充血しているようだった。
すぐに異変に気付いた。
「どうしたの? その頬」
赤く腫れているようだ。有希子は震える声で私に言った。
「真名……私、転校することになったの」
《続く》
《次のお話》
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