幸福をもたらすもの「仕事」
曜日感覚が狂い始めている小学校教員のとらです。
暑いですね。比較的標高の高い地域に住んでいますので、35℃以上になることはほとんどないものの、日中はバテバテでございます。
さて、ラッセルの幸福論より、幸福をもたらすものの4つ目である「仕事」について書いていきます。「仕事が憂鬱。」とか、「仕事なんてできればしたくない。」なんて思うことも少なくはないのですが(わたしだけかもしれません)、ラッセルは仕事は幸福にとって大変重要な要素だと言います。
まあ、確かに、子どものころの夢は消防士になるとか、サッカー選手、警察官、宇宙飛行士、お医者さん・・・など、職業を挙げることがほとんどですので、仕事が人生にとって重要だということは何となくわかります。
また、もしも仕事がなかったとしたら、きっと苦痛ですよね。はじめの1週間くらいは楽しいかもしれませんが、だんだんと空虚な気持ちになりそうです。人によるかとは思いますが、わたしにはちょっとできそうもありません。
仕事を面白くし、幸福感を得るためには2つの要素が必要だとラッセルは言います。原文を紹介しますね。
技術の行使
まずは技術の行使についてです。ラッセルは、技術の行使に対する喜びは幼少期初期からはじまるといいます。例えば、逆立ちのできる男の子が二本足で立つのをいやがるようになるように・・・(このたとえは少々無理が歩きもしますが。。。)でも、覚えた技術を使うのはたしかに楽しいものですよね。さらに、それを高める過程も非常に楽しいものです。
わたしのしている教師という仕事はまぎれもなく熟練を要する仕事だと言えます。幅広い経験をしながら、授業の技術を磨いていく職種だからです。今や、採用試験の倍率は下がり続けており、教師になるのはそれほど難しいことではありませんが、技術を高めていく過程には終わりがなく、簡単なことでもありません。
建設性
建設とは、その言葉どおりに何かを残すことです。建築家でいうと、まさに建物が自分の仕事の結果として残りますね。教師の場合ですと、教え子かもしれませんし、実践家もしれません。
ラッセルはこう言い切っています。
ラッセルは、これを成し遂げるには「特別な才能」が必要だと言いますが、わたしはここにはちょっと異論を申し上げたい部分があります。それは、何を成功ととらえるかは人それぞれですし、「特別な才能」とまで言わなくても、自分らしくあればそれでいいと思うからです。
きっと、だれしもが仕事をする中で何かを残すことができると思います。その中の一つが、仕事で得られる人間関係。つながりです。これはだれにも奪うことはできません。だからわたしは、自分自身にも、言ってやりたいし、「自分には才能がない。だからなにも残せない。」と言っているすべての人に、「あなたが生きている意味は、あなたとつながった人が幸福を感じられること。」だと伝えたい。
だって、あなたがする仕事で笑顔になった人はかならずいるはずです。それは、十分な成功だと思います。その成功を、喜びをかみしめることができれば十分だと思いませんか。学級の子どもたちにも伝えたいことですね。
学んだことを最大限に生かし、だれかを笑顔にすれば、幸福になれる。」
以上、仕事についてでした。次回は仕事の真逆をいくような話。「私心のない興味」について書いていこうと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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