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#12 コンパスが指す方角

人生は選択の連続だ。
そしてその選択は、しばしば人生の分岐点になることもある。

たとえば、わたしの場合。

高校から大学への進学時の二択。
「地方の国立大にいく」か、「関西の私立大にいく」か。

はじめての結婚時の二択。
式の一週間前に夫となる人物の長年にわたる二股を知り。
「別れる」か「このまま一緒になる」か。

キャリアウーマン時代の二択。
「他の業界のベンチャー企業で経営者として働く誘いにのる」か、「今の会社の親会社に出向しそのままのキャリアを積む」か。

もちろん他にも後の人生を左右した選択は数知れず。
とりあえず上記3つの選択では、月猫はいずれも後者を選択した。

別に後悔はしていないし、これらを選んで形成された現状の「わたし」が嫌いなわけでもない。

ただ、もしあのとき前者を選んでいれば。
今とは全く違う人生になっていたというのは、想像にかたくない。
良くも悪くも全く違う人生となり、違う「わたし」ができたことだろう。

こういった、人生の分岐点にもなりうる選択を迫られることは、誰もが経験することだと思う。

自分のした選択を後悔しないでほしいというはなしは、マルチエンディングの章で紹介した。

今回は、そんな「選択」をするときの「気持ち」を楽にする月猫なりの考え方について話してみたい。

当時のわたしは未熟で、今のようにすぱっと即断できるような性格ではなかった。

これを選べば将来はどうなるだろうかなど、「長期的」に考えているつもりになって、結果どうすればいいかわからなくなり、占いに頼ったりもした。

選ぶこと自体がストレスでもあったように思う。
未来を背負った決断なんて、とんでもないプレッシャーだ。

だが今は違う。
わたしはこういう意志決定の場で、最強の考え方にたどりついたのだ。

イビピーオという言葉をご存じだろうか。

南米アマゾンの少数民族、ピダハンの言葉であり、彼らの生き方そのものを象徴する言葉だ。

かれらは直接体験、目の前にあることを重視する文化をもっている。

仮定とか創作とか伝聞でなく、未来とか過去とかでもない、今、目の前でここで起きている出来事のこと。それが、彼らの世界にある全て。

イビピーオとは、そんなピダハンが生み出した「今」を「楽しむ」究極の生き方といえる。

わたしは、この言葉を知ったとき、雷に打たれたような衝撃をうけた。

なるほど。
わたしが選択をできるのは「今」。
感じることができるのも「今」。

過去や未来といった不確定要素を気にして、「今」を楽しまなければ本末転倒だ。

以来、わたしはなにか選択するとき、どの選択をすれば「今」が楽しくなるか、これを基準とすることにした。

そうしたら、なかなかどうして、生きるのが楽になった気がする。

どうせ選んだ道に正解なんてない。
それなら、今を楽しむことを考えればよい。

なんなら、人生は「今」の連続なのだから、常に「今」が楽しければ、結果人生はハッピーになるではないか。そんな風にすら思えてきた。

厳密にイビピーオの解釈をとりいれると、この考えを否定的にとらえるひともいるだろう。

だが、これはあくまでも、イビピーオという言葉に影響をうけた、月猫の考え方。
わたしは、偉人の言葉や哲学的な考え方を知ることは好きだが、それをそのまま取り入れることはしない。

必ず、「私なりの」解釈をして、「私なりに」実行する。
研究者やその道のスペシャリストから言わせれば「誤っている」と言われることだろう。
だが、本来の意味から誤っていたとしても、それが自分にとってプラスになることであれば、解釈などいくらでもアレンジすればいいではないか。

もしもあなたが今、人生の分岐点にたっているなら。
あるいは今後、たつことがあったなら。

ぜひ、「今」を「楽しむ」選択をしてほしい。
それが、選択だらけのこの人生を、よりシンプルに生きていく指針になる。

道を示すコンパスは、常にあなたの「楽しい」方角を示している。

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