不毛

手紙を書こうと思い立ち
便箋とボールペンを買った。
長い文章を書くなんて
就職活動以来だから変に緊張した。
別に手紙を書かなければならない
必要に迫られる事情なんてのは
正直皆無だった。
でも胸から湧き上がってきた
「書かなければならない」という
感情が気付けば脳内すら支配していた。
真っ新な便箋に向き合い
言葉を探す。書き出しは苦手だった。
過去の人生を振り返ってみても
何かを率先することなどなかった。
要は「はじまり」を自分から
起こさないように無意識で
避けていたのかもしれない。
どうしょうもない人間だと自嘲する。
でも書かなければならない。
送り主にではなく、自分自身に。
頭では分かっているのだ。
必死の思いで書き上げたところで
ポストに投函することはないことを。
数少ない仕事終わりの時間を
費やしても徒労に終わるだろう。
分かっている、でも書かなければ。
便箋とにらめっこをしている間は
時間という概念は歪んでいた。
あっという間に過ぎ去っていった時間が
今は無限にすら感じるほどゆっくりだ。
何度も時計の針を見つめた。
3分。カップラーメンができあがる
たった三分が今では1時間に感じる。
この歪んだ時間軸で生きることが
できるのであれば生活は豊かになると
生産性のないことを考えてしまう。
無駄は人生だと自覚し、笑った。
どうしょうか、一瞬だけ迷った。
気付けば冷蔵庫からビールの
プルトップを開け、口を潤していた。
そのまま生活の惰性に純粋に
タバコに火を点け、オーディオを
起動させていたときには我ながら呆れた。
スピーカーからは学生時代に聞いていた
マイナーなロックが陳腐な歌詞を歌っている。
あの頃、心揺さぶった歌詞が陳腐だと
感じてしまうほど、大人になったのだろうか。
ため息を隠し、体内に入れた煙を吐き出す。
手に持ったタバコを吸い殻の溜まった灰皿に
慎重なまでにこすりつけ火を消す。
書かなければ。このバグのような感情の火が
消えることを期待したが、消えることはなかった。
大抵の事柄は消えてほしいと思っても
消えることはない。逆は多いのにも関わらず。
人生は不公平で、あまりに不条理だ。
仕方がない。これは一種の義務だと呟きながら
両腕を伸ばしてみた。
さて、書きますか。とでもアテレコできそうな
陳腐な行動は、カレーの隠し味程度の効果を
漠然と発揮するから不思議だった。
右手に持ったボールペンで最初の文字を書く。
その勢いを保つように頭に浮かぶ
漠然としている言葉を掴んでいく。
パズルのように当てはめていき
ガラス細工のように慎重に扱っていく。
出来上がった文章は定期文そのままだった。
文才の無さとオリジナリティの皆無に
ほどほど呆れながらも、致し方がなく読んでみた。
やっぱり味気のない温度のない定期文だった。
でも面白いもので一度書き出してみると
書こうとする気持ちは多少なり出るのだ。
唯一の発見と成果を抱きながら
自嘲気味に、でも真剣に文字を重ねていく。
出来上がった7枚の手紙。
孤独な数字である7。
結果的に自分自身を映し出した手紙を
見つめながら、もう一度タバコに火を点け
時計に視線を移す。1時間が経っていた。
咥えたばこで便箋を読み進める。
誤字、脱字、そして字の汚さに
気が滅入ってしまったが
なんとか読み終えた。
不毛な会議を過ごしたような徒労感が
全身にへばりつき、気持ち悪い。
定期文から始まり、徐々に個性が顔を出し
最終的には崩壊していた。
文章の波に乗ろうとして飲み込まれた末路。
アイディンティティの崩壊、そのままだ。
芸術をはき違えた似非芸術家みたいに
不必要に尖った個性もまた自分を投影する。
書きたかった手紙は、こんなものだったのか。
落胆に似た感情を抱きながら
何故、書かなければと迫られたのかと
自問に耽ってみたが、答えは掴めなかった。
この結果が欲しかったんだと
無理やりに理由を付けてビールを飲み干した。
苦さが口に広がり、顔が歪む。
灰皿に溜まった吸い殻を一度捨ててから
その上に7枚の便箋を置いた。
行動に起こすと何かが狂っていると
より自覚的になってしまう。
「さて」
2時間振りに口にした単語は部屋に消えていく。
怠くなった身体に鞭を打ちながら
便箋の乗った灰皿を持って台所に行き
そしてコンロの上で、ライターで火を点けた。
ゆっくりと燃えて、煙を上げ灰になっていく様を
見つめながら、換気扇を起動させた。
歪んだ自己が外へと放出されていく。
全てが灰になった。少し気持ちが軽くなった。
手紙を書こうと思い立った理由は
最後まで分からないまま
費やした時間が無駄だと目視できることで
改めて無駄は人生は醍醐味であり
僕ははじめることではなく
終わらせることを避けていたことを知った。


文責 朝比奈ケイスケ

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