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休日の朝

 窓を閉めた部屋にも入り込む冷たい風は、冬の訪れを静かに伝えていた。普遍的な日常にも顔を出す四季。歳を重ねるごとに有り難みを感じるようになっているのは、きっとおじさんになっている証拠だ。天窓から引っ張り出した布団と毛布に包まりながら、眠気眼で天井を見つめる。朝日でしっかりと分かるクリーム色。もう数えるのも嫌になるくらいに見つめた天井は、代わり映えのない僕の姿を投影しているようだった。
 手を伸ばしてスマホを掴む。相変わらず誰からの連絡は無い。人生においての必要性で言えば、きっと誰にとって僕という存在は大したものではないのだろう。正直なことを吐露すれば、欲する部分はある。でも社交的な人間ではないから、連絡が無くてもやりくりが出来る程度には耐性が出来ている。褒めるべきか悲しむべきかは、この際気にしないでおこうと思い飲み込んだ。
 Yahoo!のトップページを開き、話題の情報を眺めていく。変わらない日常を過ごしていても、自分の知っている範囲外の世界では毎日何かが起きている。でも眺めているうちに、全ての出来事の対象物が変わっているだけなのだと思い知る。ここ最近、メディアを賑わす不倫騒動や不祥事を見ていると余計にそんなことを感じる。誤字脱字が目立つ辛辣なコメントに目を通す。まるで見世物小屋だ。不幸は人間の根源で求めているのだろうか。それとも暇を潰すためか、自分よりも不幸な人間を見て、安堵感を得たいのか。どちらにしろ、普段聞かないような文言が活きの良い魚のように舞っている惨状は見るに堪えなかった。
 ブルーライトと朝日の光で次第に覚醒していることを自覚しながら、何も予定のない休日の過ごし方をぼんやりと描き始める。必要必至な出来事なんて数えるほどで、大半のことは時間を空き時間だ。テレビでよく話されるドラマの待ち時間によく似ている。時間を持て余していることに対して、埋めるほどの術と熱意がない。なんだかしょうもない自分の内面を浮き彫りにされているようだ。
「このまま寝ていたい」
 誰に言う訳でもない独り言が部屋に浮く。シャボン玉のような脆い言葉。消して見えることはないけれども。眠ろうと試みるも夢の世界には誘われなかったこともあり、ため息交じりにベッドから起き上がり、素足でフローリングに触れる。冷たい。その触覚が身体を動かそうとしていることを自覚させる。
 一歩一歩、冷たさを噛み締めながら台所に向かう。近いうちにスリッパを購入することを決め込んで。シンクのカランを動かして、蛇口から水柱を作り出す。給湯器が働き始めて次第に湯気が立ち上る。人肌よりも温かなお湯で顔を洗い、歯を磨いた。習慣は思考停止していようとも機能して、現時点で最適とされた行動を導くのだろうなと思った。
 朝の習慣を終えるとすっかり目が覚めた。一人がけのソファーに腰掛けて、冷蔵庫から取り出した飲みかけのカフェオレを口に含む。冷たさと甘さが共存した感覚が口の中に広がる。マスクが必需品になって、外に出ることに対して、幾ばくかの危機感を抱くようにならなければ、きっとどこかに出かけていたのだろうな。リモコンの中で、一際目立つ赤い電源ボタンを押して、テレビを起動させる。すぐに映し出される映像を見つめながら、何もやることのない贅沢であり虚しい休日を過ごすことを噛み締める。
「まるで消化試合だな」
 消極的な言葉を反芻しながら、今日やるべき数少ない必要必至なことを挙げていく。どう抗ってみても、やはり午前中には終わってしまう。でもやらないことには面倒なことになることを経験則で知っているからこそ、洗濯カゴに溜め込んだ衣類について考えた。
「あぁ、めんどくせー」
 重たい腰を上げて、脱衣所に向かう。洗濯カゴに入った三日分の衣類を洗濯機に入れる。用法用量を守るように集中して洗剤を計って、洗濯機に回し入れた。スタートボタンを押すと同時に音を立てる洗濯機、もう何十何百と聞いた騒音に蓋をするように、脱衣所の扉を閉めた。音量が小さくなったとはいえ、聞こえる起動音。かき消すようにテレビのボリュームを上げる。最近になって見る機会が増えた芸能人の当たり障りのないコメントが部屋で大きくなっていく。その芸能人の声には聞き覚えがあったけれど、なかなか思い出せない。記憶を辿りながら理由を探す。同時進行で値上がりして、買うことが億劫になり始めたセブンスターに火を点す。吐き出す煙を見つめながら、また面倒なことを思い出してしまった。
 寝癖で逆立った髪の毛を掻きながら、仕事用のカバンを手に取る。社会人になった時から使っているカバンには、思ったよりも汚れと傷が目立った。でもどうでもよかった。営業職ではないことの利点なのかもしれない。手指の脂で塗装が剥げ始めているチャックを動かして口を開く。仕分けしたクリアファイルの束から、青い色したファイルを取り出す。給与明細と年末調整、保険の書類が入ったファイルだ。未記入であったことと提出日が迫っていることを思い出したのだ。書類に目を通しながら、毎年変わる細かい記入方法にため息が出た。近くにあったボールペンで必要事項を記入していく。もうこれで十回目くらいの記入だろうか。慣れた手つきで書き進めていく。
 独身だからか慣れたからか記入はあっという間に終える。あまりにも呆気なく、そして淡泊に。全て書き終えた後、記入漏れやミスの確認をするためにもう一度、書類に目を通した。十年前までは扶養されていた。こんな書類も書く機会はなかった。でも形式上、独り立ちしたとされることで扶養ではなくなった。自分のために生きている。嬉しかったのは、もう遠い昔。今では自分のために生きていると強がりを口にしながら、自分ではなく、社会やいつ消えるか分からない会社と社会の為に生きている。顔も名前も知らない誰かのために税金を納める人生。そのおまけで自分のことに使える金が少しだけある人生。面白みのない冴えない人生だなと笑いたくなる。そして悲しさが胸を染めていく。
 誰かに必要とされる理由が税金と人口維持。
 きっと扶養することのない甲斐性なしの自分の愚かさに呆れながら、ゆっくりと書類を専用の封筒に入れた。
 テレビからは相変わらず不倫と不祥事についてのコメントが流れている。不要な情報を垂れ流しながら、扶養できない自分の存在をあざ笑うかのように。

 文責 朝比奈ケイスケ

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