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【つながる旅行記#76】江戸東京博物館リベンジpart.3 ~本と寿司と金~

前回はコロリでの江戸の大混乱を紹介したが、引き続き展示を見ていこう。

なんだか賑やかそうな店があった。
これはどんな店の再現だろうか?

さうし……問屋?


いやそのなんというか……。

毎回昔の資料を博物館で見ていて思うのだが、江戸あたりの資料を現代人が読めないというのはバグか何かなんじゃないだろうか。
武将の手紙などの流れるような線で書かれた文字なんてもう全然読めない。
(くずし字というらしい)

前回識字率についてあれこれ語ったが、自分が江戸にタイムスリップしたらそこらへんの寺子屋の子供に負ける可能性が高い気がする。

正直なところ、3世紀末に書かれた魏志倭人伝の方がそこそこ読めちゃう気がするのだ。くずし字は現代人には難しすぎる……。

魏志倭人伝(邪馬台国の登場部分)

それはともかく、この店は貸本屋らしい。

江戸に先駆けて京都で始まった貸本屋は、本を売るのではなく貸す店。
本を風呂敷に包んで顧客の家を回っていたという。

まさに文字を扱える人が大勢いた都会だからこそ成り立つ商売だ。

貸し出す本の種類は店によってタイプが分けられていたらしく、多くは一般庶民向けの本や錦絵を扱う店で、学問的な専門書を扱う店は3分の1くらいだったようだ。

とはいえ江戸の貸本屋の数は200軒を越えていたので、やはりそれだけ優秀な人が江戸に集まっていたということだろう。

平積みの錦絵
地震雷火事親父の図

これは……!!


これはわかる。どう見ても寿司屋の屋台だ。
屋台の上部に書いてあるのは……「 ん す 」。

んす

いやまあ普通に「すし」なんだろうけど……。

ああそうだ、そういえば昔は右から左に読むのか。
まったくわかりにく……いやまてよ……?

よく考えたら、今だって縦書きの本右から左に読むわけで、
横書きの際に左から右へと読む方向が変わる現代の方がおかしいんじゃないのか……?

おいおいこれって大変なことに気づいてしまったのでは……!?


※調べたら、戦後英語が左から右だから、日本語もそれにならってうんたらかんたらでどうのこうの……

(ちゃんと学びたい方は以下の本を読もう!!)

まあそんなことは置いといて、自分の興味は寿司の模型に移るのだった。

しっかりと作ってある力作だ。ジオラマに通じるものを感じる。

写真では伝わらないかもしれないが、この寿司、めっちゃでかい

1個がおにぎりくらいの大きさなのである。

説明によると、昔の寿司はこれくらい大きかったらしい。
そしてシャリは赤酢を使用しているため赤っぽくなり、
ネタの魚は酢に浸したものを使っていたという。

今と違って当時の寿司はかなり酸っぱいものだったのかもしれない。
鯖寿司みたいなものだろうか?

こちらはそばの屋台

「大富や”」……?

(「」に「」付けるとかどういう……)

江戸の文字は本当に難しい。


意外に小さめな千両箱が置いてあった。
これは天保小判(1枚約11g)1000枚分の重さらしい。

江戸時代には様々なお金が作られた。
は、それぞれ金座、銀座、銭座で作られたそうだ。

銀座が銀のあれこれでどうのこうの(超うろ覚え)という話は聞いたが、
銭座(ぜにざ)というのは初耳だった。

そして銭の中でも有名な寛永通宝は、この旅行記で行った別子銅山(#55)が関わっていたりする。金と銀の産出に陰りが見え始めたときに、別子銅山や足尾銅山のが重要になったのだ。


……さて、この金と銀と銭の話だが、非常にややこしい。

金は小判1枚で1両枚数制。でも重量を計って使用する。……かと思いきや、そのうち定額の銀貨ができちゃったり、財政難をどうにかしようと金や銀の含有量を幕府が操作したせいで度々混乱が起きたり。

江戸時代は約300年続いたので、さすがにあれやこれやと動きがあるのだ。

物価推移

30年給料が上がらない国として最近では有名な日本ではあるが、こうして物価の変化を見ると、改鋳後の変化を除き、江戸時代もわりと長期間大きな変化はないように見える。
どうやら米などの価格は幕府が一定水準を維持しようとしていたようだ。
貨幣経済にどんどん移行していく時代ではあるが、米は依然として通貨としての意味合いもあったということだろう。

ところで、誰もが異常に感じるグラフ後半の凄まじい変化は何かというと、
開港後の海外への金銀流出の結果引き起こされた物価の大変動だ。
歴史の授業で覚えている人も多いのではないだろうか。

当時、日本と海外では金と銀の交換比率が違っていたので、海外商人は「日本で銀を金に両替し、それを海外でまた銀に戻すと元の何倍にもなる」というすさまじいボーナスモードに入っていた。

これにより日本人鉱山労働者の血と汗と涙の結晶である日本の金と銀は、海外に大量流出することになったのである。
そして幕府はそれに対応するために金貨悪鋳を実施。大変な物価上昇を引き起こすことになった。

かつての鎖国とされる時代の頃には、貿易による金銀流出を防ぐために貿易量を制限していたのだが、開国したらすぐさまこんなことに。
これが情報量の差ということなのだろうか……。

く、悔しい……!!

・・・

こんな時はジオラマを見て心を癒すに限る。

いやー素晴らしい。


一体どれだけの製作期間がかかったのだろう。

当時の江戸の町民たちの息遣いが伝わってくるようだ。

やっぱりジオラマは良い。


さて、気分も落ち着いたところで次へ行こう。

そろそろ近代化とか……?


次回へ続く…


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