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【つながる旅行記#75】江戸東京博物館リベンジpart.2 ~寺子屋とコロリ~

今回も前回から引き続き、江戸東京博物館を巡っていこう。

太刀

さっそくだが太刀が飾られている。

反ってる部分が上か下かでうんたらという話は知っていたので、
なんだか謎の達成感がある。

しかし刀と太刀の違いはよくわからない。
めちゃくちゃ触りの知識しかないのだった。

ということで調べてみると、
反りが大きくて長めで、昔よく使われていたのが太刀
反りが抑えめで短めなのが打刀

太刀は南北朝時代くらいまで使われていて、馬上での戦い用として作られているので長いらしい。
室町後期になると、徒歩で戦う「徒戦(かちいくさ)」が主流になったので、打刀が主流になっていったという。

なるほど……!


寺子屋の様子
昔にもこんなホウキが…?

実物大に再現された寺子屋があった。

江戸時代の寺子屋といえばそりゃあもう有名だ。
これによって当時の日本は世界に先駆けて圧倒的な識字率を誇り、
それに宣教師達もビビりまくりだったという話はよく聞いた。

やっぱ日本はすげぇや……!最強だよなあ……!!


……とまあ2016年当時の自分は思っているわけだが、残念ながら2022年の自分はCOTEN RADIOのニッポンの教育に関する回を聴いてしまった。

当時の自分が染まっていた寺子屋と日本人の識字率の伝説をそのまま垂れ流すわけにもいかない。

※COTEN RADIOの教育回↓

残念ながら、あくまでも寺子屋による教育成果は江戸のような都市部限定であり、農村部では読み書きが全く出来なかったり、自分の名前や村の文字くらいは認識できる程度の人が大半だった。

江戸に住む商人や文書を扱う武士にとっては文章の読み書きスキルは間違いなく必須スキルだったので、江戸の識字率が高かったのはわかる。

しかし農村では、幕府や役人とのやり取りにおいて、どうしても文章スキルが必要だった村長のような人以外の農民は文字の読み書きは人生に必須のスキルではなかったのだ。

”江戸の”識字率は高い

もちろんこの展示でも「日本全国で最強の識字率!!」なんてことは言っていない。あくまでも江戸の話だ。

そして当時の江戸も世界と比べて本当にトップレベルだったのかというと、最近の研究では実は……? という話もある。

まあ昔の識字率がどうだったかなんて、今を生きる自分たちに関係ないといえば関係ないのだが。

とはいえ、当時の自分はこの江戸の識字率日本全国に拡大させてしまっていたのは言うまでもない。

気をつけなければならない。
日本は近代になるまでは、いつの時代も地方の農村は過酷だった。

都市の事情を地方にそのまま当てはめてはならないのだ。


江戸の大工と現代のサラリーマン比較

おっ、江戸の大工と現代のサラリーマンを比較した図があった。

ふむふむ・・・?

東京都内の平均的サラリーマンの実収入:592万円



・・・


(自分の平均以下の人生って一体……?)


いやいや、都市の事情を地方にそのまま当てはめてはならない。


そして他人の給料を自分に当てはめてもいけないのだ。

くっ……! なんてダメージを与えてくる展示だ……!!


いそがしいねへ ひまだねへ番付

さて、江戸は人口が多いだけあって流行り病も広まりやすかった。
上の絵は「いそがしいねへ ひまだねへ番付」。

流行り病によって忙しくなった仕事暇になった仕事を番付にしたものだ。

世界規模での流行り病が広まっている今の世の中においては、
色々と考えさせられる展示である。

ちなみにこのとき流行っていたのは「コレラ」。
江戸では「コロリ」と呼ばれることになる。
今後何度も江戸を襲う恐ろしい流行り病だ。

当時忙しくなったのは火葬場早桶屋(粗末な棺桶)、穴掘りの寺男など、やはり人の死に関係するものばかり。

逆に暇になったのは、水道の水くみ、イワシ売り、夜蕎麦商人など。


では、コロリ(コレラ)の話をしていこう。


1858年5月。
アメリカの艦船ミシシッピによって、コロリは長崎に上陸した。
7月には江戸にも侵入。8月には大都市江戸で猛威を振るい始める。

あいにくこの夏は酷暑だった。
東海道の松原には死体がいくつも放置され、暑さによりすぐさま腐敗。
酷い臭気をまき散らし、死体は獣の餌にもなった。

日が経つごとに増え続ける死者。
人々は祈ったり祭りを開いたり、効かない薬に頼ったりとあらゆる手を使うが、当然ながら状況はよくならない。
あの浮世絵で有名な歌川広重も、コロリによって死去した。

やがて「これ狐のせいじゃね?」という噂が広まる。
(そういえばこの絵にも小さい狐がいっぱいいる)

そしてあるとき、「こぶ状の病状から狐が体内に侵入した」という、
謎の妄想が広まり始める。

「これは人間の微細なくだ(管)を通って体内に侵入し、果てには命を奪うめっちゃ小さい狐、”くだ狐”によるものだ!!」という話が広まるのだ。

そして、この管に入り込むレベルの小ささで見えなそうな狐の目撃情報がなぜか普通に出てくる。「俺見たよ!!7匹いたよ!!」と。
どういうこっちゃである。

そして川尻村では、馬の顔だけど猫っぽくて足が人間の赤ん坊という異獣が捕獲され、東海道の蒲原では千年モグラという怪獣を一匹捕らえた。
さらには、「異国船が狐を数千匹船に積んできて、この辺りに放ったんだ!!」という話まで出てくる。

蒲原

当時、伊豆下田のあたりでは異国船が当たり前のように出入りしており、蒲原のある駿河湾では、少し前の安政大地震の際に異国船ディアナ号が沈没している。
もはや身近になった異国船異人邪教切支丹噂の狐、全部が合わさって見事に妄想はそれっぽいものとなった。

そして、「異国船の中で箱に入った化け物が日本人に渡され、異人とそれに手を貸す日本人の手によってコロリはまき散らされている!マジです!!
という風聞が広まり始める。

幕府も混乱し始めたのか、「”疫兎”をイギリスが広めた!!!」という謎の発言をしはじめ、唐突なイギリス犯人説が出現する。

そんなこんなで大混乱な日本。

その後も神仏に祈ったり、神犬に頼ったり、宗教関係なしにあらゆる儀式をやりまくったりするのだが、もちろん効果はなかった。

コロリ初来日の年に不平等条約が結ばれるわ、
井伊直弼による安政の大獄も始まるわ、
ホウキ星も現れるわでもう酷いもんである。

そんな日本に衛生観念が生まれるのはまだまだ先の話――


【資料】国立民族学博物館研究報告:
 幕末民衆の恐怖と妄想 : 駿河国大宮町のコレラ騒動



昔の出来事を知るたびに、「現代って素晴らしいよな」と実感する。

子供は全国どこでも義務教育で当たり前のように文字の読み書きや計算を教わることが出来るし、本だって図書館に行けば無料で読めるのだ。

あらゆる病気に対する対策も大体わかってきたし、多くの人が衛生観念を理解できており、それを達成するためのインフラも整っている。

「江戸時代に行きたい」
「江戸時代が理想の世界だ」
「現代は酷い」

そんな意見を今までに何度も聞いた気がするが、こうやって当時の生活事情を知ってしまうと、自分は現代の方がいいなあと思ってしまうのだった。

さあ、まだまだ展示はあるのだ。
どんどん回っていかねば。


次回へ続く。


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