【つながる旅行記#74】江戸東京博物館リベンジpart.1 ~レオナルドを添えて~
前回、鎌倉高校前駅で昔の思い出に浸ったわけだが、今回の旅で思い残したことがあった。
それをせずに仕事に行くのはモヤモヤする。
解消してから気持ちよく職場へ行こう。
鎌倉から移動し、降り立ったのは新宿。
ああ、やはり都会の空気感には慣れない。
しかし今回は宿泊するだけなので耐えよう。
カプセルホテルに泊まるのは何度目だろうか。
正直あんまり好きではない。
自分は一度の旅行でそこそこの量の荷物を持っていくので、荷物の収納面でカプセルホテルは難儀する事が多いからだ。
狭さに関しては慣れているので問題はない。
今の自分には安さとアクセスの良さが優先される。
さっさと寝てしまおう。
翌日。
天気はあいにくの雨。
しかし問題はない。今回行くのは建物の中だから。
そう、今日の目的地は江戸東京博物館。
#66で見事に休館日に遭遇し、入れなかった場所だ。
ここに行かずして浅草観光を終えたことには出来ない。
まさかの初手甘味である。
仕方がなかった。お腹が空いていたのだ。
最高の気分でいよいよ中を見ていく。
まずはレオナルド・ダ・ヴィンチの特別展を見に行こう。
言わずと知れたモナリザなどで超有名な人物だが、この特別展では彼の『鳥の飛翔に関する手稿』が初来日しているのだ。
まさか自分の人生でレオナルド・ダ・ヴィンチの手稿をこの目で見ることになるとは……!
※中は撮影禁止だったので、雰囲気を知りたい方は以下のサイトへ。
「いや~……やっぱり偉人は別次元だわ……」
レオナルド・ダ・ヴィンチの偉業を見せつけられ、少々のダメージを受けつつ、今は常設展を回っている。
思わず擬宝珠(ぎぼし)に話かけてしまったが、この江戸東京博物館、
常設展も凄まじいことになっている。
なんと博物館の中に昔の日本橋を再現しているのだ。
天井もまあ高いこと。
いやはや本当にこれはすごい。
都内でこの規模の博物館を作れるとは……。
本当に来る選択をしてよかった。
昔の建物を原寸大で再現しているコーナーもあり、まるでタイムスリップしたような感覚になる。
そして江戸東京博物館の素晴らしいところは、
ジオラマに関しても大充実しているところだ。
紋別で目覚めて以来ハマっているジオラマの世界だが、
さすが首都東京が誇る博物館だけあって作り込みもすごい。
まさに自分が今渡ってきた日本橋を、ジオラマでも見ることが出来る。
襖の絵も細かい……!
こうやって床や天井に明確な差をつけることで、
権威の差を視覚的にもわかりやすくしているらしい。
学校の体育館のステージと同じだな……! (同じか……?)
なんて素晴らしい……!!
そんな江戸だが、何度も燃えたようだ。
火事ばかりだった函館を思い出す。
やはり人が密集しているし、木造ばかりの日本家屋では燃えまくりということなのだろう。
明暦の大火によって幕府は防災化と都市改造に乗り出すことになる。
隅田川に両国橋がかけられたのもここからだそうだ。
上の絵はオランダ人モンタヌスによる著書、「日本誌」の挿絵。
徳川将軍に貢物を献上しているときの様子らしい。
正直なところ、中国や沖縄感の漂う光景にしか見えないし、
「どこが日本だよ」と突っ込みたくなるだろうが仕方がないのだ。
モンタヌスは来日経験がないので、他のイエズス会宣教師の書簡を参考に本を書いており、あらゆる箇所で誇張がある。
この図も「エンペロルの座席」と言われているがなんのことやらである。
(エンペラー的なことか……?)
そして日本人はちょんまげのはずが全員ザビエルスタイル(トンスラ)みたいになっている。一体どういう伝え方をされているのか。
そして実はフランシスコ・ザビエルはザビエルスタイルではなかった可能性が極めて高いというのがまたややこしい。
正しくないのに例えとして便利に使えてしまうのもなんともいえない。
色々言ったが、日本っぽくないこの挿絵が入っているとはいえ、
完全に妄想で書かれた「台湾誌」よりはマシかもしれないなと思う。
江戸の平和な世の中で甲冑の出番なんてあったのだろうかと思えるが、実際にこの双六でも武士たちが着るのに苦労しているようだ。
そして甲冑自体は1877年の西南戦争で近代装備になるまで使われていたらしい。よくそれまで技術が受け継がれたものだ。
いや、一揆とかの制圧でわりと着ていたのだろうか……?
そういうことも考えたことなかったな。
さて、そんな素晴らしく面白い江戸東京博物館巡りはまだまだ続く。
2000文字近くになったので一旦part.1は終了としよう。
次回へ続く!
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