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【つながる旅行記#78】江戸東京博物館リベンジpart.5 ~江戸と東京~

前回はもはや『福翁自伝』レビュー回だったが、今回は真面目に博物館を回っていこう。


いきなり謎の土壁の画像を貼ってしまったが、これはなにかというと
江戸時代の埋め立て遺構」を剥ぎ取ったものである。

家康が関東に来て以降、江戸として完成されていくまでには、低地や湿地、果ては海をも埋め立てながら土地を拡大していった。
これは家康がどんなふうにそれらの土地を埋め立てていったのかを明らかにする展示なのだ。

観察してみると、まず杭を打ち込み、土砂が流れ出ないように竹を杭に絡ませているのがわかる。こういった構造を延々と繰り返し、徐々に徐々に土地を広げていったのである。

こうして出来上がったのが100万人都市、江戸だ。


そして、王政復古の大号令の後、江戸首都・東京になる。
しかしこれは決してすんなりと決まったわけではない。

新政府の大久保利通は、大坂を首都にするという案を提案していたのだ。
それに対し幕臣である前島密(まえじまひそか)は、江戸を首都にするべきだと主張した。

大久保利通としては、「大坂じゃなければ絶対に駄目!」というよりは、「とにかく京都から天皇を連れ出さないと駄目!」というニュアンスが強かった。

これから日本を新しい国に変えていくにあたり、あまりにも京都は改革に不向きな環境だったのだ。
秀吉の没後、国家運営の主体は江戸に移り、京都は寂れていく一方
これから天皇の力で国をまとめていくことは決まったが、京都はちょっとキツい……じゃあ大坂か。というわけである。

しかし前島密はというと、しっかり理由があっての江戸を首都にするべきという提案だった。前島は、都市景観の問題や将来の交通の問題、日本全体の中での位置関係、運輸・港湾の便なども考慮した非常にまとまった意見で、江戸を首都にするべきだとしたのである。

江戸は当時、パリをも凌ぐ100万の人口を誇る都市。
せっかくそこまでの都市となった江戸が、別の場所への首都機能移転によって荒廃する可能性があるのは駄目でしょ、というわけだ。

その後起きた鳥羽伏見の戦いによって大坂城が焼けたことや、江戸城が無血開城したこともあり、江戸を首都にする流れが定まっていく。

そして明治元年7月、東京設置の詔によって江戸は東京と称されるようになった。

天皇も京都から東京に移り、一度だけ京都に戻ったのを除いて、それ以降はずっと東京に住んでいる。

長いことあらゆる規制で発展を縛り付けていたともいえる江戸時代が終わり、急速に近代化が進んでいった。

もちろんこの急速な近代化というのも、地方にそのまま当てはめてはならない。識字率のときに言ったのと同じく、注意しなければならないことだ。

だが都市部を中心に、着実に日本は変わっていく。

凌雲閣

1890年には浅草に凌雲閣が建てられた。
開業時には「日本のエッフェル塔」と称され観光客で賑わったそうだ。
(エッフェル塔は1年前の1889年に建設された)

凌雲閣の中には世界各国の品物を売る店や休憩所があり、11階と12階には望遠鏡が備え付けられていた。

当時は先進各国で高層建築の高さ比べが行われていたらしい。
1884年にはワシントンD.C.にワシントン記念塔が完成し、世界一の高さを誇る建造物となっていた。高さは169m

ちなみに、凌雲閣は高さ52mである。
別に高さ比べのために作ったわけではないだろうが、まだまだ先進国との差は大きい。

なお、エッフェル塔は312mの高さを誇る。169mのワシントン記念塔が出来てから5年後にしては、いきなり高すぎである。
その後エッフェル塔は1930年にアメリカでクライスラー・ビルディングが出来るまでは、世界一の地位を保ち続けた。

下駄を脱いでいる

明治末期には経営難になったりもした凌雲閣だったが、エレベーターが設置されたり(停止されたり)、東京の観光名所として長いこと活躍した。

だが1923年、東京を大地震が襲う。

凌雲閣は倒壊した。

関東大震災によって、東京は焦土と化してしまう。

浅草区は96%が消失

凌雲閣は地震によって8階部分から上が倒壊し、残った部分ものちに陸軍によって爆破解体されることになる。

人々は震災後もバラックを作り、たくましく生き抜いたが、
衛生状態が悪く火事への耐性のない住宅は種々の危険もはらんでいた。

第一次世界大戦後の不況の中での震災という最悪のタイミングだったが、復興よりも経済優先の方針でどうにか乗り越えて、次第に東京は再生を遂げていく。

その後の第二次世界大戦も乗り越え、今はもうかつての面影など想像出来ないような都市になった。

消えていくバラック

そして時は流れ……


ファミコンが誕生したり……


コギャルが誕生したり・・・



電車男が人気になったりして・・・




そして最後は・・・





コスプレで終わる。




江戸東京博物館、いかがだっただろうか?

この旅行記で紹介したのはほんの一部だが、
江戸からの長い歴史、文化の変遷、災害、人々の努力。

それらについて非常によく学べる素晴らしい博物館だった。

現在は大規模改修中で2025年まで休館しているが、工事が完了したら是非とも足を運んでほしい。

きっと再開後には、今よりも相当なパワーアップをしていることだろう。

展示のラストも、もうコスプレじゃないかもしれない。


駅から出ると、足は自然と皇居に向かっていた。

実は初めて来た。

こんなに東京駅から近いならもっと早く来ればよかったな。

東京の中心地なのにおそろしいほどの開放感だ。

ここにだけ、全く高層建築が存在しない空間が残されている。

白鳥

今日学んだあれやこれやが頭に浮かんでくる。

ここは江戸城で、ここには多くの大名が集まって来たりして、いろんな事件も起きて、色々あって京都から天皇が来ることになって……。

皇居は重要な歴史があまりにも積み重なった場所だなと思う。

歴史のスケールがデカすぎてなんだかよくわからなくなってくる。

とはいえ無事に博物館も見れたし、これでもう心残りはなくなった。

……さあ、仕事場へ戻ろう。

東京そして神奈川。
本当に、良い旅行だったな……。


次回↓


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