BAR自宅、シードル
バーには黒猫がいる。
テーブルの向こう側に座る、真っ黒ツヤツヤの毛並みと金色の目、くたくたのやわらかい体が自慢の、ねこが。
今日の彼女はお風呂も入らずメイクも落とさず、間接照明だけをつけてやけに格好つけた仕草でグラスを傾けていた。まるで本格的なバーで飲んでいるような様子だ。
今夜のバーメイドが用意したのはシードルで、ほのかに甘やかな香りがふわふわと部屋に満ちている。きれいに透き通った金色の中に小さな小さな気泡がゆっくりと揺蕩う。合わせるグラスも細く洒落たもので、傾けるたびにその折れそうに細いステム(脚)が光った。
だが白いテーブルにはつまむものが何もない。
黒猫はちょっとだけ顔をしかめる。しかめたつもりである。何も食べないでお酒を飲むのは体に良くないと、猫だって知っている時代なのだ。
彼女はそれでもご機嫌だったし、悪酔いするような様子もない。食事は外で終えてきたのだろう。たしかに少し帰宅は遅かった。帰ってくるなり場を整えて、自宅はバーになったのだ。
ゆらり、ゆらり、手元が絶えずグラスを揺らす。炭酸が飛んでしまうだろうに、飲む速度はひどく遅い。
彼女の視線はその中身よりも自身の手に向けられていた。
爪先のほのかなピンク色。昨日の夜、苦戦しながら塗っていたネイルは今夜も彼女の指先を染めている。オレンジブラウンのアイシャドウ、目尻を印象づけるアイライン、それから甘いオレンジのリップ。束ねた髪も、今日はふわふわと形よく揺れている。
メイクが上手くいって、爪の先まできれいな色で、髪型も上手に決まって。それが一日ちゃんと彼女を支えていた。そして、今日の終わりを惜しんでいる。ピンク色の指先で持つ金色のシードルは、いかにも美しい調和だった。
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