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『スーツ=軍服⁉』(改訂版)第37回

『スーツ=軍服⁉』(改訂版)連載37回 辻元よしふみ、辻元玲子
 
真夏はいっそ「アロハ」や「かりゆし」で

 さて、ここまでは二〇〇六年に私が書いた文章を基本としてご紹介した。服装の軽装化のような、イメージ先行でその場しのぎのキャンペーンより、産業界を挙げた本気の環境対策をしてほしい、といった考えは現在も変わらないし、個々人が政府や職場など、誰かが決めたルールに従うのでなく、主体的に自分の服装を考えてほしい、という部分も変わらない。
それはそれとして、二〇一一年の東日本大震災以後、私はクールビズについてどう考えているかというと、昨今の夏場の日本は明らかに亜熱帯化しており、かつては滅多に記録しなかった気温三十五度超えも今ではさして珍しくなく、地域によっては四十度の声すら聞かれる。実際、三十度ぐらいまでは結構、我慢もできるが、三十五度を超えると生命の危険を覚えるようになる。真夏でも二十度前後で湿度も低い、というような欧州と同じ基準で服装を考えるわけにいかないのは当然である。外国の人も日本に遊びに来る場合には、半袖シャツや半ズボンの姿で来るが、それは要するに、日本は亜熱帯にある南の島だと思われているわけである。一方、震災と原子力発電所の事故以来、電力・エネルギー事情は年を追って厳しさを増しているのも事実である。
だから、七月や八月には、亜熱帯で正装とされているようなハワイの「アロハ」や、沖縄の「かりゆし」のような服装で一向に構わない、むしろ中途半端なクールビズより好ましいと思うのである。実際、私も震災以後は、七月から九月にかけてはアロハ姿にしている。ここぞという場面でなければ、タイはもちろんしないし、ジャケットも着ない。ただ、一応、仕事がらみの外出ではサンダル履きや短パンは着用しない。そこまで行くと本当に仕事をしたくなくなるからで、いちばんいいのは、そのような酷暑の時期、あまり重要なビジネスなどしないことである。外国の人が夏場のビジネスウエアという問題についてあまり熱心でないのは、要するに三十五度超えのような時期にビジネスはやらないで、バカンスをとるからだろうと思うのである。
 
 ◆首脳外交とドレスコード

 高温多湿な日本で、夏の服装論議のときに必ず出てくるのが、「洋服など西欧の文化の押し付け」であり、「スーツなど外国の衣装」だから、独自に夏の民族服を制定すべきだ、という声だ。それはそれで真っ当なのだが、しかし恣意的なものを決めても定着するわけがない。西欧のスーツ・スタイルもここまで来るまでに何百年という時間をかけた変遷と、いろいろな経緯があるのである。
 西欧のスタンダードを否定する国、たとえば中東では民族衣装のドレスコードがあり、それは国際舞台でも正装、礼装としてちゃんと通用する。共産圏の国民服の類も、その文化の中では一定のドレスコードと見なされる場合が多いだろう。ただ、かつて中国の国家主席が来日して晩餐会に出たときなど、燕尾服を着ないでいわゆる軍服風の中山服(ちゅうざんふく)で通し、そのかなり強硬な言動ともあいまって日本社会では批判的な声が高まった。しかしその後、中国の首脳は、中山服はやめて国際舞台ではダークスーツを着用している。正式な晩餐会でもタキシードや燕尾服などは貴族的習慣として着用しないが、「中国ではダークスーツが最上の礼装」と説明して理解を得ている。国際的ドレスコードに折り合いをつけた、といえる。
北朝鮮の指導者が日本の首相と会うのにジャンパー姿で通したときも、あちらの国ではそれは指導者の特別な衣装と見なされて格が高いもののようだが、「日本は軽視された」という声が一部であった。その後の報道で、金正日氏は、偉大な父親の金日成氏をはばかり、正式な礼装である人民服を着ることを遠慮し、常に第一線で陣頭指揮を執る、という意味合いで野戦用ジャンパーを常用するようになった、ということが分かった。しかし結果として、金正日氏のジャンパーは最高指導者専用とみなされるようになって、ほかの人は着られなくなった、というのは興味深い。事実、金正日氏の死去後に後継者となった金正恩氏は、今度は父の着ていたジャンパー姿をはばかり、人民服を着ている。
そういえば、アドルフ・ヒトラーも外交の場では強硬路線のときカーキ色のナチ党制服、ソフトなときにはスーツ、イタリア国王と会うには燕尾服などと細かに使い分けたが、開戦後はグレーの軍服で押し通した。キューバのカストロ議長も、軍服を脱ぎ捨て、スーツ姿で外交を展開することがあった。ソフトイメージを演出したかったからだ。このように国際舞台では、服装一つでいろいろ問題になり誤解も招くのであり、一国だけのドレスコードを持ち出しても、相手国との関係によっては必ずしも理解されない。
 中東などの「非西欧的」文化を押し出している国では、洋服を着る場合もノータイで、国家のリーダーもノータイが普通である。欧米的な文化や民主主義の「価値観」を共有することを政治的に強調する日本の政権(特にアメリカとの関係を重視していた小泉氏)が、クールビズを持ち出したとき、いちばん奇妙に思ったのはその点だ。たかが服装ではあるが、しかし、もし日本が偏見を持って見られているときには、「日本の首相はネクタイをしないから反欧米だ」というレッテルを張られる可能性もある。将来もし悪意ある勢力にそういうキャンペーンをやられたらどうにもならない、と危惧するのである。そのへんは些細なことのようで、外交のデリケートな場面では、難癖を付けようと思うときにはなんでも利用されるので、注意していただきたいと思うところだ。

 ◆「涼しいだけ」では正装といえない

 民族衣装の話でしばしば引き合いに出されるのが、フィリピンのフォーマルウエアであるバロン・タガログである。だがこれは、フィリピンの文化が生み出したものではない。スペイン統治時代に、総督府側が制定した洋服風の衣装である。しかもバナナ繊維で織った上着は透き通っており、ポケットがないのは、武器の携帯をさせないための配慮だった。
 また、バロン・タガログは上着だけでなく、必ず下にボタンの着いた下着のシャツを着ることが決まりである。ちゃんとドレスコードは厳しくあるので、単に涼しそうでいいというようないい加減な服装ではない。着崩しなど許されない盛装なのである。
 ほかの東南アジア各国でも、盛装というとそれぞれに長い歴史があるもので、少なくとも日本人がすぐに飛びつきたがる「涼しくて、楽な格好」とは異なる。
 それをいうなら日本には浴衣という立派な夏の服装がある。だが、あれはそもそも銭湯で着るバスガウンである。正規の服装ですらないのだった。徳川将軍などは風呂上りに、浴衣を何枚も着替えて水分と汗をぬぐった。タオル代わりだったのである。さすがに今の日本でも礼装に昇格しそうにはない。
 では、絣の着流しでも復活するべきか。しかし今の日本人は和服を着て本当に心地よく活動しやすいだろうか? もはや我々の行動様式や身体の姿勢は和服に合わないものに成り果てており、仕立ての良い洋服のほうが心地よいのではないか。もし万一、政府が、かつて明治政府が洋服化を推進したように、今度は和服着用を強制したとして、みんなそれに従うだろうか。
もはや「押しつけられた文化だからけしかん」などという浸透度ではなく、後戻り出来ないのだと私は思う。それよりも、歴史的に見て日本は紳士服について決して後追いではなく、一八五〇年代にスーツや結び下げネクタイ、ヒモ靴など今日的な紳士服が出そろうころに開国し、西欧人とほぼ同時に着用をスタートしていることにこそ注目すべきで、それで日本の紳士服文化がいまだに成熟しない、ということの方が問題だろうと思う。要するに、日本人が服装でナショナリズムを唱えるのは、もう無理である。


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