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[ためし読み]『地球の音楽』①

『地球の音楽』(2022年4月発行)にエッセイを寄せた執筆者が登壇するオンライン講座が、東京外国語大学オープンアカデミーで2022年8月から9月かけて、連日3日×3セット(全9回)、開催されました。

講座「地球の音楽(1)」プログラム
■8月23日:移りゆく西洋音楽(山口裕之)
■8月24日:ジャズの現在:現代アメリカにおける音楽と制度(加藤雄二)
■8月25日:「ブラジル音楽」の胎動(武田千香)
各日19:00~20:30、オンラインで開催。

https://tufsoa.jp/course/detail/1574/

この講座に登壇した執筆者のエッセイの冒頭部分を、講座開催順に公開します。

  • 山口裕之・西岡あかね「ドイツ 「ドイツ音楽」の呪縛?」

  • 加藤雄二「アメリカ合衆国〈ジャズ編〉 「ジャズ」の現在――映像資料と文献を通して」

  • 武田千香「ブラジル “ブラジル音楽”の黎明――ヨーロッパとブラジルの狭間で」


Germany ドイツ

「ドイツ音楽」の呪縛?

山口裕之・西岡あかね

 学校の音楽室には、いまでも作曲家たちの肖像画が並んでいるだろうか。そこには、フランスやイタリア、ロシア、そして日本の作曲家ももちろん含まれていたけれど、ドイツ語圏の作曲家がとびぬけて多かった。ドイツ語圏にも様々な民族音楽や伝統音楽があるはずなのに、バッハにモーツァルト、ベートーベン、ワーグナーにブラームスなど、少し怖い顔をした大作曲家たちが書いたクラシック音楽だけが「ドイツ音楽」であるかのようなイメージがある。

 ドイツ音楽―この言葉は、クラシック音楽を演奏する人や愛好家にとって、自分の居場所のように安心感を与えるものかもしれない。また、クラシック音楽に特に興味のない人たちにとっては、なんだか重苦しくて難しく、気取っていて堅苦しいのが「ドイツ音楽」だという印象があるかもしれない。いずれにしても、そこには「ドイツ音楽」をめぐる特定のイメージがあるようだ。なぜドイツ音楽はこんなにもクラシックでマジメな、難しいものになってしまったのだろうか。そこには、いくつもの事情、なかには日本特有の「教養主義」にまつわるドイツ文化受容についての事情も絡み合っている。(…)(p.208)



United States of America アメリカ合衆国〈ジャズ編〉

「ジャズ」の現在――映像資料と文献を通して

加藤雄二

国民音楽としての「ジャズ」

 現代アメリカを代表するドキュメンタリー監督ケン・バーンズによる『ジャズ』は、アメリカ音楽に関する資料の宝庫であり、誰しも参照すべき優れた学術的成果である。未紹介の映像や資料をふんだんに盛り込んだこのビデオを観れば、数冊のジャズ史を読むよりも多くの知識を手に入れることができる。ぜひご視聴されたい。

 ただし、一般向けに単純化された構成に問題がないわけではない。現代のジャズ文化を代表するトランペッター、ウィントン・マーサリスがナレーターを務めるこのシリーズは、合衆国の国民音楽を理念としての民主主義や自由と結びつけ、極めて古典的な歴史化の方法を採用しているからだ。ロックン・ロールが存在しなかった時代、ポピュラー音楽としてのアイデンティティを南部ニュー・オーリンズで獲得したジャズは、クラシック音楽からの逸脱と即興性、土着性により、階級や教養レベルを問わず、人々に希望や欲望を表現する方法を提供した。そして誕生から間もなく世界を席捲するにいたった。しかし、アフリカン・アメリカンの歴史とともに発展したジャズが、皮肉なことに自由とは正反対の不自由さを体現する音楽だったこともまた事実なのである。マーサリスは『ジャズ』で、次のように楽観的に語っている。「ジャズはアメリカ人であることがどのようなことかを説明してくれる。それはジャズがプロセスであるということだ。そして民主主義とはプロセスなのだ」。この極めて伝統的な語りが、ありふれた美辞麗句のたんなる反復でないとするならば、現代のジャズはどのような意味で民主主義や自由を体現すると言えるのだろうか。(…)(p.270)



Brazil ブラジル

“ブラジル音楽”の黎明
――ヨーロッパとブラジルの狭間で

武田千香

 ブラジルの文豪マシャード・ジ・アシス(1839-1908)の短編に「有名な男」(1883)というのがある。舞台は1870年代のリオデジャネイロ。主人公のペスターナは、出した曲がわずか20日で町中に流れるほど売れっ子のポルカの作曲家だ。ある晩、彼は裕福な未亡人宅で開かれた夜会に呼ばれ、若い女性に声をかけられた。

 ――えっ? あのペスターナさんですか?

 リオきっての作曲家が目の前にいることに感激し、思わず女性はそう叫んだのだが、ペスターナの反応はつれない。表情を曇らせ、まるで屈辱的な扱いを受けたかのように足早に会場を立ち去ってしまう。帰り道、どの家からも聞こえてくるのは自作のポルカ、憂鬱はますます募る。その後もペスターナはヒット曲を出し続けるが、そのたびに鬱が高じ、苦悩のうちに夭逝する。

 ポルカの作曲家として大成功しながら、なぜ彼はそれほどまでに苦悩したのか。憂鬱の原因はなんだったのか。実はペスターナのこの苦悩に、いまや世界が認めるブラジル音楽の生みの苦しみを読み取ることができる。(…)(p.252)


【目次】
prologue・・・・・橋本雄一

Ⅰ 東南アジア・オセアニア
インドネシア 世界につながったガムランの響き・・・・・青山亨
フィリピン フィリピン音楽の変遷・・・・・山本恭裕
ベトナム いにしえから現代へ・・・・・野平宗弘
カンボジア 革命の歌・・・・・カエプ・ソクンティアロアト(構成・翻訳:上田広美)
ラオス ケーンの響きに導かれて・・・・・菊池陽子
マレーシア 多民族社会の芸能と音楽・・・・・戸加里康子
タイ その存在は音楽に救われている「忘れられそうな他者」・・・・・コースィット・ティップティエンポン
ミャンマー 幾重にも織り込まれた歴史・・・・・土佐桂子
オーストラリア 過去と未来を結ぶ音楽・・・・・山内由理子
メラネシア ファスの伝統音楽とポップス・・・・・栗田博之
ポリネシア ダンスとともにある音楽・・・・・山本真鳥
ミクロネシア 身体を楽器にする・・・・・紺屋あかり
[コラム] ワールドミュージックと東南アジア・・・・・平田晶子

Ⅱ 東アジア
中国 ハルビンのストリートと大河に声を――中国人ハーモニカの“声音”が響く・・・・・橋本雄一
モンゴル 現代に甦る草原の調べ・・・・・山田洋平・髙橋 梢
日本 日本の門付け芸・放浪芸・・・・・友常勉
朝鮮半島/韓国 アリランからK-POP まで・・・・・金富子
台湾 ダイバーシティからコラージュ音楽へ・・・・・谷口龍子
[コラム] 香港カントポップの歴史と現在―鏡としてのポピュラー音楽・・・・・小栗宏太

Ⅲ 南アジア・中央アジア・西アジア・アフリカ
ベンガル 歌こそすべて・・・・・丹羽京子
インド 寂静という音楽――古典に聴く・・・・・水野善文
パキスタン 南アジアとイスラームの文化的融合・・・・・萩田博
中央アジア ブハラ・ユダヤ人の音楽文化・・・・・島田志津夫
イラン 自由を希求する音楽・・・・・佐々木あや乃
トルコ 境域を超えて広がる音楽・・・・・林佳世子
エジプト コプト正教会の典礼音楽・・・・・三代川寛子
セネガル・コンゴ アフリカ音楽によせて・・・・・真島一郎
ボツワナ カラハリ狩猟採集民グイ人の歌・・・・・松平勇二・中川裕
[コラム] イスラムのなかの音楽・・・・・八木久美子

Ⅳ 東ヨーロッパ・中央ヨーロッパ
ロシア ソ連時代の吟遊詩人――詩と音楽の出会い・・・・・沼野恭子
ウクライナ 音が弾んではしゃぎ出す――ウクライナの音楽文化・・・・・前田和泉
チェコ 「ヴルタヴァ」の聴き方・・・・・篠原 琢
ポーランド ロック歌詞と検閲・・・・・森田耕司
ルーマニア 大自然と文化の交差が生んだ音楽・・・・・曽我大介
オーストリア 多様な民族の文化が織り上げたウィーン・オーストリアの音楽・・・・・曽我大介
ドイツ 「ドイツ音楽」の呪縛?・・・・・山口裕之・西岡あかね
[コラム] ユダヤ音楽―多様な音楽文化の交差点・・・・・丸山空大

Ⅴ 西ヨーロッパ・南ヨーロッパ
イギリス グローバルとローカルの音楽・・・・・フィリップ・シートン
フランス ルグランは「雨傘」と「はなればなれに」なっても・・・・・荒原邦博
イタリア  様々な地域から聞こえるラップの響き・・・・・小久保真理江
スペイン フラメンコは変化し続ける・・・・・川上茂信
ポルトガル どこまでも過去に向かう現在・・・・・黒澤直俊
[コラム] ビートルズとデニムジーンズ・・・・・福嶋伸洋

Ⅵ 南北アメリカ
ブラジル “ブラジル音楽”の黎明――ヨーロッパとブラジルの狭間で・・・・・武田千香
キューバ 文学から聞こえてくるソン・・・・・久野量一
カリブ海島嶼地域 マルティニックから谺(こだま)するカオスの音声(おんじょう)――ジャック・クルシルへの手紙・・・・・今福龍太
アメリカ合衆国〈ジャズ編〉 「ジャズ」の現在――映像資料と文献を通して・・・・・加藤雄二
アメリカ合衆国〈ロック編〉 ロックの歴史またはパンデミックしたウィルスについての記憶・・・・・沖内辰郎
[コラム] 音楽の源には吟遊詩人(バラディーア)たちがいる・・・・・今福龍太

epilogue・・・・・山口裕之

【書誌情報】
地球の音楽

[編]山口裕之・橋本雄一
[判・頁]A5判・並製・292頁
[本体]1800円+税
[ISBN]978-4-904575-97-0 C0095
[出版年月日]2022年4月5日発売
[出版社]東京外国語大学出版会

【編者紹介】
山口裕之
(やまぐち ひろゆき)
東京外国語大学教授。専門はドイツ文学・思想、表象文化論、メディア理論、翻訳理論。著書に『ベンヤミンのアレゴリー的思考』(人文書院、2003年)、『映画を見る歴史の天使――あるいはベンヤミンのメディアと神学』(岩波書店、2020年)、翻訳に『ベンヤミン・アンソロジー』(河出文庫、2011年)、フローリアン・イリエス『1913ー20世紀の夏の季節』(河出書房新社、2014年)、イルマ・ラクーザ『ラングザマー――世界文学でたどる旅』(共和国、2016年)、『ベンヤミン メディア・芸術論集』(河出文庫、2021年)などがある。

橋本雄一(はしもと ゆういち)
東京外国語大学准教授。専門は中国近現代文学・植民地社会事情、とくに中国東北地方の文学・文化表象・ネイティヴ思想。共著に『満洲国の文化──中国東北のひとつの時代』(せらび書房、2005年)、『戦争の時代と社会──日露戦争と現代』(青木書店、2005年)、『大連・旅順──歴史ガイドマップ』(大修館書店、2019年)、『「満洲」に渡った朝鮮人たち──写真でたどる記憶と痕跡』(世織書房、2019年)などがある。

※肩書・名称は本書の刊行当時のものです。

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