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大人気、岸田総理に迫る、被害者が圧勝する世界での、勝利のメカニズム

岸田文雄総理大臣、その人気はとどまるところを知らない。世論調査を重ねるごとに、支持率を伸ばし、手にした圧倒的な支持を背景に、国家を指導するわが国のリーダーだ。

世論調査のどこをどう見ても、今をときめくNo 1政治家であるが、しかし、ネットという村社会での、彼の評判は著しく悪い。とりわけ個人投資家や、Twitterでの評判は散々である。

ある人は、日本人の危機感の無さがこの支持率の背景であり(維新仮説)、別のある人は信頼ある野党を今まで育ててこなかったことこそが、この原因である(立憲仮説)という。いずれの一派も検討だけやって何もしない政治家=「検討士」と岸田氏を揶揄するが、彼らの支持する政党の支持率を足し合わせても、岸田氏率いる自民党の1/3にも満たないのは、もっと根本的な要因があると考えるのが自然であろう。

個々の政策の是非については、あまたのジャーナリストや、政治学者の方々が分析されているので、ここでは特に取り上げることはしない。ここでは、もっとテクニカルに、現代社会のトレンドを中心に分析を行いたい。そう、要因として挙げられるモノは、三つのテクニックと、一つの本質だ。

テクニックその1:マスコミパルスを支える、両論併記

一見すると、5割も賛成しているのだから通りそうだが、
5割で政策を押し通そうということ自体が、被害者ポジションを相手に与えてしまう

ある政策を、5割の市民が賛成し、2割の市民が反対している。ふつうに考えれば、賛成派が難なく政策を通しそうであるが、ここ日本においてはそうはいかない。そう、人々の心は移ろいやすく、マスメディアの使命は権力の監視、すなわち政策にストップをかけ、少数者=被害者の権利を守ることだ。必然的に、マスメディアは2割(反対派)の肩を持つこととなる。ここでの必殺技が「両論併記」である。

マスコミパルス攻撃成功例
被害者権の確保と、判官贔屓のパワーは必須

どれだけ科学的な見解を5割の推進側が持っており、反対派が何ら科学的根拠がなかったとしても、世の中にはおかしな専門家も存在する。彼らを引っ張ってくることで、マスコミは恣意的に片方の意見に肩入れすることができる上、どんなご立派な専門家と偽専門家が熱論を交わしたところで、どちらが正しいのかなどということは、われわれ一般庶民には極めて判断の難しいことである。両論併記に持って行けた時点で反対派の勝利は見えているのだ。

HPVワクチンの接種停止や、原発関連の「風評加害」などはその悪用例としてあげられるだろう。

ここまでくれば、民主国家の為政者は、イデオロギー的に取り組みたい目玉政策でも無い限り、手を引くこととなる。民主国家における指導者は、基本的には過半数の支持が必要であり、4割しか支持されず、3割も反対派がひしめく政策は、支持率を下げる要因に過ぎないからだ。無論、政府が不適切な政策を進めようとしている場合もあるかもしれないが、発動するロジックは同じことであり、結果もまた、同じものである。

これを、マスコミパルスと呼ぶことにする。

テクニックその2:判官贔屓という、沼への一本道

次に、判官贔屓である、これは、わが国の人々に広く行き渡った感情であり、ある程度筋が通ったことを、どれだけ踏みつけられながらも唱え続ける人(=信念ある被害者)がいたら、きっとその人にそれなりに筋があるのだろう、と考える感情だ。これは、マスコミパルスで弱体化された、政策論争に、さらにうねりを加えて話の進捗を停止させる効用がある。魚市場の移転だけで話がこじれ、何十年もかけた話などを思い出していただきたい。

テクニックその3:非国民と、国民の対決

多数派が被害者権を確保できたことに注目

では、日本人は実際に何も決めることができないのか?無論そんなことはない。コロナの自粛から、ワクチン接種に至るまで、日本人の一致団結した動員力は、中国のような強権を持って臨んだ国とは比較にならないほど拘束力が低かったにも関わらず、世界的に見ても高いものであった。

何故、この自粛運動や、とりわけワクチン接種の普及にここまで成功したのか。ここに「非国民vs国民」の論理が挙げられる。9割近い市民が賛成している政策については、反対者は悪意に満ちた破壊工作員であり、狂人であり、文字通りの非国民であり、全てのまっとうな市民が連帯し、戦うことが義務となる。ここでは、加害者は自分勝手かつ狂信的な思想を持った非国民サイドであり、被害者は一般の国民であることに注目しよう。実態として、反ワクチン派の妨害活動で日本人のワクチン接種が一人あたり何日遅れたか、などという事は、もはや誰も気にしない。

三つのテクニックを裏書きする、被害者ポジションの圧倒的優位性

ここまでの説明で、被害者としてのポジションを確保することは、この世論のシーソーゲームにおける、最終的な勝敗を決定する重要なファクターであることが理解いただけただろう。恣意的な両論併記も、判官贔屓も、非国民への怒りも、被害者としての大技が発動した一形態である。

われらが国家指導者の、キシダイサクセンを注視しよう

まずは先制打を相手に放たせる

検討士、と一部で揶揄される通り、明らかに反対派の隊列が編制を始めた後も、岸田総理は決して政策を打ち出さない。というのもこれまでの図を通して明らかになったとおり、この勝負は先手必敗であり、また、こちら側の支持者が5割近い、という事そのものが、相手側に被害者ポジションを確保させてしまう以上、ここで策は取りようが無いのだ。

例として、反対派が「原発再稼働反対、原発立て替え反対」を掲げたとしよう。とりあえず「原発再稼働については、安全性を最優先したい、立て替えは現時点では考えていない」と返答する。反対派は一見自身の提案が通ったように見えるため、盛り上がりに欠けることとなる。

しかしながら、これは岸田氏が指導者としてなにもしない、などということではない。むしろ、彼自身が政策を命令していないと思わせることこそが、キーである。

ある特定の政策に固執すると、反発が生まれる
また、実害が発生した際に、全ての被害者権を先取りすることが可能

実際に、HPVワクチンの勧奨を止め続け、年間数千ともいう犠牲者が出つづけた現在、世論の怒りの力と被害者権は、政策遂行側に移行した。この現象自体は幅広く活用されうるが故に、福島の「風評加害者」というキーワードへ、マスコミーリベラル陣営が怒り狂うことは、ある意味必然的であると言える。

先ほど例に挙げたケースでは、停電の恐れが顕在化した時点で、駒を一つ進めば良いのだ。「再稼働は是非進めたい」と一歩踏み込んだ発言が成されていることに注目しよう。

危機を迎えることがおおむね確定してから、反対派に全ての責任を負わせ、被害者ポジションを確保した上で政策を遂行する。これが21世紀の、被害者が完全勝利を迎える現代における、諸葛孔明もおののく大戦略である。そして、岸田総理が大多数の支持者側に給付しているものは、一律給付金などという端金ではなく、被害者権という現代の王冠である。端金をばらまくというだけの政党が、彼にかなわないのは必定であろう。

岸田総理、それは、被害者というこの上もない権利の給付者。
被害者最強の時代における、チート指導者の行く末はいかに。

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