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【cinema】パティとの二十一夜

2017年45本目。EUフィルムデーズ3本目。フランス映画🇫🇷

なんだ、この話。最初、以下のあらすじを読んで、普段そんなに映画を見ない友達に一緒に見ようと誘った。これなら大丈夫かもと。

盛夏。キャロリーヌは疎遠であった母が亡くなったとの報せを受け、パリから南仏の小さな村に赴く。母が遺した家に着くと、管理人のパティが出迎えてくれた。2人で散歩に出かけるが母の話もそこそこに、パティは自分の性生活を赤裸々に語り始め、奥手のキャロリーヌは唖然とするばかり。そんな不思議な出会いの中、母の遺体が消えてしまう…。エロスとタナトスへのおおらかな賛辞に満ちた大人のコメディドラマ。(公式サイトより転記)

コメディだし、いかにもなフランス映画っぽくもなさそうだし、受け容れてもらえそう。あらすじを読んで、彼女も行く気でした。けど、やはり時間が合わず、私一人で行くことに。

よかったーーーー。一人で見て。いや、決して悪い映画ではないんです。これをどう言い表せばいいのか、一言でしっくりくる言葉が思い浮かばないんだけど、単にエロスを語るならいいよ。どうぞ、どうぞ。ただ、そのパティの口から語られるエロスとは、何だかとてもお下劣で、コレ、女性が語ってるからいいものの男がそうなら嫌悪感を抱くしかない。且つコメディと言いつつもサスペンスやホラーの要素も見え隠れして、コメディかよ、ホラーかよ、ミステリーかよ、え、ファンタジー感まであるのと観ている者は右往左往させられる。笑っていいのか、え、ちょっと怖いんだけど、どうしたら…と。始終ドキドキ感は半端じゃなく感じられるのですが…。もし、友達が一緒だったら、彼女の反応がコワくて、オロオロしてしまったと思う。そんなテイストの映画だったのです…。

キャロリーヌは夫はいるものの多分最近ご無沙汰なのだ、そういうことから。だから余計に自分と同年代のパティの奔放さが信じられないし、でもちょっと羨ましくもある。そこに亡き母の存在だ。ずっと疎遠だった母。どうやら彼女も相当だったらしい。部屋に安置された遺体の変な艶かしさったらない。パティの奔放さは置いといて、そんな母の亡骸が消えてしまい、犯人は如何に、というのがこの映画の大筋。フランスの山奥の素朴な風景と村の祭事もこのストーリーに彩りを添える。

邦題は大体原題と相違ないと思うのだけど、パティがメインというよりはキャロリーヌだ。言わばいい子ちゃんな感じの彼女が、二人の奔放な女性(1人は既にこの世にいない)に惑わされて、幻覚を見たり、今まで味わったことのない快楽に溺れそうになったり、とにかく変な開放感はあるのに、息を詰めて見ないといけない。そして、キャロリーヌは、「女」としての自分を自覚していくのだ。中年女性の性への目覚め?と言ったら、どぎつい印象かもしれないけれど、そこまでエロティックでもなく、でもそこはかとなくべったりとした感じ。ホント、うまく言えないけれど、山奥の緑いっぱいの景色が広がるのに、すごく印象的なのは、照りつける強い陽射しと汗、なんです。いろんな登場人物の汗ばんだ肌。私の勝手な思い込みかもしれないけれど。

あと、もしどこかでこの映画を見る機会があるとすれば、事前にノーベル文学賞作家ル・クレジオの作品を読んでおいたらいいかも。なぜなら、偽ル・クレジオが登場するので。私も10年以上前、まだ彼がノーベル賞を授賞する前に、たった二冊しか読んだことないけれど、そして内容はサッパリ覚えてないけれど、その時は、すごく面白くて、スラスラ読めた記憶だけあって、著者名を覚えている。映画の中ではもちろん偉大なる作家として出てくるのだけれど、偽ル・クレジオはキャロリーヌとパティの間に、最後まで奇妙な存在で居座り続けるのだ。こんなサギ、あっていいんかいなと。

ただ、この映画の中では、女性たちがメインで、男性陣は個々のキャラクターというより、あくまで彼女たちの性的な対象物でしかない、と私は思った。彼らが女性を性的な目でしか見ないのと同じく、女性たちはそれ以上にそう捉えている。それがパティの視点であり、生き様であって、キャロリーヌが彼女から「学んだ」こと。

何かすごく不思議な映画だったなぁ。ヘタすると陳腐な表現に見えなくもないシーンが、あんなにも艶っぽく、温かい眼差しで描かれているなんて。

それでも誰かと一緒に見るにはちょっと気まずくなるオトナのエロティックホラーコメディ、としておこう。

↓左がキャロリーヌ、右がパティ。

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