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20230130|砂丘律|読書日記



きょうも忙しなく動いている人、みえないものの存在に、絶え間なく押しつぶされそうになっては、瞬時にSNSを閉じる。こんなにも頑張っている、という圧を、すこしでも避けたくて、限られた人の投稿しかみれなくなってしまったのはいつからだろう。何事もうまくできないのに、世界を狭めることだけは歳を重ねるごとにうまくなっていく。ただ静かに生きていたいだけなのに。


僕たちは狂気の沙汰だ
鍵は落ちて雪の深さへ埋まっていった



数ヶ月前勤めていた書店の店長は、退院した私に、戻ってくる?と聞いた。迷惑をかけることの恐怖を覚えてしまった人間は、はい、と言えず、いまだにすこしの後悔を抱えていたりする。迷惑をかけない人間はいないとしても、すきなひとたちには、なるべく迷惑をかけたくないとおもってしまう人間はここにいる。 


まるであの過去にもならない過去は間違いだったみたいに、正解をきめつけて、今もまだ、なにもかもがこわい。なのに、なにもかもを通らなければ、明日にはすすめず、いつまでもここにはいられなくて、だって生活があるから、だから在宅仕事をし、そしてまた通院をはじめるための予約をした。


深く息を、
吸うたび肺の乾いてく砂漠は何の裁きだろうか




夜ご飯は、なにも作りたくなくて、きのうの残りの鍋をあたためた。夫は、美味しいと何度もいい、食べすぎてしまったと笑った。ちゃんと作ればよかったと後悔をしたのは言うまでもない。




きょう読んだ本は、
千種創一さんの『砂丘律』という歌集。

短歌のこと、あまりよくわかっていないのに、たまに、わ、これ、好きとおもうものがあって、つまり感覚的なものなのだけど、ちょっと忘れられないくらい、頭のなかに残ってしまって、お風呂にはいりながら、思い出しては、口ずさんだりした。

記憶ってきっと液体
かぎりなくうすいきおくをもつ海月だろう


あとがきも、すごくよかった。

光の下であなたに何度も読まれて、日焼けして、表紙も折れて、背表紙も割れて、砂のようにぼろぼろになって、いつの日か無になることを願う。


合間の引用は『砂丘律』のなかにある短歌です。
それでは、また。

よろこびます。