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女ふたり、読んでいます。#1


朝5時半、用水路を流れる水の音により目を覚まし、そうか、そろそろ田植えの時期かとぼんやりとした頭で考える。そうして目を開けると猫三匹があっという間に視界に入りこみ、待ってましたとばかりにご飯をねだられ、そのまま起床する。もうここに住みはじめて四ヶ月となるのだけれど、いよいよ烏骨鶏の声は日常と化し、物珍しいものではなくなった。

畑にでて、野菜や花たちの様子を観察する。二日前に降った雨のおかげなのか、それぞれがそれぞれに成長をとげ、青々と葉っぱを茂らせている。ズッキーニは大袈裟なほどに大きな花を咲かせ、しかし彼らは人工授粉というものをしてやらないといけないので、ちょっと待って、方法を知らないから、と後回し。少し早いが夏野菜の第一弾、艶々とした新鮮なきゅうりや茄子を収穫したのち、ぼんぼりのようにおおきく咲きはじめた紫陽花を眺める。滴る水の美しさと、生ぬるい風、もうすぐそこまで梅雨の季節がきていることを知る。そういえばホケホケと鳴く練習をしていた鶯もいつの間にか上手に鳴けるようになった。ホーホケキョ。春はもうすぐ終わりそう。

午前中、父母とともに保護猫活動の一環で世話をしている二匹の子猫の、そのうちの一匹(茶丸)がずっとのお家に迎えられていった。そしてもう一匹(茶茶)も譲渡先がほぼ確定したということでホッとしている。寂しいという気持ちよりも、彼らが幸せに生きることのできる場所がみつかった安堵のほうがおおきい。大きな保護猫団体のひとに仲介してもらっており、少しでも危ないと思うことがあれば、すべてお断りをする形式となっているので本当に安心。彼らの成長も写真で送ってくれるという。善意に漬け込んで、恐ろしく野蛮な人がいるので、その辺は注意しなければいけない。まあともかく、とびきり甘えて、とびきり遊んで、とびきり食べて、幸せになってね。


さて、そんな今日に読まれていた本は岩波明著『文豪はみんな、うつ』で、仕事の関係で近代文学を読み漁っている今、彼らに纏わる本をと思い、手に取られたものだった。文学における意識の流れという手法というものに大変興味をそそられる。大体からして川端の紹介の際に用いられた本が『みずうみ』と『眠れる美女』というチョイスだけでいとも簡単に舞い上がってしまうのだからほぼほぼ興奮状態にあったわけでありまして、それにしても谷崎の色恋沙汰はなかなかにインパクトのある内容で思わず笑った。


そしてもう一冊は牧野伊三夫と石田千による往復書簡『月金帳』を。


話は変わるが私には尊敬してやまない読書家の友人がいる。文面にしてしまうと少々冷たく感じるのだが、彼女と私との繋がりは唯一読書である。しかしそれが何よりも大きく、信頼に値し、互いに本をこよなく好いているというただそれだけの事実がこうして何かをはじめるきっかけになるのだから人との出会いは不思議だ。というわけで、手始めに互いに未読の課題本を出し合い、それらを共通課題図書としてまとめ、互いに読み合いながら読書に纏わる備忘録を残しておこうという計画に至った。それらは日記形式、そしてごく稀に往復書簡形式としてここに記されていくこととなる。

題して、『女ふたり、読んでいます。』


当人たちもワクワクが止まらないのであって、『ふたりの本棚ーナリコとノリコの往復書簡』を読みながら、いつかこんなふうに本のことを話せる人ができたならと願っていたものが形になっていく今、もうそれだけで本を好きでいてよかったと心底おもう。


さて『月金帳』もそのなかの一冊なのだけど、いやはやちょっと良すぎて少々興奮気味でして、だからといってはあれだけど今宵の備忘録はここまでということで。



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